◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月11日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
淡谷のり子(2)
「午後のロータリー 土曜サロン ラストソングに祈りを込めて」
昭和57年9月4日 R1
(詳細)
歌手の淡谷のり子は「別れのブルース」の後
「雨のブルース」もヒット、
この歌は戦地の兵隊に愛唱されます。
戦後は「君忘れじのブルース」がヒットし、
ブルースの女王としての地位を確立しました。
その後は歌手活動の他、テレビ番組の審査員を務めました。
昭和57年にラジオ第1で放送された
「土曜サロン ラストソングに祈りを込めて」では、
若い歌手への思いや最近の活動のことなど、
歌に捧げた人生について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月4日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
淡谷のり子(1)
「わが故郷わが青春」
昭和57年10月31日 R1
(詳細)
歌手の淡谷のり子は明治20年、青森の呉服店の
長女として生まれ、明治43年の青森大火で家業が
傾いたため、母親と上京し
東洋音楽学校で声楽を学びます。
その後流行歌手の道に進み、昭和12年
「別れのブルース」が大ヒット。
人気歌手の地位を築きました。
昭和57年10月にラジオ第1で放送された
「わが故郷わが青春」では、ふるさと青森の思い出や
上京してからの暮らし、苦労して
歌手になった頃の思い出について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月28日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
土井勝(1921-1995)(2)
「放送文化賞 受賞者に聞く」
昭和58年 R1、
「日曜カルチャー 人間を考える 家族」
平成24年5月13日 R2
(詳細)
料理研究家の土井勝は昭和28年、大阪で「関西割烹学院」
のちの「土井勝料理学校」を設立し、同じ年にNHK大阪で
テレビ初の料理番組に出演。この功績で昭和58年には
「放送文化賞」を受賞しました。
総合テレビで放送された「放送文化賞 受賞者に聞く」では、
昭和28年12月に白黒テレビで初放送した
「正月料理」番組の収録の苦労や、この受賞が食の仕事を
している人たちの大きな励みになったと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月21日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
土井勝(1921-1995)(1)
「わが故郷わが青春 香川県国分寺町」
平成3年4月14日 R1
(詳細)
料理研究家の土井勝は、大正10年高松市生まれ、
早くに父親を亡くし、小学生の頃には大阪に移り住みました。
「早く仕事について一家を助けたい」という
思いから料理の道を志します。
戦時中は海軍に入り、部隊の食事を作り続けました。
平成3年4月にラジオ第1で放送された
「わが故郷わが青春 香川県国分寺町」では、
自分の生い立ちや、その後本格的に勉強するため
大阪割烹学園に入ったことについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月14日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
村上昭子(1927-2004)(2)
「人生読本 わたしの台所哲学」
平成5年2月17日 R1
「ラジオ深夜便 師を語る」
令和6年3月11日 R1
(詳細)
料理研究家の村上昭子は、戦後結婚したあと、
家庭料理に独自の工夫を凝らす傍ら、
「きょうの料理」などの料理番組に出演するようになります。
また婦人雑誌の料理記事を執筆したり、
料理本も多数出版して、娘や孫も料理の道に進みました。
平成5年2月にラジオ第1で放送された
「人生読本 わたしの台所哲学」では、
「台所は女の城」という感覚で、食材を無駄に使わない
家庭料理に取り組む工夫などについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月7日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
村上昭子(1927-2004)(1)
「人生読本 わたしの台所哲学」
平成5年2月15日、16日 R1
(詳細)
料理研究家の村上昭子は昭和2年、東京の呉服店の
三女として生まれました。
両親の出身地・新潟から来た従業員が十数人おり、
その人たちと台所仕事を手伝いながら育ちます。
戦時下の昭和20年、東京にあった国民生活学院の
栄養科に入学し本格的に料理を学びました。
平成5年2月ラジオ第1で放送された
「人生読本 わたしの台所哲学」では、
母親から伝授された糠漬けの思い出や、
料理の道に進むきっかけについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月30日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
長谷川伸(1884-1963)(2)
「私の自叙伝 人情70年」
昭和35年8月1日 R2
(詳細)
作家の長谷川伸は大正14年に新聞社を退職して、
作家生活に入ります。その後、戯曲「沓掛時次郎」や「瞼の母」
などを上演して成功し、人気作家になります。
昭和32年には史伝「日本捕虜志」という作品で
菊池寛賞を受賞しました。
昭和35年8月にラジオ第2で放送された
「わたしの自叙伝 人情70年」では、
昭和8年に生き別れた母親と再会したことや、
自身が主宰した「新鷹会」で
後輩の作家を育てることについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月23日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
長谷川伸(1884-1963)(1)
「人生読本 私の生きがい」
昭和30年8月15日 R1
(詳細)
作家の長谷川伸は明治17年横浜市の生まれ、
家が没落して一家離散したため独学で文字を覚えました。
その後、雑用係として新聞社に入り、後に新聞記者となります。
演芸欄を担当しながら小説を書きはじめ、
菊池寛の勧めでペンネームを「長谷川伸」に決めました。
昭和30年8月にラジオ第1で放送された
「人生読本 私の生きがい」では、作家になるまでの
苦労した日々のことや、仕事をすることの
喜びについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月16日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
平岩弓枝(1932-2023)(3)
「文化講演会 わが師を語る 作家・長谷川伸のこと」
平成28年10月2日 R2
(詳細)
作家の平岩弓枝は昭和48年、代表作ともなる
「御宿かわせみ」の連載を始めます。
その後、放送文化賞を受賞、平成28年には文化勲章を受賞します。
平成28年10月にラジオ第2で放送された
「文化講演会 わが師を語る 作家・長谷川伸のこと」では、
長谷川伸の主宰する「新鷹会」に入ったころ、
兄弟子になる山岡荘八や池波正太郎などとの関係や、
恩師・長谷川伸が亡くなる際の天ぷらの
エピソードなどについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月9日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
平岩弓枝(1932-2023)(2)
「文化講演会、テレビと小説」
昭和61年2月9日 R2
(詳細)
作家の平岩弓枝は昭和30年、日本女子大学国文科を
卒業したあと長谷川伸の主宰する「新鷹会」に入り作家人生を送ります。
昭和34年、刀剣の世界を描いた短編「鏨師」で直木賞を受賞、
また昭和42年には朝の連続テレビ小説「旅路」で
原作と脚本を担当します。
昭和61年2月にラジオ第2で放送された
「文化講演会 テレビと小説」後半では、
「花の影」や「湖水祭」という自分の小説を
テレビドラマ化する際の話を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月2日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
平岩弓枝(1932-2023)(1)
「文化講演会、テレビと小説」
昭和61年2月9日 R2
(詳細)
作家の平岩弓枝は昭和7年、東京渋谷の代々木八幡の
宮司の一人娘として生まれました。
戦時下、出征する兵士たちの様々な悲しみを見ながら育ちます。
戦前の女学校で演劇部を作り、脚本を書いたりして
芝居に熱中し、大学を卒業した後は作家を志します。
昭和61年2月にラジオ第2で放送された
「文化講演会 テレビと小説」の前半では、
自分の書いた小説をテレビドラマ化するに
当たっての様々な苦労について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月19日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
片岡球子(1905-2008)(1)
「女性手帳 伝統美を求めて」
昭和56年12月10日
「女性手帳 富士山とにらめっこ」
昭和56年12月11日
いずれも総合TV
(詳細)
日本画家の片岡球子は札幌市の生まれ。
初めは医者を目指しましたが途中で日本画家に方向転換し、
女子美術学校で日本画を学びます。
卒業後は小学校の先生をしながら絵の制作も続け、
昭和5年25歳の時に初入選しました。
昭和56年12月に総合テレビで放送された
「女性手帳」では、歌舞伎や能を題材にした作品へのこだわりや、
生涯にわたって描き続けた富士山へのこだわり、
その難しさについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月12日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
棟方志功(1903-1975)(2)
「この人にきく」
昭和44年1月16日 R2
「ラジオ深夜便 わが心の人」
令和5年10月31日 R1
(詳細)
板画家(はんがか)の棟方志功は33歳の時に制作した
「大和し美し」で柳宗悦などと交流することになります。
戦後は海外の展覧会でも入賞を重ね、世界の棟方として
人気を博して行きます。
そして67歳の時に青森県人としては初の文化勲章を受賞。
昭和44年1月にラジオ第2で放送された
「この人にきく」では、油絵から版画へと方向性が
変わっていった頃のことや、先生と慕った
柳宗悦との出会いと交流を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月5日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
棟方志功(1903-1975)(1)
「青少年を考える わたしの少年時代」
昭和45年10月31日 R1
(詳細)
板画家(はんがか)棟方志功は青森市の生まれ。
子どもの頃から凧絵が好きで、18歳の時に見た
ゴッホの「ひまわり」に感動し、
独学で油絵を描き始めました。
27歳の時に出品した版画が初入選し、
版画の道に進むことを決意。
昭和45年10月にラジオ第1で放送された
「青少年を考える わたしの少年時代」では、
故郷・青森で学んだ学校での思い出や家業の鍛冶屋を
手伝ったこと、そして芸術への道に進んだ頃のことを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月29日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
池田敬子(1933-2023)
「ラジオ深夜便 明日への言葉 東京オリンピックにかける思い」
平成27年7月9日 R1
(詳細)
元体操選手の池田敬子は、広島県三原市の佐木島生まれ。
高校時代から体操を始め、日本体育大学に
女子第一期生として入学。
その後1954年ローマ世界選手権の平均台で
金メダルに輝き、1964年の東京五輪では
女子団体で銅メダルを獲得しました。
平成27年7月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便」では、現役時代に新しい技を開発する
までの苦労や、子育てをしながら
現役選手を続けたことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月22日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
河西昌枝(1933-2013)(2)
「文化講演会 バレーボールと私」
平成24年5月6日 R2
「東京オリンピック 女子バレーボール決勝戦」
実況
(詳細)
元バレーボール選手の河西昌枝は、1964年の
東京五輪の後は結婚し、ママさんバレーの普及に力を注ぎました
。2004年のギリシャ・アテネオリンピックでは
全日本女子バレーボールチームの団長に就任しました。
平成24年5月にラジオ第2で放送された
「文化講演会 バレーボールと私」では、
東京五輪が終わった後のママさんバレーのことや
大松監督の思い出を語っています。
また東京五輪バレーボール決勝戦の実況も放送します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月8日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
木原光知子(1948-2007)(2)
「スタジオパークからこんにちは」
平成7年5月10日総合テレビ
「ラジオ深夜便 わが心の人」
平成29年10月20日
(詳細)
元水泳選手の木原光知子は1964年の東京五輪に出場しますが、
その後記録が伸びず、競泳を引退します。
その後はタレントやモデルとしてテレビドラマなどに出演。
38歳の時には世界マスターズ水泳に出場、
のちには日本水泳連盟の女性初の理事にも就任しました。
平成7年5月に総合テレビで放送された
「スタジオパークからこんにちは」では、
東京オリンピックの思い出や水泳選手として
育ててくれた母親について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月1日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
木原光知子(1948-2007)(1)
「わが故郷 わが青春 岡山市」
昭和62年7月26日 R1
(詳細)
元水泳選手の木原光知子は岡山市で小学校から
高校までを過ごし、昭和37年岡山で開かれた
国民体育大会に中学校2年生で出場しました。
その時の成績が認められて昭和39年の東京オリンピックに
出場し、メドレーリレーのアンカーとして4位に入賞しました。
昭和62年7月に放送された「わが故郷 わが青春 岡山市」では、
小学生時代の水泳との出会いや活発だった少女時代のこと、
また水泳の魅力などについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月24日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
梅棹忠夫(1920-2010)(2)
「文化講演会 民族学から見た国際理解」
昭和56年2月1日
「文化勲章受章者の声」
平成6年10月 R1
(詳細)
民族学者の梅棹忠夫は、昭和30年に戦後初の
本格的な学術調査となる京都大学の探検隊に参加し、
中央アジアでの実地調査を行いました。
これらの業績が認められ平成6年に文化勲章を受章します。
昭和56年2月に放送された
「文化講演会 民族学から見た国際理解」では、
民族学の重要性について。
平成6年10月の「文化勲章受章者の声」では、
受賞の喜びや、21世紀に入っても激化する
民族紛争について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月17日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
梅棹忠夫(1920-2010)(1)
「文化講演会 民族学から見た国際理解」
昭和56年2月1日
(詳細)
民族学者の梅棹忠夫は京都市西陣の生まれで、
第三高等学校を経て京都帝国大学の理学部に進み、
動物学を専攻します。
同時に学術研究家を目指し中国などの調査隊に参加し
フィールドワークにも励みました。
昭和56年2月にラジオ第2で放送された
「文化講演会 民族学から見た国際理解」では、
世界に3000種類以上ある民族についての基本的な考え方
や民族と人種の違い、また益々複雑化を
極める民族間の対立について話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月10日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
梅原猛(1925-2019)(2)
「文化講演会 わが人生と学問」
平成14年4月21日 R2
(詳細)
哲学者の梅原猛は47歳の時に京都市立芸術大学
の教授に就任します。
そしてその時に書いた「隠された十字架」や「水底の歌」で、
これまでになかった大胆な「梅原日本学」「梅原古代学」
を展開し世間の注目を集めます。
平成14年4月にラジオ第2で放送された「
文化講演会 わが人生と学問」では日本仏教を研究した中から
生まれた「古代三部作」や、その後執筆した
歌舞伎の台本「ヤマトタケル」のことなどについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月3日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
梅原猛(1925-2019)(1)
「わが故郷わが青春 仙台市」
平成7年12月17日 R1
(詳細)
哲学者の梅原猛は仙台市の生まれ、愛知県に住んでいた
実父の兄夫婦の養子となりました。
18歳の時に旧制第八高等学校に入学し20歳で
京都帝国大学の哲学科に進みました。
戦後は京大に残りハイデガーの哲学を研究しました。
平成7年12月にラジオ第1で放送された
「わが故郷わが青春 仙台市」では、自分の生い立ちや
青春時代の葛藤から哲学を一生の仕事にした経緯、
また自分の学問を育てた京都の町のことなどを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月27日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
林芙美子(1903-1951)(2)
「若い女性 林芙美子さんを囲んで」
昭和26年6月24日 R2
「ラジオ深夜便、ないとエッセー 林芙美子再発見」
平成13年12月3日 R1
(詳細)
作家の林芙美子は戦時中、従軍記者として戦地の様子を
新聞にリポートし、戦後は再び作家活動に戻り
「晩菊」「浮雲」などを文芸雑誌に連載しました。
昭和26年新聞に「めし」を連載中、
心臓まひで亡くなりました。
昭和24年にラジオ第2で放送された
「若い女性 林芙美子さんを囲んで」では学生の質問に答えて
、庶民派作家を目指した自身のことを語っています。
また作家の太田治子さんの林芙美子についての思い出も紹介します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月20日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
林芙美子(1903-1951)(1)
「朝の訪問」
昭和24年12月29日 R1
(詳細)
作家の林芙美子は明治36年行商をしていた両親のもと
に生まれ、広島県尾道市で女学校に入ります。
女学校を卒業後、作家を目指して上京し、
働きながら歌日記を書き始め、昭和6年に
はフランスに一人旅をします。
これらの体験が後の自伝的小説「放浪記」になりました。
昭和24年にラジオ第1で放送された「朝の訪問、林芙美子」
では、自身の作品に込めた思いやパリで過ごした日々のこと、
また今後の抱負ついて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月6日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
永井荷風(1879-1959)(1)
「教養特集 文壇よもやま話」
昭和28年1月6日 R2
(詳細)
作家の永井荷風は東京小石川の生まれで、
神田の外国語学校に入りました。
しかし病気と留年で学校生活に興味を失い、
作家の道に進みました。
24歳の時にアメリカに渡り、その後フランスに
行って西欧の文化を吸収しました。
昭和28年1月にラジオ第2で放送された
「教養特集 文壇よもやま話」では、
中央公論社社長の嶋中鵬二さんとの対談で、
作家になるまでの様々な体験や、
欧米から帰国してからの生活について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月29日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
北林谷栄(1911-2010)
「ラジオ深夜便 母を語る」平成9年8月19日 R1
「放送文化賞受賞者に聞く」昭和63年3月22日
(詳細)
俳優の北林谷栄は、幼いころに亡くなった母親に代わって
父方の祖母に育てられます。
女学校を卒業した後、文学座の前身の築地座に通う内に研究生となり、
戦後は滝沢修や宇野重吉などと劇団民芸の前進を立ち上げました。
その後宇野の勧めで老け役を演じ、個性を発揮しました。
平成9年8月に放送された「ラジオ深夜便、母を語る」
では自分の生い立ちや老け役を演じる味わいなど
自身の俳優人生を振り返って語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月22日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
市原悦子(1936-2019)(2)
「日曜喫茶室 ふるさと再発見 日本の昔話の魅力」平成25年5月26日
「ラジオ深夜便 わが心の人 市原悦子」令和2年3月20日
(詳細)
俳優・市原悦子は、昭和11年千葉市に生まれ、8歳の時、
近所に爆弾が落ちて家の一部が破損、
千葉県内の四街道へ疎開しました。
平成13年に放送した
「日曜喫茶室 ふるさと再発見 日本の昔話の魅力」では、
中学生の頃に演劇に興味を持ったキッカケの話や、
俳優座に入って、プロとして学び始めた頃のことを振り返っています。
また、声優として出演した「まんが日本昔ばなし」や、
民話の朗読の裏話なども語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月15日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
市原悦子(1936-2019)(1)
「日曜喫茶室 決め手は常に集中力」
平成13年4月29日 FM
(詳細)
俳優の市原悦子は千葉市生まれで、中学高校時代に
演劇部に入り演劇に目覚めます。
高校を卒業した後は俳優座の養成所に入って演劇を本格的に
学び、昭和32年映画「雪国」で芸者の役でデビューを果たしました。
平成13年4月にFMで放送された
「日曜喫茶室 決め手は常に集中力」では、
放送作家のはかま満緒との対談で、俳優座に入って俳優として
歩み始めたころのことや、集中して稽古をすることの
大切さについて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月8日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
樹木 希林(1943-2018)(2)
「ラジオ深夜便 隠居大学」
平成25年3月25日、R1
(詳細)
俳優の樹木希林は、「悠木千帆」という芸名で出演していましたが、
途中で芸名を変えるなどユニークな行動を取ったり、
郷ひろみとデュエット曲を歌って大ヒットさせるなど、
独自の芸風で幅広い人気がありました。
平成25年3月にラジオ深夜便で放送された
「隠居大学」では、天野祐吉さんとの対談で、
当時人気絶頂の森繁久彌と共演した頃のことや、
夫のロックミュージシャン・内田裕也との
暮らしなどについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月1日(月)
保阪正康が語る昭和人物史
樹木 希林(1943-2018)(1)
「ラジオ深夜便 隠居大学」
平成25年3月25日、R1
(詳細)
俳優の樹木希林は東京千代田区の生まれで、
18歳の時に文学座の研究所に一期生として入りました。
その後、民放ドラマの「七人の孫」、「時間ですよ」、
「寺内貫太郎一家」に出演して、
存在感のある演技で話題を呼びました。
平成25年3月にラジオ深夜便で放送された
「隠居大学」では、天野祐吉さんとの対談で、
大きな話題になった写真のコマーシャルの裏話や、
あまり人と比べずに生きた独自の人生観について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月25日(月)
水野 健次郎(1913-1999)
「ビジネスネットワーク トップ・インタビュー」
昭和59年6月16日 教育テレビ
(詳細)
実業家の水野健次郎は大学を卒業した後、父親が興した
スポーツメーカーのミズノに入社します。
戦後のスポーツ再開に際し、欧米を視察して世界の
多様なスポーツ用品を見て回りました。
その後スポーツ用品の改良に努めたり、国際スポーツ交流財団を
設立したり、スポーツ振興に尽くしました。
昭和59年6月に教育テレビで放送した
「ビジネスネットワーク トップ・インタビュー」では
スポーツビジネスの今後について話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月18日(月)
伊藤雅敏(1924-2023)
「ビジネスネットワーク トップ・インタビュー」
昭和59年12月1日 教育テレビ
(詳細)
実業家の伊藤雅俊は軍隊経験の後、
戦後は母親が経営していた洋品店を手伝います。
34歳で社長に就任し、アメリカのやり方を参考にして
総合スーパーの経営に乗り出します。
ファミリーレストランやコンビニエンスストアも
展開し、総合流通グループに育て上げました。
昭和59年12月に教育テレビで放送した「
ビジネスネットワーク トップ・インタビュー」では、
当時の流通業界を取り巻く環境や今後の展望について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月11日(月)
豊田章一郎(1925-2023)(2)
「ビジネスネットワーク トップ・インタビュー」
昭和58年1月22日 教育テレビ
「21世紀 いま地球を見つめよう」
平成17年1月2日 総合テレビ
(詳細)
豊田章一郎は、トヨタ自動車の社長を退いた後は
財界活動に取り組み、平成6年に経団連の会長に就任しました。
在任中に開かれた「愛知万博」では博覧会協会の会長に就任し、
博覧会の成功に尽力しました。
平成17年1月に総合テレビで放送した
「21世紀 いま地球を見つめよう カウントダウン 愛・地球博」では、
競争と協調を調和良く進め、豊かで平和な21世紀の世界を
作りたいという、愛知万博に込めた思いを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月4日(月)
豊田章一郎(1925-2023)(1)
「ビジネスネットワーク トップ・インタビュー」
昭和58年1月22日 教育テレビ
(詳細)
実業家の豊田章一郎は名古屋市で生まれ、
名古屋大学などで学んだあと、父親の会社に入社しました。
そこで会社の後継者としての教育を受けながら仕事を進め、
57歳の時に自動車工業と販売の会社を合併した
「トヨタ自動車」の初代社長に就任しました。
昭和58年1月に教育テレビで放送した「
ビジネスネットワーク トップ・インタビュー」では、
合併した自動車会社の展望や
自動車業界を取り巻く環境などについて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月26日(月)
さいとう・たかを(1936-2021)(2)
「日曜喫茶室 絶滅保護種・いい男」
平成13年5月6日 FM
(詳細)
劇画家のさいとう・たかをは、24歳の時に制作会社
「さいとう・プロダクション」を設立し、
分業体制で「劇画」を制作する仕組みを作りました。
この体制で制作したのが、その後大ヒットした
「ゴルゴ13」でした。
平成13年5月にFMで放送された
「日曜喫茶室 絶滅保護種・いい男」では、
自身の原点である戦争体験や「ゴルゴ13」制作のいきさつ、
またその主人公の「デューク東郷」の
人物像についても詳しく話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月19日(月)
さいとう・たかを(1936-2021)(1)
「わたしの青春ノート」
教育テレビ
(詳細)
劇画家のさいとう・たかをは和歌山県の生まれ、
終戦後、アメリカのコミック本に夢中になります。
家業の理容業を引き継ぎますが、漫画家になるため
21歳の時に上京し、仲間たちと「劇画工房」を結成します。
昭和62年5月に教育テレビで放送された
「わたしの青春ノート」では、漫画との出会いや、
プロの道に入るキッカケについて、また問題児だった中学時代、
その後の人生に大きな影響を受けた担任の先生のことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月12日(月)
松本零士(1938-2023)(2)
「ラジオ深夜便 明日へのことば 戦争平和インタビュー
人は生きるために生まれてきた」
平成30年8月16日放送 R1
(詳細)
漫画家の松本零士は36歳の時に「宇宙戦艦ヤマト」の
連載を開始し、大ヒットします。
その後「銀河鉄道999」も話題作となり、
作品は世界中に広まっていきます。
あわせて「戦争漫画」も描き、戦争の悲惨さを訴えました。
平成30年8月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 戦争平和インタビュー 人は生きるために生まれてきた」
では、戦闘機に乗っていた父親の体験や、
戦争漫画に込めた思いなどを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月5日(月)
松本零士(1938-2023)(1)
「青春を語る」
昭和58年10月13日放送 R2
(詳細)
漫画家の松本零士は福岡県久留米市で生まれで、
高校生の頃から漫画を描き始めました。
19歳の時に上京し、初めは少女漫画を描いて漫画家デビューをしました。
その後下宿時代の体験を基にした「男おいどん」を連載し、
これが出世作になります。
昭和52年10月にラジオ第2で放送された
「青春を語る」では、漫画家を目指し始めた頃のことや、
四畳半での一人暮らしから生まれた青春漫画
「男おいどん」のことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月29日(月)
柏戸(1938-1996)・大鵬(1940-2013)
「力士生活について」
昭和39年1月9日と昭和39年5月4日 いずれもR1
(詳細)
柏戸と大鵬。柏戸は山形県鶴岡市出身で、昭和29年に
初土俵、昭和36年大鵬と揃って横綱に昇進しました。
昭和39年1月にラジオ第1で放送した「力士生活について」では、
横綱になってから4場所休場後、復活の全勝優勝した
時のことを語っています。
大鵬は樺太生まれ、昭和31年に初土俵、
第48代横綱になりました。
昭和39年5月にラジオ第1で放送した
「力士生活について」では
相撲と向き合った日々のことを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月22日(月)
二子山勝治(1928-2010)
「日曜インタビュー 見せる土俵」
平成3年6月9日 総合テレビ
(詳細)
第45代横綱の若乃花は幕内優勝を10回飾り、
後進の柏戸と大鵬が横綱に昇進した後の
昭和37年に引退しました。
その後、昭和63年に春日野理事長から引き継いで
日本相撲協会の理事長に就任し、土俵の充実を図りました。
平成3年6月に教育テレビで放送された「
日曜インタビュー 見せる土俵」では、
相撲取りにとっての稽古の大切さや、
相撲界のあるべき姿について話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月15日(月)
若乃花(1928-2010)
「力士生活について」
昭和34年6月17日 R1
(詳細)
第45代横綱の若乃花は青森県弘前市生まれで、
昭和21年二所ノ関部屋に入門し、初土俵を踏みます。
そして昭和25年に新入幕し、昭和33年30歳で
第45代横綱に昇進しました。
横綱昇進後の6月にラジオ第1で放送された
「力士生活について」では、地元の草相撲で強かったことが
きっかけで二所ノ関部屋に入門したことや、
大関時代に長男を亡くして、苦しかった時のことなどを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月8日(月)
春日野清隆(1962- )
「今週の顔 新国技館の生みの親」
昭和60年1月8日 教育テレビ
(詳細)
栃錦は幕内優勝を10回飾り、昭和35年春場所の千秋楽、
全勝対決で若乃花に敗れ引退しました。
その後春日野親方として昭和49年に日本相撲協会の理事長に就任し、
昭和60年に現在の両国国技館を完成させました。
昭和60年1月に教育テレビで放送された
「今週の顔 新国技館の生みの親」では、
新しい両国国技館を建設するまでの経緯を語っています。
また相撲取りではなく「力のある紳士・力士」
をつくる理想を話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月1日(月)
栃錦(1925-1990)
「力士生活について」
昭和30年5月31日 R1
(詳細)
栃錦は東京江戸川区小岩の生まれで、昭和13年に
春日野部屋に入り、翌年の14年春場所で初土俵を踏みます。
戦時中は応召しましたが、戦後の昭和22年に新入幕し、
昭和30年第44代横綱に昇進しました。
昇進後の昭和30年5月にラジオ第1で放送された
「力士生活について」では、力士になるキッカケや
入門した頃を振り返っています。
また横綱になった昭和30年夏場所での
大型力士・大内山との熱戦についても語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月25日(月) (2)
杉村春子(1906-1997)
「芸と人」
昭和56年3月7日放送 R1
(詳細)
俳優の杉村春子は、昭和20年の戦時中から演じた
「女の一生」が評価され、昭和23年に日本芸術院賞を受賞。
その後「訪中新劇団」にも参加し、中国でも
「女の一生」を公演しました。
そして昭和49年には文化功労者に選ばれました。
昭和56年3月にラジオ第1で放送された「
芸と人」では、戦前からの演劇にかける
熱い思いや公演通算947回に及ぶ代表作
「女の一生」の中の有名な台詞を、自分の人生と
重ね合わせて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月18日(月) (1)
杉村春子(1906-1997)
「わが故郷わが青春 広島市」
昭和62年3月1日放送 R1
(詳細)
俳優の杉村春子は広島市に生まれ、上野の東京音楽学校を
受験しますが失敗し、広島で音楽教師になります。
その後「築地小劇場」のことを聞き、再度上京し劇団員に。
昭和12年に「文学座」創立に参加し、
「女の一生」初演では主役を演じます。
昭和62年3月にラジオ第1で放送された
「わが故郷わが青春」では、俳優への道に入った頃のことや、
文学座で学んだ日々、特に演劇界に革新をおこした
小山内薫などについて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月11日(月) (2)
奈良岡朋子(1929-2023)
「ラジオ深夜便 女優が語る 私の人生」
平成22年9月4日放送 R1
(詳細)
俳優・奈良岡朋子は、昭和25年に現在の「劇団民芸」が
スタートした時の第1回公演・チェーホフの「かもめ」で
ニーナという役に抜擢され、その後「イルクーツク物語」などで
演出家・宇野重吉の厳しい指導を受けました。
平成22年9月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 女優が語る 私の人生」では、
先輩の宇野重吉の演出のことや、別の劇団の所属ながら細かい
演技指導を受けた杉村春子のことなどについて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月4日(月) (1)
奈良岡朋子(1929-2023)
「ラジオ深夜便 女優が語る 私の人生」
平成22年9月4日放送 R1
(詳細)
俳優・奈良岡朋子は東京で生まれ、戦後疎開から東京に
戻った昭和22年に女子美術大学に入学し、
洋画を専攻します。
大学では舞台装置に興味を持って演劇部に入部。
演技の勉強の為に劇団民芸の研究生となり、
そのまま昭和24年に正式にデビューすることになります。
平成22年9月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 女優が語る 私の人生」では、
俳優の道に入った頃のことや劇団民芸で学んだことなどについて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月27日(月) (2)
永井路子(1925-2023)
「自作を語る 歴史文学の中の女流 炎環」
昭和61年2月23日 R1
(詳細)
作家の永井路子は、昭和39年に鎌倉時代の人物像を描いた
「炎環」で、直木賞を受賞しました。
またこの小説などを基にしたNHK大河ドラマ「草燃える」や、
小説「山霧」を基にした大河ドラマ「毛利元就」が放送され、
放送文化賞も受賞します。
昭和61年2月に放送された
「自作を語る 歴史文学の中の女流 炎環」では、
直木賞受賞作「炎環」で描いたことや、鎌倉時代の歴史の見方、
その面白さについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月20日(月) (1)
永井路子(1925-2023)
「文学と私」
昭和57年頃放送 R1
(詳細)
作家の永井路子は東京生まれで、茨城県の古河市で育ち、
叔父の影響で本の好きな少女に育ちました。
東京女子大学を卒業後、昭和24年に小学館に入社し
雑誌の編集者になります。
27歳の時、応募した作品がサンデー毎日の懸賞小説で
第2席に入選したことから作家を目指します。
昭和57年頃に放送された「文学と私」では、
学生時代から作家を目指すまでのことや、
歴史小説を書くことの面白さについて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月13日(月) (2)
大江健三郎(1935-2023)
「ラジオ深夜便」「ノーベル賞作家、人生と日本を語る」
平成24年9月27日 R1
(詳細)
作家の大江健三郎は「ヒロシマ・ノート」や「沖縄ノート」
などのルポルタージュも書き、
日本のあり方について積極的に発言しました。
平成6年には川端康成に次いで、日本で二人目の
ノーベル文学賞の受賞者となりました。
平成24年9月にラジオ深夜便で放送された
「ノーベル賞作家 人生と日本を語る」では、
代表作の「ヒロシマ・ノート」や「沖縄ノート」のこと、
さらに次の世代に伝え残しておきたい言葉について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月6日(月) (1)
大江健三郎(1935-2023)
「ラジオ深夜便」「ノーベル賞作家、人生と日本を語る」
平成24年9月27日 R1
(詳細)
作家の大江健三郎は愛媛県内子町で生まれ、
昭和29年に東京大学入学。
在学中の昭和33年23歳の時に「飼育」で芥川賞を受賞しました。
その後「個人的な体験」や「万延元年のフットボール」などを発表。
文壇の中心で活躍するようになります。
平成24年9月に「ラジオ深夜便」で放送された「
ノーベル賞作家、人生と日本を語る」では、
親友の伊丹十三の思い出や東京大学での
恩師・渡辺一夫に学んだことなどを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月30日(月)
中村 克郎(1926-2012)
「わが故郷わが青春 中国・武漢」
平成7年8月13日放送 R1
(詳細)
医師の中村克郎は、戦時中、学徒出陣した
兄・中村徳郎に日記を託されました。
戦後亡くなった兄の遺志を世に出そうと昭和22年に
「はるかなる山河に」を出版し、のちの
「きけわだつみのこえ」に繋がります。
平成7年8月に放送された「わが故郷わが青春」では、
日記を渡された時の思いや、
戦争の悲劇を繰り返さないためには無関心という心の外套(とう)を
脱ぎ捨てなければならない、ということを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月23日(月) (2)
安田 武(1922-1986)
「この人にきく」
昭和44年12月2日放送
(詳細)
評論家の安田武は、戦時中の「学徒出陣」を批判し、
昭和28年に「学徒不戦の誓い」を提唱しました。
「誓い」では、これからは理不尽な戦争をしないという宣言を
明かにし、第2次「わだつみ会」の再建にも力を注ぎます。
昭和44年年12月に放送された「この人にきく」では、
わだつみ会の象徴の「わだつみ像」が破壊された事件に関連して
「戦中派」と「戦後派」が対話をして歴史から学ぶ大切さを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月16日(月) (1)
安田 武(1922-1986)
「この人にきく」
昭和44年12月2日放送
(詳細)
評論家の安田武は大正11年生まれ、昭和18年に
学徒出陣で朝鮮半島へ渡りました。
敗戦直後にソ連軍の捕虜となり、シベリア抑留の
あと昭和22年に帰還しました。
昭和44年年12月にラジオ第1で放送された
「この人に聞く」では、
自分自身の戦争体験や学徒出陣の教訓、
そして戦後「きけわだつにのこえ」を読んで、
自分たち戦中派があの戦争で死んでいった若者たちの
無念さを歴史に残していかなければならない、と話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月9日(月) (2)
江橋 新四郎(1920-2018)
「江橋慎四郎へのインタビュー」
平成28年10月30日録音
(詳細)
昭和18年の学徒出陣で答辞を読んだ当時東京大学文学部学生の
江橋慎四郎は、戦後東京大学に戻って社会体育学を専門にし、
東京大学教授の後は日本初の国立体育大学・鹿屋体育大学
の初代学長に就任しました。
学徒出陣から67年後の平成28年10月に東京大学の
新藤浩伸准教授が行ったインタビューでは、
「戦争の時代は誤った情報に惑わされてしまった。
今の若者は情報に操作されない賢明な人間になってほしい。」
と訴えています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月2日(月) (1)
江橋 新四郎(1920-2018)
「出陣学徒壮行会」 昭和18年10月21日 ラジオ実況中継、
「江橋慎四郎へのインタビュー」平成28年9月10日録音
(詳細)
東京大学名誉教授の江橋慎四郎は、昭和17年に
東京帝国大学文学部に入学しました。
そして昭和18年10月21日の出陣学徒壮行会では
学徒代表として答辞を読みました。
学徒出陣から67年後の平成28年9月に
東京大学の新藤浩伸准教授が行ったインタビューでは、
「あの時代は間違っていた。
しかし当時は情報が統制されて、真実を知る由は無かった。
今の若者は自分たちと同じような過ちはしないで欲しい。」
と語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月25日(月) (2)
色川大吉(1925-2021)
ラジオ深夜便「明日(あす)へのことば 自分史を提唱して35年」
平成23年1月19日 R1
(詳細)
歴史家の色川大吉は昭和43年民衆の史料を調査中、
東京多摩地区の旧家で「五日市憲法」を発見し、
歴史学の上で画期的な発見として大きな話題を呼びました。
その後も庶民の歴史にスポットを当て「自分史五部作」を刊行。
平成23年1月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 自分史を提唱して35年」では、
自分の著作「自分史5部作」や、戦後日本の復興を支えた
庶民のエネルギー、また日本社会への展望ついて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月18日(月) (1)
色川大吉(1925-2021)
ラジオ深夜便「明日(あす)へのことば 自分史を提唱して35年」
平成23年1月18日、R1
(詳細)
歴史家の色川大吉は千葉県香取市に生まれ、
昭和18年東京帝国大学文学部に入り、
学徒出陣を経験した後、24年に卒業しました。
卒論は「明治精神史 主体性の研究」で、民衆精神史の研究を始めました。
平成23年1月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便、自分史を提唱して35年」では、
自ら考え出した「自分史」の定義や、日本の歴史の中に庶民の歴史である
「自分史」を生かして行くことの重要性ついて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月11日(月) (2)
宮沢賢治(1896-1933)
高村光太郎(1883-1956)
「わが文学わが回想」
昭和58年8月11日 R2
「夕べのひととき」
昭和57年7月16日 FM盛岡ローカル
(詳細)
宮沢賢治没後90年「賢治を語る」。
2回目は詩人の草野心平です。
草野心平は大正13年、賢治の詩集「春と修羅」を読み、
その詩の斬新さに注目し同人の詩誌「銅鑼」に誘います。
大正15年12月の「銅鑼」には有名な
「永訣の朝」が掲載されます。
昭和58年8月にラジオ第2で放送された
「わが文学わが回想」では、心平が賢治を読んで
詩の世界に入って行ったことや、亡くなってから
一週間目に花巻を訪問したことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月4日(月) (1)
宮沢賢治(1896-1933)
高村光太郎(1883-1956)
「朝の訪問」昭和24年11月録音
R1未放送 宮澤清六朗読「原体剣舞連」「春と修羅」
(詳細)
詩人で童話作家の宮沢賢治が亡くなって今年で90年になります。
賢治本人の音声記録は残念ながら残っていませんが、
縁のある人たちの言葉で宮沢賢治を偲びます。
1回目は彫刻家で詩人の高村光太郎です。
高村光太郎は昭和20年4月に空襲でアトリエを焼け出され、
賢治の故郷・岩手県花巻市に疎開しました。
昭和24年11月収録「朝の訪問」では、
自分の理念や生き方に合った岩手県の土地柄や県民性について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月28日(月) (2)
益川敏秀(1940-2021)
「ラジオ深夜便 こころの時代 科学者は平和と、どう向き合うか」
平成21年8月7日 R1
(詳細)
物理学者の益川敏英は平成9年57歳で
京都大学基礎物理学研究所の所長に就任し、
平成20年には文化勲章とノーベル物理学賞を受賞しました。
その間に「九条科学者の会」を立ち上げ、
科学者の立場から平和を訴えるようになります。
平成21年8月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 こころの時代 科学者は平和と、どう向き合うか」で、
平和な世界を実現するためには科学者と世論が
力を合わせることが大切だと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月21日(月) (1)
益川敏秀(1940-2021)
「ラジオ深夜便 こころの時代 科学者は平和と、どう向き合うか」
平成21年8月7日 R1
(詳細)
物理学者の益川敏英は名古屋市に生まれ、
昭和37年名古屋大学理学部を卒業しました。
その後京都大学理学部の助手となり、研究会では日本で
初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹からも学びました。
平成21年8月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 こころの時代 科学者は平和と、どう向き合うか」では、
戦争体験や、科学の道に入るキッカケなどを語り、
科学者が一市民として出来ることやその責任について話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月14日(月) (2)
高木仁三郎(1938-2000)
「NHK人間講座、人間の顔をした科学を求めて 臨界事故から思索する」
平成12年3月30日 教育テレビ放送
(詳細)
核化学者の高木仁三郎は、昭和62年
「原子力資料情報室」の代表に就任。
翌年には「反原発運動全国集会」の事務局長に就き、
市民の立場に立った反原発運動を展開しました。
平成12年3月に放送された
「NHK人間講座 人間の顔をした科学を求めて 臨界事故から思索する」
では、日本のエネルギー問題や科学と人間の問題について語り、
科学を人間のものとして取り戻す学びの場として
「高木学校」を設立したと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月7日(月) (1)
高木仁三郎(1938-2000)
「NHK人間講座 人間の顔をした科学を求めて 臨界事故から思索する」
平成12年3月28日 教育テレビ
(詳細)
核化学者の高木仁三郎は群馬県前橋市で生まれで、
昭和36年に東京大学理学部化学科を卒業。
日本原子力事業に入社した後、大学での研究生活を送りますが、
その後市民団体の「原子力情報室」にその場を移します。
平成12年3月に教育テレビで放送された「
NHK人間講座 人間の顔をした科学を求めて 臨界事故から思索する」では、
平成11年9月に茨城県東海村で起こった臨界事故を例にとり、
核事故の怖さについて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月31日(月) (2)
北杜夫(1927-2011)
「文学と私」
昭和55年1月23日放送 R2
(詳細)
医師で作家の北杜夫は、憧れの作家、トーマス・マンに少しでも
近づきたいと大学に入ってから小説を書き始めました。
ペンネームも彼に由来しています。
昭和35年に出版した「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーになり、
同じ年の「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞しました。
昭和55年1月にラジオ第2で放送された「文学と私」では、
小説を書き始めた頃のことやユーモア精神へのこだわりについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月24日(月) (1)
北杜夫(1927-2011)
「文学と私」
昭和55年1月23日放送 R2
(詳細)
医師で作家の北杜夫は、アララギ派の歌人・斎藤茂吉の
次男として東京青山で生まれ、青年時代から父・茂吉に大きな影響を受けました
。父の命で東北大学医学部に入り医師となりましたが、
同時に作家としての活動も始め、二足の草鞋を履くことになります
。昭和55年1月にラジオ第2で放送された「文学と私」では、
自分の子ども時代を振り返り、昆虫マニアだったことや
父・茂吉から厳しくしつけられたことを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月17日(月) (3)
日野原重明(1911-2017)
「97歳 生涯現役 働くことは生きること」
平成20年11月22日放送 R1
(詳細)
医師の日野原重明は、90歳の時に「生き方上手」を出版し
ベストセラーになりました。
その中で日野原は“人生訓”とも言えるさまざまな名言を語っています。
例えば<老いとは衰弱ではなく、成熟することです>など、
より良い晩年の生き方を提示しています。
平成20年11月、日野原が97歳の時にラジオ第1で放送された
「97歳 生涯現役 働くことは生きること」では、
新しい老人の生き方の5か条について熱く語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月10日(月) (2)
日野原重明(1911-2017)
「文化講演会 あなたの健康寿命を、どうして自分のものにすべきか」
平成12年6月4日 R2
(詳細)
医師の日野原重明は、子供の頃からピアノを習い、
中学高校時代は弁論部に入りました。
その後京都帝国大学医学部に進み、30歳の時に
聖路加国際病院の内科医となりました。
平成12年6月、日野原が88歳の時にラジオ第2で放送された
「文化講演会 あなたの健康寿命を、どうして自分のものにすべきか」
では、人生後半の生き方について語り、後半人生は自分を作りつつ
成長する人生であり、人のために貢献すべきだと説いています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月3日(月) (1)
日野原重明(1911-2017)
「ラジオ深夜便、母を語る」
平成9年7月22日 R1
(詳細)
医師の日野原重明は、100歳を越えても医療現場の最前線に
立ち続け、患者と向き合ってきました。
かつて「成人病」と呼ばれてきた脳卒中や心臓病などを
「生活習慣病」と呼んで、その予防を提唱しました。
平成9年7月、日野原が85歳の時にラジオ第1で
放送された「ラジオ深夜便 母を語る」では、母親の思い出に
合わせて自分自身の子ども時代のことを振り返っており、
医師を目指したのは母の強い望みだったことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月26日(月) (2)
草柳大蔵(1924-2004)
「人生読本 出会いと間合い」
平成8年4月1、3日 R1
(詳細)
評論家の草柳大蔵は、産経新聞を辞めたあとフリーの
ルポライターとして、様々な人物論、社会時評、
ルポルタージュを著したほか、テレビの司会を
務めるなどマスコミの世界で多彩な活動をつづけました。
平成8年4月にラジオ第1で放送された「
人生読本 出会いと間合い」では、
例えば「人間(じんかん)距離」つまり人と人との距離の
取り方の大切さや、「別れ」にまつわる奥深い体験などを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月19日(月) (1)
草柳大蔵(1924-2004)
「私の日本語辞典 時代を映す鏡」
平成13年7月15日 R2
(詳細)
評論家の草柳大蔵は、横浜出身、東京大学法学部を卒業後、
大宅壮一に師事したのち、記者、編集者、評論家として
多彩に活動しました。
昭和30年代には「週刊新潮」や「女性自身」の創刊に参加、
週刊誌ブームの一翼を担います。
平成13年7月にラジオ第2で放送された
「私の日本語辞典 時代を映す鏡」では、
戦後のアメリカジャーナリズムとの出会いや、
大宅壮一の文体模写が認められて弟子になったことなどを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月12日(月) (2)
扇谷正造(1913-1992)
「わたしの自叙伝 地方的文化人の半生」
昭和53年10月26日 教育テレビ
(詳細)
評論家の扇谷正造は、かつて所属した陸軍での
壮絶な体験をもとに戦時中の新聞のあり方を反省し、
それは反戦・反権力の姿勢につながりました。
昭和53年10月に教育テレビで放送された
「わたしの自叙伝 地方的文化人の半生」では、
自らの生い立ちや、近代ジャーナリズムの基本、
また「週刊朝日」の販売戦略について語り、
そこでは財布のひもを握る主婦の読者に焦点を当て、
週刊誌を生活必需品にしようという着想について話します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月5日(月) (1)
扇谷正造(1913-1992)
「わが故郷わが青春、宮城県涌谷町」
平成2年1月28日、R1
(詳細)
評論家の扇谷正造は宮城県の出身で、東
京帝国大学を卒業後、朝日新聞社に入社。
週刊朝日編集長になり、発行部数を飛躍的に
伸ばして週刊誌ブームを作りました。
平成2年1月にラジオ第1で放送された
「わが故郷わが青春 宮城県涌谷町」では、
旧制高校で青春をおう歌したこと、東大新聞編集部員として
の思い出、また朝日新聞に入ってから
「週刊朝日」の担当者となり、政治でも経済でも
分かり易い雑誌を目指したことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月29日(月) (3)
米沢富美子(1938-2019)
「ラジオ深夜便 オトナの生き方 人生はいつでもチャレンジ」後半
平成25年2月10日放送 R1
(詳細)
物理学者で慶応義塾大学名誉教授の米沢富美子は、
物理学の研究を続ける傍ら3人の子どもを育て、
晩年は母親の介護にも当たり、
更には後進の女性科学者を育てる活動もしてきました。
平成25年2月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 オトナの生き方 人生はいつもチャレンジ」では、
小中学生の理系女子の育成や、「朗朗介護」の考え方、
また生きていく上で大切にしている「5つの心得・モットー」
について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月22日(月) (2)
米沢富美子(1938-2019)
「ラジオ深夜便 オトナの生き方 人生はいつでもチャレンジ」前半
平成25年2月10日放送 R1
(詳細)
物理学者で慶応義塾大学名誉教授の米沢富美子は、
結婚後3人の子どもを出産した後も研究を続け、
世界に通用する論文を発表しました。
また57歳の時には女性として初めての
日本物理学会の会長に就任しました。
平成25年2月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 オトナの生き方 人生はいつもチャレンジ」では、
物理学の魅力や学界の会長に選出された時の思い、
また研究生活をする際の自分独自のやり方について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月15日(月) (1)
米沢富美子(1938-2019)
「文化講演会 二人で紡いだ人生」
平成14年5月19日放送 R2
(詳細)
物理学者で慶応義塾大学名誉教授の米沢富美子は、
ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士に憧れて、
京都大学の理学部物理学科に入学しました。
そのあと大学院の博士課程に進み、
結婚後は海外の大学でも研究しました。
平成14年5月にラジオ第2で放送された
「文化講演会 二人で紡いだ人生」では、
母親から学んだ数学の楽しさや夫から激励されたことば、
それに子どもを育てながら、考え出した物理学の理論について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月8日(月) (2)
猿橋 勝子(1920-2007)
「人生読本 女として科学者として」(3)
昭和56年12月23日放送 R1
(詳細)
地球化学者の猿橋勝子は、37歳の時に東京大学理学部で
博士号を取得し、翌年には「日本婦人科学者の会」を立ち上げました。
気象研究所を退官した後は「女性科学者に明るい未来の会」を作り、
「猿橋賞」を創設しました。
昭和56年12月にラジオ第1で放送された
「人生読本 女として科学者として」では、
中央気象所で研究した放射性元素のポロニウムや放射能汚染の調査のこと、
また核の恐ろしさについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月1日(月) (1)
猿橋 勝子(1920-2007)
「人生読本 女として科学者として」(1,2)
昭和56年12月21,22日放送 R1
(詳細)
地球化学者の猿橋勝子は、東京で生まれ初め医師を
目指し合格しますが校長の姿勢に疑問を持ち、
帝国女子理学専門学校の第1期生として理学を勉強します。
卒業後は中央気象台に勤務し、昭和29年には第五福竜丸の
「死の灰」の分析に関わります。
昭和56年12月にラジオ第1で放送された「人生読本 女として科学者として」
では、自ら進んで科学者になったキッカケや研究の魅力、
またマリー・キュリーに憧れたことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月24日(月) (2)
橋田寿賀子(1925-2021)
「土曜サロン トークサロン」後半
平成6年11月26日放送 R1
(詳細)
脚本家の橋田寿賀子は、「おんな太閤記」で初めて
NHK大河ドラマの脚本を担当し、その後も大河ドラマ
「春日局」を書きました。
民放ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」は30年近く放送されました
。平成6年11月にラジオ第1で放送された「
土曜サロン トークサロン」では、脚本家として映画から
テレビの世界へ移ってきた頃のことや、テレビ界でのさまざまな人との
出会い、また橋田ドラマ独特の長いセリフの由来などを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月17日(月) (1)
橋田寿賀子(1925-2021)
「土曜サロン トークサロン」前半
平成6年11月26日放送 R1
(詳細)
脚本家の橋田寿賀子は、昭和24年松竹初の女性社員として
京都撮影所脚本課に入り、その後フリーとなりました。
昭和58年にNHKで放送された朝の連続テレビ小説「おしん」
が大ヒットし、女性脚本家としての地位を確立。
平成6年11月にラジオ第1で放送された
「土曜サロン トークサロン」では、自宅のある熱海での
生活や放送中の「春よ、来い」への思いを語ります。
また脚本家は、色々な人生を生きられて良かったと言います。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月10日(月) (2)
井上ひさし(1934-2010)
「特集100年インタビュー」
後半 平成19年9月20日放送 BSHV
(詳細)
劇作家の井上ひさしは、昭和47年37歳の時
「手鎖心中」で直木賞を受賞。
その後執筆した小説「吉里吉里人」がベストセラーになり、
劇団こまつ座を立ち上げて「頭痛肩こり樋口一葉」
を上演しました。
平成19年9月に放送された「特集100年インタビュー」では、
ドラマの脚本や舞台の劇作、そして小説の執筆など
創作を続けてきた日々を振り返りながら、書くことへの
思いや言葉へのこだわりを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月3日(月) (1)
井上ひさし(1934-2010)
「特集100年インタビュー」
前半 平成19年9月20日放送 BSHV
(詳細)
劇作家の井上ひさしは、昭和9年山形県で生まれ、
上智大学を卒業後、戯曲やラジオドラマの脚本を書き始めました
。昭和39年からNHKで放送された
「ひょっこりひょうたん島」で売れっ子の放送作家になります。
平成19年9月に放送された「特集100年インタビュー」では、
自分の生い立ちや5歳の時亡くなった父親が脚本家を
目指していたこと、苦労した母親への思い、
また将来の夢が映画監督や物書きだったことを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月27日(月) (3)
山崎豊子(1924-2013)
「巨悪に挑んで35年 創作の舞台裏」
後半 平成12年3月11日放送 ラジオ第1
(詳細)
作家の山崎豊子は「大地の子」を出版後アフリカを旅し、
それがきっかけで長編小説「沈まぬ太陽」に取り掛かります。
巨大企業、政治家、官僚、主人公のモデル男性など
多方面にわたる粘り強い取材でこの作品を完成させました。
平成12年3月にラジオ第1で放送された
「巨悪に挑んで35年 創作の舞台裏」後半では、
戦争で生き残った作家として、圧力に屈せず勇気をもって書き、
死んだ人の分まできちんと生きる、と語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月20日(月) (2)
山崎豊子(1924-2013)
「巨悪に挑んで35年 創作の舞台裏」前半
平成12年3月11日放送 ラジオ第1
(詳細)
作家の山崎豊子が75歳の時に出版した長編小説
「沈まぬ太陽」は、昭和60年に実際に起きて520人もの
犠牲者を出した航空機事故を取材し、事故に航空会社と
政界の癒着や会社の不正などを絡め巨悪を浮き彫りにしていく小説。
平成12年3月にラジオ第1で放送された
「巨悪に挑んで35年 創作の舞台裏」前半では、
この作品の取材の中で、御巣鷹山での実際の事故の犠牲者が
機内で書いた直筆の遺書を見た時の衝撃を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月13日(月)
山崎豊子(1924-2013)
「スタジオパークからこんにちは」
平成11年10月28日放送 GTV
(詳細)
作家の山崎豊子は大阪船場の生まれで、京都女子大学を
卒業後毎日新聞に入社し、33歳で自伝的小説「暖簾」で作家デビュー。
翌年「花のれん」で直木賞を受賞し、
その後「白い巨塔」「不毛地帯」など次々とベストセラーを発表しました。
平成11年10月に放送された「スタジオパークからこんにちは」では、
自分の生い立ちや「大地の子」など戦争三部作につながった戦争体験、
75歳で出版した「沈まぬ太陽」のことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月6日(月)
有吉佐和子(1931-1984)
「文学と私」
昭和48年5月2日放送 ラジオ第2
(詳細)
作家の有吉佐和子は、東京女子大学短期大学部を卒業し
演劇評論家を目指しますが、小説も執筆。
自伝的小説「紀ノ川」など紀州3部作や「華岡青洲の妻」を発表。
40代になってから「恍惚の人」「複合汚染」などで
社会派作家とも呼ばれました。
昭和48年5月にラジオ第2で放送した「文学と私」では、
外国で過ごした子ども時代や、昭和16年に帰国後日本の
現実を知って落胆したこと、また小説を
書くことの意義などを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月27日(月)
高田賢三(1939-2020)
「日曜訪問 パリを離れて」
平成11年10月31日放送 ラジオ第1
(詳細)
高田賢三は2020年10月、81歳で亡くなりました。
1964年にフランスに渡り、6年後にパリでブティックを開店。
そのオープニングショーの作品が有名な
ファッション雑誌の表紙を飾り、一躍「KENZO」ブランドが
世界に広まりました。
平成11年10月に放送された「日曜訪問 パリを離れて」では、
25歳のとき船でひと月かけてフランスに渡ったことや、
60歳でブランドのデザイナーを退いた理由などを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月20日(月)
山本 寛斎(1944-2020)
ラジオ深夜便「明日へのことば 熱き心、今も」
平成31年2月26日放送 ラジオ第1
(詳細)
山本寛斎は2020年7月、76歳で亡くなりました。
ロンドンやパリ、ニューヨークなどで活躍して
デザイナーの地位を確立し、さらにファッションの枠を飛び越えて、
モスクワ・赤の広場をはじめ、
ベトナムやインドなどで大規模イベントを成功させました。
平成31年2月放送のラジオ深夜便「熱き心、今も」では、
ファッションデザイナーとして歩み初めた頃のことや、
海外で行ったイベントの成功や失敗の思い出を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月13日(月)
森 英恵(1926-2022)
ラジオ深夜便「隠居大学」
平成23年8月29日放送 ラジオ第1
(詳細)
森英恵は去年8月、96歳で亡くなりました。
国際的に高い評価を受けた日本を代表する
ファッションデザイナーの一人です。
1965年にニューヨークで初めて海外コレクションを発表し、
1976年にはパリに現地法人を設立。
平成23年8月にラジオ第1で放送された
ラジオ深夜便「隠居大学」では、結婚後、
新宿で洋装店を始めた頃のことや、その後、
国際的なデザイナーとして
ニューヨークやパリで認められたことを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月6日(月)
三宅一生(1938-2022)
ラジオ深夜便「オトナの生き方 デザインとわたし」
平成24年12月23日放送 ラジオ第1
(詳細)
三宅一生は去年8月、84歳で亡くなりました。
国際的に高い評価を受けた日本を代表する
ファッションデザイナーの一人です。
1965年からパリで学んで国際的な活動を始め、
1970年には東京に拠点を移して
「三宅デザイン事務所」を設立しました。
平成24年12月にラジオ第1で放送されたラジオ深夜便
「デザインとわたし」では、広島での少年時代のことや
被爆体験、また誰でも楽しく着られる服作りについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月30日(月) (2)
四代目坂田藤十郎(1931-2020)
「ラジオ深夜便 新春インタビュー」
平成18年1月2日放送 ラジオ第1
(詳細)
歌舞伎役者の四代目坂田藤十郎は、
演出家の武智鉄二と出会い歌舞伎役者として開眼しました。
その後、父親の二代目雁治郎と共演した
「曾根崎心中」のお初役が大当たりし、
近松門左衛門の作品を積極的に演じることになります。
平成18年1月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 新春インタビュー」では、
武智鉄二との出会いや武智歌舞伎に参加したこと、
それに近松門左衛門の作品に取り組む心構えなどについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月23日(月) (1)
四代目坂田藤十郎(1931-2020)
「ラジオ深夜便 新春インタビュー」
平成18年1月1日放送 ラジオ第1
(詳細)
歌舞伎役者の四代目坂田藤十郎は、
昭和16年に二代目中村扇雀、
平成2年に三代目中村雁治郎を襲名し、
平成17年(2005年)73歳の時に、
江戸時代に途絶えていた坂田藤十郎の名跡を231年ぶりに
襲名し復活させました。
平成18年1月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 新春インタビュー」では、「坂田藤十郎」
という名前を復活させた思いや、
上方歌舞伎と江戸歌舞伎のそれぞれの特徴や魅力を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月16日(月) (3)
十二代目市川團十郎(1946-2013)
「文化講演会 市川團十郎の世界」
平成19年8月12日放送 ラジオ第2
(詳細)
歌舞伎役者の十二代目市川團十郎は、
長年、持病の白血病に苦しみました。
平成16年5月「十一代目市川海老蔵襲名披露」の公演中に
白血病で入院しましたがその年の10月に復帰して、
その披露公演をパリで行いました。
平成19年8月にラジオ第2で放送された
「文化講演会 市川團十郎の世界」では、パリ・オペラ座でフランス語で
行った口上のことや、演目の「勧進帳」や「紅葉狩」
のフランス人の受けとめ方について話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月9日(月) (2)
十二代目市川團十郎(1946-2013)
「ラジオ深夜便 新春インタビュー」
平成16年1月4日放送 ラジオ第1
(詳細)
歌舞伎役者の十二代目市川團十郎は、歌舞伎の
海外公演を積極的に行い、アメリカやオーストラリア、ヨーロッパ各地で
歌舞伎文化を広めました。
平成16年1月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 新春インタビュー」では、
團十郎の「にらみ」や歌舞伎十八番、江戸歌舞伎の歴史、
また絵画や俳句などの自分の趣味、さらに歌舞伎の本質について語り、
歌舞伎を世界にアピールしていきたいと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月2日(月) (1)
十二代目市川團十郎(1946-2013)
「ラジオ深夜便 新春インタビュー」
平成16年1月3日放送 ラジオ第1
(詳細)
歌舞伎役者の十二代目市川團十郎は、平成25年2月に
66歳で亡くなり、2023年に没後10年を迎えます。
十二代目團十郎は、父親の十一代目が亡くなってから
20年後に名跡を継ぎ、アメリカでも襲名披露公演を行いました。
平成16年1月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 新春インタビュー」では、
2022年に名跡を継いで十三代目を襲名した
当時の市川新之助のことや自分の子供時代のことを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月26日(月) (2)
立花 隆(1940-2021)
「自作を語る 宇宙からの帰還」
昭和60年9月22日放送 ラジオ第2
(詳細)
ジャーナリストの立花隆は、デビュー作となった
「田中角栄研究〜その金脈と人脈」のあとも、
「宇宙からの帰還」や「脳死」などの著作で注目を集め、
NHKスペシャルにも「臨死体験」などのテーマで出演しました。
昭和60年9月にラジオ第2で放送された
「自作を語る 宇宙からの帰還」では、宇宙飛行士のその後を
取材したいと思ったきっかけやその取材方法、
また元宇宙飛行士と話して感じたことなどを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月19日(月) (1)
立花 隆(1940-2021)
日曜喫茶室 脳は無限の大宇宙」
昭和62年1月18日放送 FM
(詳細)
ジャーナリストの立花隆は、東京大学文学部を
卒業したあと文藝春秋に入社します。
しかし3年足らずで退社し、フリーライターとして
昭和49年に発表した「田中角栄研究〜その金脈と人脈」
で一躍脚光を浴びました。
昭和62年1月に放送された「日曜喫茶室 脳は無限の大宇宙」では、
フリーとして活動を始めた頃を振り返りながら、
テーマの選び方や取材の仕方、また生涯のテーマとなる
人間の脳の働きなどについて話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月5日(月) (1)
矢内原 忠雄(1893-1961)
「人生読本 私の人生遍歴」(2)(3)
昭和33年12月23、24日放送 ラジオ第1
(詳細)
元東京大学総長で経済学者の矢内原忠雄は、
内村鑑三の聖書研究会に入門。
昭和12年(1937年)日中戦争が勃発した後、
矢内原の論文「国家の理想」が問題となり思想弾圧を受けました。
この矢内原事件により東京帝国大学の教授を辞職しました。
昭和33年12月にラジオ第1で放送された
「人生読本 私の人生遍歴」(2)(3)では、新渡戸稲造や内村鑑三に
影響を受けたことや、キリスト教の信仰について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月28日(月) (2)
沢村貞子(1908-1996)
「わが故郷わが青春 東京・浅草」
平成元年9月24日放送 ラジオ第1
(詳細)
俳優の沢村貞子は、昭和9年25歳で映画界に入って
名脇役の地位を確立し、47歳で毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。
またエッセイ集をいくつも出版し、
日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。
そして平成元年のNHKドラマを最後に俳優を引退しました。
この年9月にラジオ第1で放送された「わが故郷わが青春 東京・浅草」では、
明治末から過ごした浅草の思い出や役者一家のこと、
引退後の執筆などを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月21日(月) (1)
沢村貞子(1908-1996)
「人生読本 脇役」(1,2)
昭和45年3月12,13日放送 ラジオ第1
(詳細)
俳優の沢村貞子は、戦前築地小劇場で初舞台を踏み、
プロレタリア演劇運動に進み、その後映画界に入って
名脇役として活躍しました。
昭和45年3月にラジオ第1で放送された
「人生読本 脇役」では、映画界へ入ったころを振り返りながら
脇役を選んだ理由や、役者に限らず人生でも
脇役が重要であることを語っています。
また、家庭の中でも脇役をこなし、脇役をやることが自分に合っており、
その方が上手くいくと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月14日(月) (2)
金語楼(1901-1972)
「老後を楽しく 柳家金語楼とともに」
昭和44年8月10日放送 ラジオ第1
(詳細)
落語家の柳家金語楼は、テレビ・ラジオで活躍すると共に
「日本喜劇人協会」を設立し、榎本健一の後を継いで
2代目会長として活動しました。
民放テレビドラマでは「おトラさん」で当たり役を演じ、
昭和42年には紫綬褒章を受賞しました。昭和44年8月に
ラジオ第1で放送された「老後を楽しく 柳家金語楼とともに」では、
お得意の「兵隊落語」を披露したあと、
喜劇俳優としての活動や、趣味の発明のことなどを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月7日(月) (1)
金語楼(1901-1972)
「朝の訪問 柳家金語楼」
昭和36年11月24日放送 ラジオ第1
(詳細)
落語家の柳家金語楼は、昭和47年10月に
71歳で亡くなり、今年没後50年です。
金語楼は天才少年落語家としてデビューし、大正14年ラジオ放送開始
のその年から放送でも活躍しました。
またテレビ放送が始まってからは「ジェスチャー」
の白組キャプテンとして人気を博しました。
昭和36年11月にラジオ第1で放送された「朝の訪問」では、
ラジオ放送が始まったころの思い出や、
落語で笑わせることの難しさを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月31日(月)
鶴岡一人(1916-2000)
「人生読本 冷や飯の味」(2)(3)
昭和42年3月24、25日放送 ラジオ第1
(詳細)
プロ野球選手・監督の鶴岡一人は、戦前からプロ野球選手
として活躍し、軍隊生活の後、昭和21年からは南海ホークスの監督
に就任し、南海の黄金時代を築きました。
昭和42年3月にラジオ第1で放送された
「人生読本 冷や飯の味」では、南海の監督就任時のことや
新人だった野村克也選手の思い出、また昭和34年日本シリーズで
初めて読売ジャイアンツを破って日本一に輝き、
大阪の御堂筋をパレードした時の気持ちを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月24日(月) (2)
野村克也(1935-2020)
「増田明美のキキスギ?三冠王 監督 ぼやき 野球界から初のゲストは、あの野村克也さん」
令和元年6月21日放送 ラジオ第1
(詳細)
プロ野球選手・監督の野村克也は、南海ホークスで捕手として
活躍し、9回ホームラン王になったほか、戦後初の三冠王
にも輝きました。
その後、ヤクルト・阪神・楽天の監督に就任し、
ヤクルトでは初の日本一にもなりました。
令和元年6月にラジオ第1で放送された
「増田明美のキキスギ? 野村克也さん」では、
現役時代の思い出や監督になってからの
“ほめて伸ばす指導法”、また実際に育てた
選手のことなどを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月17日(月) (1)
野村克也(1935-2020)
「わが故郷わが青春 京都府網野町」
昭和62年10月11日放送 ラジオ第1
(詳細)
プロ野球選手・監督の野村克也は、2020年2月に
84歳で亡くなり、今年三回忌を迎えました。
昭和29年南海ホークスにテスト生として入団し、4年目で
レギュラー入りして初のホームラン王に輝きました。
昭和62年10月に放送された「わが故郷わが青春 京都府網野町」
では、貧しかった少年時代からテスト生として
南海ホークスに入団した頃のこと、その後生涯一捕手として
現役選手にこだわり続けた日々について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月10日(月) (2)
古葉竹識 (1936-2021)
ラジオ深夜便「スポーツ名場面の裏側で 私の肥後モッコス野球人生」
平成28年8月31日放送 ラジオ第1
(詳細)
プロ野球選手・監督の古葉竹識は、広島カープで選手として
活躍した後、昭和50年にカープの監督に就任し、
1年目で初優勝を飾りました。
平成28年8月にラジオ第1で放送された
「スポーツ名場面の裏側で 私の肥後モッコス野球人生」では、
巨人の長嶋茂雄選手と首位打者争いをした思い出や、
南海ホークスに移籍後の野村克也監督との関係、
広島東洋カープの監督に就任した時の心構えや
指導する上で大切なことなどを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月3日(月) (1)
古葉竹識 (1936-2021)
「青春を語る 耐えて勝つ」
昭和58年11月24日放送 ラジオ第2
(詳細)
プロ野球選手・監督の古葉竹識は、去年2021年11月に
85歳で亡くなり、間もなく一周忌を迎えます。
昭和33年広島カープに入団して内野手として活躍し、
俊足を生かして2年連続盗塁王にもなりました。
昭和58年11月にラジオ第2で放送された
「青春を語る 耐えて勝つ」では、野球が好きだった
少年時代から高校時代、その後プロ野球に入り、
巨人の長嶋茂雄選手と首位打者争いをしたことなどを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月26日(月) (2)
岡崎嘉平太(1887-1989)
パーソナル現代史「日中交流の50年を語る その4 一衣帯水」
昭和54年11月1日放送 教育テレビ
(詳細)
実業家の岡崎嘉平太は、昭和39年高碕達之助が亡くなったあと、
その役割を引き継いで「日中覚書貿易」を推進し、
昭和47年の国交正常化につないでいきました。
昭和54年11月に放送された「日中交流の50年を語る 一衣帯水」では、
民間外交で中国が国交正常化に期待していることを
感じ取っていった話や、21世紀には食糧やエネルギーで中
国に頼ることになるので、中国の現代化は必ず
日本のためになることを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月19日(月) (1)
岡崎嘉平太(1887-1989)
パーソナル現代史「日中交流の50年を語る その1 新中国との出会い」
昭和54年10月29日放送 教育テレビ
(詳細)
実業家の岡崎嘉平太は、高碕達之助と共に
「日中国交正常化」につながる大きな役割を果たしました。
それまで日本と中華人民共和国の間に正式な国交は
ありませんでしたが、岡崎と高碕は民間外交をスタートさせ、
中国の周恩来首相とも友情を育みます。
昭和54年10月に放送された
「日中交流の50年を語る 新中国との出会い」では
、日中友好を考え始めたきっかけや周恩来首相と
会談した当時のことなどを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月12日(月) (2)
高碕達之助(1885-1964)
教養特集「私の自叙伝 心のおもむくままに」
昭和38年12月23日放送 ラジオ第2
(詳細)
高碕達之助は、昭和15年に満州に渡って重工業開発に携わり、
戦後帰国してからは、復興のため水力発電事業に取り組みました。
昭和30年には日本政府代表としてアジア・アフリカ会議
に出席し、中国の周恩来首相と会談しました。
昭和38年12月に放送された「私の自叙伝 心のおもむくままに」では、
満州での体験や戦後の電源開発について語っています。
また、その後の国交正常化につながる
周恩来との出会いも振り返っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月5日(月) (1)
高碕達之助(1885-1964)
教養特集「私の自叙伝 心のおもむくままに」
昭和38年12月23日放送 ラジオ第2
(詳細)
実業家の高碕達之助は、昭和47年9月の
「日中国交正常化」につながる大きな役割を果たしました。
高碕は明治35年17歳で水産講習所に入り、
その後水産技師としてアメリカに渡ります。
その後メキシコの缶詰工場の立ち上にも関わります。
昭和38年12月に放送された「私の自叙伝 心のおもむくままに」
では、水産の仕事をするようになった恩師の教えや、
アメリカで知り合った後の大統領フーヴァーとの
出会い等を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月29日(月) (2)
林 京子(1930-2017)
「ラジオ深夜便 こころの時代 被爆を根に生きる」
平成13年5月5日放送 R1
(詳細)
作家の林京子は、被爆から40年後の昭和60年に
長男の家族と共にアメリカに移住します。
そして平成11年には原子爆弾の実験が行われた
ニューメキシコ州のトリニティ実験場を訪れました。
平成13年5月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 被爆を根に生きる」では、
トリニティを訪れた時の気持ちや、アメリカの若者たちに被爆体験
を語った時に実感した、
人間同士の気持ちは通じ合えるという信念を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月22日(月) (1)
林 京子(1930-2017)
「ラジオ深夜便 こころの時代 被爆を根に生きる」
平成13年5月5日放送 R1
(詳細)
作家の林京子は、昭和20年8月9日14歳の時に長崎で被爆しました。
それから30年後の昭和50年、自らの被爆体験を基にした
小説「祭りの場」で芥川賞を受賞。
平成13年5月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便 被爆を根に生きる」では、被爆を抱えて生きるつらさや
恐ろしさについて話しています。
また、その後の人生観の変化や子どもを出産する際の苦悩、
被爆した母親としての子育ての心境についても語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月15日(月) (3)
坪井直(1925-2021)
「ラジオ深夜便 明日へのことば」
平成28年8月9日放送 R1
(詳細)
日本原水爆被害者団体協議会の元代表委員・坪井直は、
96歳で亡くなるまで「ネバーギブアップ」を
信条に核廃絶運動を牽引しました。
平成28年8月にラジオ第1で放送されたラジオ深夜便
「オバマ大統領広島訪問から核廃絶へ」では、
被爆の影響で今なお入退院を繰り返しながらも
核廃絶を訴え続けるその使命感を語っています。
何もしない静かな平和ではなく、世界に働きかける
「動く平和」を理想に、諦めることはないと話します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月8日(月) (2)
坪井直(1925-2021)
「ラジオ深夜便 明日へのことば」
平成28年8月9日放送 R1
(詳細)
日本原水爆被害者団体協議会の元代表委員・坪井直は、
平成28年5月、オバマ大統領がアメリカの現職大統領として
初めて被爆地・広島を訪問した時、被爆者代表の一人として
対面し言葉を交わしました。
平成28年8月にラジオ第1で放送されたラジオ深夜便
「オバマ大統領広島訪問から核廃絶へ」では、
オバマ大統領と対面した日のことや、憎しみを乗り越え、
人類全体の立場に立って平和な世界を作って行く決意を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月1日(月) (1)
坪井直(1925-2021)
「100年インタビュー 坪井直」
平成19年8月2日放送 BSHV
(詳細)
日本原水爆被害者団体協議会の元代表委員・坪井直は、
令和3年10月24日に96歳で亡くなり、10月に一周忌を迎えます。
坪井は昭和20年8月6日に広島市の爆心地近くで被爆し、
70年以上にわたって核兵器廃絶運動の
リーダーとして活動してきました。
平成19年8月にBSハイビジョンで放送された
「100年インタビュー」では、被爆した20歳当時の体験や、
その後被害者団体が結成されていった経緯などを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月25日(月) (2)
高橋展子(1916-1990)
「日曜喫茶室 職場の花から職場の幹に」
昭和60年10月13日放送 FM
(詳細)
高橋展子は、昭和55年には、日本初の女性大使として
デンマークに赴きました。
着任早々デンマークで開かれた「国連婦人の10年中間世界会議」では、
日本政府を代表して「女子差別撤廃条約」に署名しました。
昭和60年10月に放送した「日曜喫茶室 職場の花から職場の幹に」では、
北欧の高齢化社会やデンマーク人の日本理解について話しています。
また海外から見た日本の職場や働き方、
さらに将来の働き方の展望を語ります。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月18日(月) (1)
高橋展子(1916-1990)
「日曜喫茶室 職場の花から職場の幹に」
昭和60年10月13日放送
(詳細)
高橋展子は、戦後労働省に入り婦人少年局で
女性の権利や労働問題などに携わりました。
昭和51年にはジュネーブの国際労働機関ILOの事務局長補佐に、
昭和55年には日本初の女性大使としてデンマークに赴きました。
昭和60年10月に放送した
「日曜喫茶室 職場の花から職場の幹に」では、
旧満州生まれの生い立ちから、国際的な仕事をするまでを語っています。
また国連の会議やILOでの合意形成の難しさを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月11日(月) (2)
奥むめお(1895-1997)
「消費者ゼミナールでの挨拶」
昭和37年1月29日録音
「奥むめおを励ます会でのインタビュー」
昭和40年6月1日録音
(詳細)
奥むめおは、女性運動家として、昭和23年に
「主婦連合会」を結成し会長に就任。
消費者の目線での運動を牽引し、「台所の声を政治へ」をスローガンに
全国主婦総決起大会を開き、物価問題や環境問題を訴えました。
昭和37年1月に録音された「消費者ゼミナールでの挨拶」
の中では、消費者行政の促進などを主張しています。
また昭和40年6月の「奥むめおを励ます会」では、
18年間務めた参議院議員の活動を振り返っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月4日(月) (1)
奥むめお(1895-1997)
「朝の訪問 奥むめお」
昭和36年1月18日放送ラジオ第1
(詳細)
奥むめおは、女性運動家として、大正時代から
平塚らいてうなどとともに、女性の労働や権利に
関する会に参加しました。
戦後は初の参議院議員選挙で当選し、女性で
最初の参議院議員になりました。
昭和36年1月にラジオ第1で放送した「朝の訪問」では、
大正時代に共に新婦人協会を結成した平塚らいてうや
市川房枝のことや、戦後になって時代と共に変わっていった
女性の立場や生き方について、自分の活動に触れながら語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月27日(月) (2)
大城立裕(1925-2020)
ラジオ深夜便「明日へのことば 伝統文化で戦争を語り継ぐ」
令和元年9月5日放送 ラジオ第1
(詳細)
作家・大城立裕は、沖縄の伝統文化にも造詣が深く、
ユネスコの世界無形文化遺産の「組踊」でも、沖縄戦や戦後沖縄を
テーマに、伝統に則(のっと)りながら新作を発表しています。
令和元年9月にラジオ第1で放送したラジオ深夜便「伝統文化で戦争を語り継ぐ」
では、沖縄戦の戦中を描いた「花の幻」と戦後の苦難を描いた
「花よ、とこしえに」を作った動機や、さまざまな作品を通して
沖縄問題を提起してきたことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月20日(月) (1)
大城立裕(1925-2020)
「自作を語る カクテル・パーティー」
昭和60年5月26日放送 ラジオ第2
(詳細)
作家・大城立裕は、戦前上海の東亜同文書院大学で学び、
戦後は故郷・沖縄に帰って琉球政府の職員などを
務めたあと作家活動に入りました。
そして昭和42年、「カクテル・パーティー」で
沖縄で初めて芥川賞を受賞しました。
昭和60年5月にラジオ第2で放送した「
自作を語る カクテル・パーティー」では、日米の国際親善の
裏側に存在する基地犯罪を描きながら、
日本が中国で犯した罪にも触れ、両者の欺まん性を暴いています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月13日(月)
中村文子(1913-2013)
関西発ラジオ深夜便「こころの時代 命(ぬち)どぅ宝」
平成16年8月7日放送 ラジオ第1
(詳細)
中村文子は昭和16年に故郷・沖縄を夫の仕事の都合で離れ、
川崎市で教職に就きました。
戦後は沖縄に戻り、60歳で小学校教員を退職後、
沖縄戦を記録する「1フィート運動の会」の活動に参加。
記録映画「沖縄戦 未来への証言」の公開など事務局長として活躍しました。
平成16年8月にラジオ第1で放送した関西発ラジオ深夜便
「命(ぬち)どぅ宝」では、アメリカでの映画公開
や平和を願う心を養うことの大切さを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月6日(月)
宮城喜久子(1928-2014)
関西発ラジオ深夜便「こころの時代 戦場の少女たち」
平成17年4月2日放送 ラジオ第1
(詳細)
元教師でひめゆり学徒隊・証言者の宮城喜久子は、
昭和20年3月にひめゆり学徒隊に動員され、負傷兵の看護などにあたりました。
戦後は教師をした後、「ひめゆり平和祈念資料館」が完成すると、
証言員として戦争の悲惨さを伝える活動に取り組みました。
平成17年4月にラジオ第1で放送した関西発ラジオ深夜便「戦場の少女たち」では
、親の反対を押し切ってひめゆり学徒隊に入った経緯や、
戦場での過酷な体験を話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月30日(月)
牧港篤三(1912-2004)
「日曜インタビュー 詩人・牧港篤三」
平成元年6月18日放送 総合テレビ
(詳細)
元新聞記者で詩人の牧港篤三は戦前から沖縄の新聞記者
として活動し、昭和20年の沖縄戦の時は現地の報道班員として
軍隊と同行しながら新聞づくりに携わりました。
戦後は住民の側から沖縄戦を描いた「鉄の暴風」を出版しました。
平成元年6月に総合テレビで放送した「
日曜インタビュー 詩人・牧港篤三」では、
鉄砲の弾が飛び交う中、軍の発表を待って新聞を作り上げる苦労や、
戦火の中を水汲みに駆け回った苦労を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月23日(月) (2)
大田昌秀 (1925-2017)(2)
ラジオ深夜便「本土復帰40年 明日の沖縄を信じて」(2)
平成24年5月16日放送 R1
(詳細)
大田昌秀は、平成2年65歳で沖縄県知事に就任し、戦後50年の
記念事業として「平和の礎」や「沖縄公文書館」などの事業を進めました。
平成24年5月にラジオ第1で放送した「
ラジオ深夜便 明日の沖縄を信じて」(2)では、沖縄問題の背景にある
歴史的な差別構造、「大田平和総合研究所」設立の目的、
国際都市形成構想について話しています。
また国際的に通用する沖縄の若者の育成、
基地から生産の場への夢を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月16日(月) (1)
大田昌秀 (1925-2017)(1)
ラジオ深夜便「本土復帰40年 明日の沖縄を信じて」(1)
平成24年5月15日放送 R1
(詳細)
大田昌秀は、昭和20年19歳で悲惨な沖縄戦を体験し、
戦後アメリカに留学した後、琉球大学教授になりました。
そして平成2年、65歳で沖縄県知事に就任しました。
平成24年5月にラジオ第1で放送した「ラジオ深夜便 明日の沖縄を信じて」
(1)では、
鉄血勤王隊の隊員として体験した沖縄戦の実相や戦後の沖縄研究について、
また知事に就任してからの基地返還の取り組みや
辺野古への基地移設反対運動について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月9日(月) (2)
屋良朝苗 (1902-1997)(2)
「女性手帳 わたしの沖縄 シリーズ5 沖縄の心」
昭和52年12月16日GTV放送
(詳細)
屋良朝苗は、昭和43年、沖縄の早期日本復帰を訴えて
琉球政府初の公選主席に就任しました。
また昭和47年の本土復帰後に沖縄県知事に就任してからは、
国体や海洋博などを精力的に開催しました。
昭和52年12月に総合テレビで放送した「女性手帳 私の沖縄」(5)では、
基本的人権を基本理念にして本土との格差をなくす取り組みについて語り、
また未来の沖縄を作るために沖縄人の底力に期待したいと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月2日(月) (1)
屋良朝苗 (1902-1997)(1)
「女性手帳 わたしの沖縄 シリーズ3 廃墟の中から」
昭和52年12月14日GTV放送
(詳細)
選ばれ屋良朝苗は、初め教育者として高等学校の校長や
沖縄の文教部長などを歴任しました。
その後、昭和43年に琉球政府初の公選主席に、また昭和47年の
沖縄県の本土復帰後には、初の沖縄県知事に就任しました。
昭和52年12月に総合テレビで放送した「女性手帳 私の沖縄」(3)
では、教育者として復帰運動に関わる中で、教育の大切さ、
その土台となる沖縄の「教育基本法」の理念や制定までの苦労について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月25日(月) (2)
「わたしの自叙伝 こども漫画33年」
昭和54年5月10日放送 教育テレビ
(詳細)
手塚治虫は医学生だった18歳のときに漫画家デビューし、
「ジャングル大帝」など名作を次々と発表しましたが、
マンガだけでなく動画にも興味を持っていました。
昭和54年に教育テレビで放送した
「わたしの自叙伝 こども漫画33年」では、漫画からアニメーションへと
制作を広げていったいきさつを語っています。
そして他の人間にできないことを自分でやり遂げたい、
という負けず嫌いな自分の性格についても話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月18日(月) (1)
「わたしの自叙伝 こども漫画33年」
昭和54年5月10日放送 教育テレビ
(詳細)
手塚治虫は日本を代表する国民的漫画家で、
多くの漫画家に影響を与えました。
医学の道に進み国家試験に合格しますが、好きな漫画に打ち込み
「鉄腕アトム」など日本の漫画史に残る作品を遺しました。
昭和54年に教育テレビで放送した「わたしの自叙伝 こども漫画33年」
では、自身の生い立ちや、漫画が大好きだった子供の頃を振り返っています。
体が弱く友達にコンプレックスがあり、
漫画という特技で見返したかったといいます。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月11日(月) (2)
「週刊ブックレビュー 戦記漫画の世界」
平成12年8月5日放送 衛星第2
(詳細)
水木しげるは、昭和18年21歳のときに厳しい戦況が続いていた
南方の激戦地・ニューブリテン島のラバウルに出征し、
空爆で左腕を失いました。
平成12年に衛星第2テレビで放送した
「週刊ブックレビュー 戦記漫画の世界」では、
戦記漫画を描いたきっかけについて語っています。
他に描く人がいなかったことから、自分自身が体験した
極限状態を漫画に残し、戦争を知らない世代にも
伝えようとしたと、その思いを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月4日(月) (1)
「文化講演会 おばけの住む世界」
昭和55年6月22日放送 ラジオ第1
(詳細)
水木しげるは日本を代表する国民的漫画家で
今年は生誕100年に当たります。
大正11年3月、大阪で生まれましたが、
両親の実家である鳥取県境港市に移りました。
昭和55年にラジオ第1で放送した
「文化講演会 おばけの住む世界」では、お化け漫画の
原点となった妖怪の存在や、太平洋戦争で出征した
南の島・ニューブリテン島での体験を踏まえながら、
自然界と文明社会が共存する調和のある幸せな暮らしのことを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月28日(月) (2)
「日曜インタビュー 安藤百福」
昭和63年12月11日放送 GTV
(詳細)
安藤百福はインスタントラーメンを開発し、昭和33年に発売しました。
さらに世界へ広めようと欧米を視察し、その結果地球上の誰でも
手軽に食べられるカップラーメンを開発しました。
昭和63年12月に総合テレビ放送した「日曜インタビュー・安藤百福」
では、食べ物には国境がなく良いものはどこでも
受け入れられるという信念を語っています。
また好きな言葉として「食足りて世は平らか」をあげ、
いつも心にあると話します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月21日(月) (1)
「日曜インタビュー 安藤百福」
昭和63年12月11日放送 GTV
(詳細)
実業家の安藤百福は明治43年3月の生まれで、今月で生誕112年。
戦後、世界で初めてインスタントラーメンを商品化し、
今では世界中に普及しています。
昭和63年12月に総合テレビ放送した「日曜インタビュー・安藤百福」では、
戦中・戦後に極端に貧しい食生活を体験したことを踏まえ、
戦後「食足りて世の中が穏やかになる」との信念から始めた
インスタントラーメン開発について、発想の原点や苦労を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月14日(月) (2)
ラジオ深夜便・こころの時代「わが師を語る 武井哲應師の教え」
平成4年12月17日放送 ラジオ第1
(詳細)
相田みつをは19歳から書を学び、昭和29年から35年まで
7回連続で「毎日書道展」に入選しました。
平成4年12月にラジオ第1で放送したラジオ深夜便・わが師を語る
「武井哲應師の教え」では、18歳で出会った師から禅を学んだと語っています。
その中で、「本当の公平とは、受ける側が公平感を味わうもの」とか、
毎日の生活の中では
「人のせいにしない」「勝ち負けを考えない」
といった生き方が大事だと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月7日(月) (1)
ラジオ深夜便・こころの時代「わが師を語る 武井哲應師の教え」
平成4年12月17日放送 ラジオ第1
(詳細)
書家で詩人の相田みつをは大正13年生まれで、
今年生誕98年になります。
代表作は「にんげんだもの」や「おかげさん」など、
独特の書体と詩の表現で老若男女に幅広い人気があります。
平成4年12月にラジオ第1で放送したラジオ深夜便・こころの時代「
わが師を語る 武井哲應師の教え」では、
自分の人生哲学の根っこになったのは戦死した2人の兄と師事した
武井哲應で、しっかりと自己を見つめる禅の教えを学んだと語ります。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月28日(月) (2)
特集 世界・わが心の旅
「李香蘭 はるかなる旅路〜中国・ロシア」
(詳細)
日中関係が悪化の一途をたどる中で少女時代を過ごした山口淑子。
今回は平成10年に放送された「世界・わが心の旅 李香蘭はるかなる旅路」
で語られたその後の人生を紹介します。
病後の健康法に習い始めた歌がきっかけで歌手デビュー。
満州映画協会の看板女優として瞬く間にスターの座に駆け上ります。
しかし、戦後、中国では祖国を裏切る「漢奸」
と疑われ、命からがら引揚船に乗ることに。
2021年1月11日放送の再放送。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月21日(月) (1)
わが故郷わが青春
1992.11.1放送 R1
(詳細)
山口淑子は1920年生まれ。
一昨年生誕100年を迎えました。
今回紹介するのは平成4年に放送された「わが故郷わが青春 旧満州・撫順」。
日中関係が悪化の一途をたどるなか中国人の養女として育ち、
2つの祖国の間で運命に翻弄された青春時代が語られています。
戦時中、自らが体験した「平頂山事件」の悲惨な記憶、
そして「中国人として通さなければならない運命」という日々をたどります。
2021年1月4日放送の再放送。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月14日(月) (2)
ラジオ深夜便「こころの時代 一生ローカルの芸人です」
昭和63年10月9日放送 ラジオ第1
(詳細)
ミヤコ蝶々は昭和30年(1955年)から始まった
民放ラジオの「夫婦善哉」で人気を博し、テレビや舞台で活躍しました。
昭和63年に放送したラジオ深夜便「こころの時代 一生ローカルの芸人です」
では、芸人は自惚れが一番いけない。
芸を磨いて、お客さんが身体の芯から笑う本当の笑い
を取らなければいけないと話しています。
そのために日頃から世の中の動きをチェックし、
常に人間観察をすることが大事と語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月7日(月) (1)
人生読本「おもろうてやがて哀しき その1」
昭和63年7月18日、
同「おもろうてやがて哀しき その2」
同年7月20日放送 ラジオ第1
(詳細)
ミヤコ蝶々は上方芸能界を代表する芸人ですが、
出身は東京日本橋。
大正9年(1920年)7月、日本橋の小伝馬町で生まれました。
子どもの頃から母親に芸事を習い、田舎回りの
一座の座長として興行の旅を続けました。
戦後はラジオ・テレビで活躍して全国的な人気を得ました。
昭和63年にラジオ第1で放送した人生読本
「おもろうてやがて哀しき」では、芸に厳しかった母親、
人の道を教えてくれた父親のことなどを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月31日(月) (5)
ラジオ深夜便「母を語る」
平成27年10月20日
ラジオ深夜便「わが心の人」
令和3年8月31日
(詳細)
半藤一利は令和3年1月に90歳で永眠しました。
さまざまな人との関わりで彩られた生涯で、
母と妻からも大きな影響を受けました。
平成27年10月に放送されたラジオ深夜便「母を語る」では幼い頃を
振り返りながら、聡明で行動力のあった母親のことを語っています。
また半藤が亡くなった後、妻で随筆家の半藤末利子は
令和3年8月のラジオ深夜便「わが心の人」で、半藤が中国の思想家・墨子
のことを遺言のように語ったと話します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月24日(月) (4)
ラジオ深夜便・新春インタビュー「戦後60年の日本人によせて 第2部」
平成17年1月1日放送 ラジオ第1
(詳細)
半藤一利は76歳の時に、「昭和史1945〜1989」を出版し、
戦後日本の歩みを分析しました。
その前年の平成17年1月にラジオ第1で放送された
「ラジオ深夜便・新春インタビュー」では、
近代日本の歩みが40年ごとに区切られる「40年周期説」を語っています。
そして、自分の関心事以外に無関心な若い人たちに向けて、
広い視野で日本のあるべき姿を考え、大きな理想を掲げて
21世紀を切り開いていって欲しいと話します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月17日(月) (3)
ラジオ深夜便・新春インタビュー「戦後60年の日本人によせて 第1部」
平成17年1月1日放送 ラジオ第1
(詳細)
半藤一利は35歳の時に「日本のいちばん長い日」を出版しました。
その後70代で昭和の歴史をふかんした
「昭和史 1926〜1945」などを執筆します。
平成17年1月にラジオ第1で放送された「
ラジオ深夜便・新春インタビュー」では、通史としての昭和史を
書くきっかけや、戦前の日本社会の精神主義について分析しています。
その後、太平洋戦争に突き進んで行った原因について、
日本人の特徴を5つあげて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月10日(月) (2)
ラジオ深夜便・オトナの生き方「昭和の語り部に聞く わが青春(後半)」
平成25年10月27日放送 ラジオ第1
(詳細)
半藤一利は東京大学のボート部で青春を謳(おう)歌した後、
文芸春秋社に入社し、雑誌の編集に携わりました。
平成25年10月放送のラジオ深夜便・オトナの生き方
「昭和の語り部に聞く わが青春(後半)」では、作家・坂口安吾の原稿を取りに行き、
安吾から歴史の面白さを教えられたこと、その後、戦時中の軍人や政治家など
28人の大座談会を企画し、「日本のいちばん長い日」と題して
雑誌に掲載したことなどを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月10日(月) (1)
マイあさラジオ「米寿から10代へ」
平成30年8月11日R1
ラジオ深夜便・オトナの生き方
平成25年10月27日R1
(詳細)
半藤一利は令和3年1月12日に90歳で亡くなり、
令和4年1月は一周忌です。
代表作に「日本のいちばん長い日」や「昭和史」などがあり、
多くの日本人が近現代史に目を向けるきっかけを作った作家です。
亡くなる3年前の8月放送「マイあさラジオ」では、
昭和史研究の原点となった東京大空襲体験を、
また平成25年10月の「ラジオ深夜便・オトナの生き方」では、
戦後ボートに明け暮れた青春や就職について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月27日(月) (2)
「日曜訪問 文学少年の夢」
平成12年1月30日放送 ラジオ第1
(詳細)
なかにし礼は、昭和42年訳詞した「知りたくないの」が大ヒット。
その後作詞家として3回レコード大賞に輝き、
平成11年には小説「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞。
平成12年1月に放送した「日曜訪問 文学少年の夢」では、
作詞家としての成功とは別の喜びが直木賞受賞にはあると語っています。
また週刊誌に連載し始めた小説「赤い月」について、
自分たちの戦争の記憶のモニュメントとして作品を書きたいと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月20日(月) (1)
「わが故郷 わが青春 旧満州・牡丹江」
平成8年11月3日放送 ラジオ第1
(詳細)
なかにし礼は、昭和13年旧満州・牡丹江市の生まれ。
昭和20年8月のソ連軍の満州侵攻後ハルビンに逃れて
避難生活を送り、翌年日本に引き揚げました。
平成8年11月に放送した「わが故郷 わが青春 旧満州・牡丹江」では、
敗戦前の豊かな生活から、ソ連参戦後一転して過酷な
難民生活を強いられたことを語っています。
その後苦学して自力で大学に入学。
シャンソンの訳詞が評判をよんで、作詞家になったことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月13日(月) (2)
「わたしの自叙伝 ニューヨークで聞いた開戦」
昭和54年12月6日放送 ETV
(詳細)
森恭三は、戦後昭和20年11月に「国民と共に立たん」
を執筆し、朝日新聞の立て直しを図りました。
その後もヨーロッパ総局長や論説主幹として健筆をふるいました。
昭和54年12月6日に教育テレビで放送した
「私の自叙伝 ニューヨークで聞いた開戦」では、昭和16年12月の
日米開戦直前の緊迫した様子や、戦争勃発後支局を閉鎖し、
同じビルのニューヨークタイムズの記者たちに見送られて
その場を去ったことを話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月6日(月) (1)
「わたしの自叙伝 ニューヨークで聞いた開戦」
昭和54年12月6日放送 ETV
(詳細)
森恭三は昭和5年に朝日新聞社に入り、
昭和12年にニューヨーク支局員として渡米。
そして太平洋戦争の始まる昭和16年12月にはニューヨーク支局を
完全に閉鎖し、移民収容所で抑留生活を送ったあと翌年帰国。
昭和54年12月6日に教育テレビで放送した
「私の自叙伝 ニューヨークで聞いた開戦」では、
昭和12年の日中戦争から国際情勢が悪化し、昭和16年3月には
日米戦争が不可避と感じ、家族を帰国させたと話します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月29日(月) (2)
「訪問インタビュー 私の出会った危機(2)」
昭和57年4月6日教育テレビ
(詳細)
開高健は27歳の時に「裸の王様」で芥川賞を受賞し、
本格的に作家の道を歩み始めました。
34歳から3回にわたってベトナム戦争を取材。
その体験は彼の作品の源泉となりました。
昭和57年4月に教育テレビで放送した
「訪問インタビュー 私の出会った危機(2)」では、
戦場での極限体験の中で見たものや感じたことを語っています。
そしてヘリコプターで救出され、生きているという
実感・生の充実感を味わったと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月22日(月) (1)
「自作朗読『夏の闇』から、話『文学と私』」
昭和55年9月25日 ラジオ第1
(詳細)
開高健は、実業家・佐治敬三が洋酒文化を広めるために
作ったPR雑誌「洋酒天国」で編集責任者を務め、
コピーライターとしての才能を開花させ、
その後作家の道を歩むことになります。
昭和55年9月にラジオ第1で放送した
「自作朗読『夏の闇』から、話『文学と私』」では、
自分の生い立ちや苦学した大学時代、自分の作品などについて語っています。
また、ベトナム戦争を題材にした代表作「夏の闇」を本人が朗読しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月15日(月) (3)
「新サラリーマンライフ」
昭和60年12月22日教育テレビ
サンデーけいざい1990年花の万博」
昭和61年3月2日総合テレビ
(詳細)
佐治敬三は会社経営の他にも大阪商工会議所会頭を務めたり
、平成2年に大阪で開かれた「花の万博」の副会長に就任したり、
文化面でも社会に貢献しました。会頭就任の昭和60年に
教育テレビで放送された「新サラリーマンライフ」では、
文化に力点を置いた街づくりについて語っています。
また昭和61年、総合テレビの「サンデーけいざい1990年花の万博」
では、経済の在り方が生産から生活の豊かさに変わってきたと話します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月8日(月) (2)
「お元気ですか?佐治敬三」
昭和59年5月20日総合テレビ
(詳細)
実業家・佐治敬三の2回目。
佐治敬三は大阪帝国大学で有機化学を学び、その後の
会社経営では「やってみなはれ」精神で業績を伸ばしました。
昭和59年5月に総合テレビで放送された「
お元気ですか?佐治敬三」では、大学の恩師から新しさを常に求める精神の
大切さを学び、会社に入ってからもその精神で挑戦してきたと話しています。
また自分の健康も会社経営も、自信満々より少し危機感を
持っていた方がうまくいくと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月1日(月) (1)
「お元気ですか?佐治敬三」
昭和59年5月20日総合テレビ
(詳細)
佐治敬三は国産ウイスキーを作った鳥井信治郎の息子で、
「サントリー」の二代目社長。
宣伝力を駆使して戦後日本に洋酒文化を広めるとともに、
サントリーホールの建設など、さまざまな文化の発展にも貢献しました。
昭和59年5月に総合テレビで放送された「お元気ですか?佐治敬三」
では大阪から発信する文化事業について話しています。
また創業者の父親から受け継いだ「やってみなはれ」
という会社のモットーについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月25日(月) (2)
(番組内容)
「老後を楽しく 若く明るく50年(3)」
昭和57年3月20日ラジオ第1
(詳細)
藤山一郎は戦後になるとテレビでも活躍し、年末恒例の
紅白歌合戦では、毎年歌手や指揮者として出演しました。
昭和57年年3月に放送した「老後を楽しく 若く明るく50年」では、
大ヒットした「長崎の鐘」と永井隆博士のことや、
自身が作曲した「ラジオ体操の歌」について話しています。
また歌手の活動は55歳ごろまでが限界かと思っていたが、
いまは死ぬまで音を響かせたいと語り、自らの健康管理法を紹介しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月18日日(月) (1)
(番組内容)
「老後を楽しく 若く明るく50年(1)」
昭和57年3月6日ラジオ第1
(詳細)
藤山一郎は明治44年1911年の生まれで、今年生誕110年。
戦前戦後を代表する歌手の一人で、
「丘を越えて」や「東京ラプソディ」「長崎の鐘」
などの大ヒット曲で知られています。
昭和57年3月に放送した「老後を楽しく 若く明るく50年」では、
慶應義塾から東京音楽学校を目指した経緯を話しています。
また校則違反のアルバイトで吹きこんだ「酒は涙か溜息か」や「影を慕いて」が
大ヒットしたことを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月11日日(月) (2)
(番組内容)
「私の自叙伝 話道一本」
昭和39年3月19日ラジオ第2
(詳細)
徳川夢声の2回目。
徳川夢声は、初めは無声映画の活動弁士として、そして戦後は
テレビやラジオでユーモアのあるマルチタレントとして活躍しました。
昭和39年3月にラジオ第2で放送した「私の自叙伝 話道一本」では、
小学校の頃から語りが得意で級友の前で落語などを披露したこと、
それを生かして活動弁士になったことを話しています。
またその後勃興したテレビなどを通して、
一生涯を話一筋で生きてきたと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月4日日(月) (1)
(番組内容)
「私の自叙伝 話道一本」
昭和39年3月19日ラジオ第2
「演芸特集第2夜、物語・宮本武蔵より巌流島」
昭和34年5月19日ラジオ第1
(詳細)
徳川夢声は、昭和46年1971年に亡くなり、今年没後50年。
漫談家・ラジオやテレビでの司会者・作家・随筆家など様々な顔を持ち
「話芸の神様」ともいわれました。
昭和39年3月にラジオ第2で放送した「私の自叙伝 話道一本」では、
故郷の島根県から東京に出た時の苦労や、その後生き別れとなった
母親の思い出を語っています。
また夢声の代名詞となった「宮本武蔵」から
クライマックスの「巌流島」の名調子を紹介します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月27日日(月) (2)
(番組内容)
「ラジオ深夜便 人生読本 文豪・森鴎外に学ぶ 吉野俊彦」
平成9年4月25日放送、ラジオ第1
(詳細)
吉野は、森鴎外が軍医というサラリーマンでありながら
文学の仕事をしたことに親近感を覚え、鴎外の研究を始めました。
平成9年4月に放送した「ラジオ深夜便 人生読本 文豪・森鴎外に学ぶ」では、
鴎外が一時創作活動をやめた北九州の小倉在勤時代を取りあげ、
軍医をしながらの文学での成功が正当に評価されないことを苦悩する鴎外に共感しつつ、
挫折の中でも鴎外が勉強を続け後の創作活動につなげたことに鼓舞されると話します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月20日日(月) (1)
(番組内容)
「ラジオ深夜便 人生読本 文豪・森鴎外に学ぶ 吉野俊彦」
平成9年4月25日放送、ラジオ第1
(詳細)
吉野俊彦は渋沢敬三と同じく、本業以外でも活躍しました。
日本銀行に勤めながら多数の金融関係の本を執筆した経済評論家、
また文豪・森鴎外の研究家として知られています。
平成9年4月に放送した「ラジオ深夜便 人生読本 文豪・森鴎外に学ぶ」では、
なぜ自分が森鴎外にひかれ学ぶようになったのかを語っています。
軍医だった鴎外はサラリーマンとして無為に一生を送ることを
潔しとせず、深夜に文学活動に専心したといいます。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月13日日(月) (2)
(番組内容)
「教養特集 日本回顧録 昭和財界史 渋沢敬三」
昭和38年1月14日放送、ETV
(詳細)
渋沢敬三が大正10年から庶民の民具を収集し研究拠点とした
「アチック・ミューゼアム」は、戦争中に「日本常民文化研究所」
と名称を変更し、現在は神奈川大学の研究所となって
今年で開設100年を迎えます。
昭和38年1月に教育テレビで放送した「
教養特集 日本回顧録 昭和財界史 渋沢敬三」では、民俗学の他、
終戦直後に大蔵大臣として日本経済の立て直しに尽力したこと、
特に財閥解体や農地改革について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月6日日(月) (1)
(番組内容)
「教養特集 日本回顧録 昭和財界史 渋沢敬三」
昭和38年1月14日放送、ETV
(詳細)
渋沢敬三は、現在NHKで放送している大河ドラマ
「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一の孫で、日銀総裁などを務める傍ら、
民俗学の研究にも力を入れました。
昭和38年1月に教育テレビで放送した
「教養特集 日本回顧録 昭和財界史 渋沢敬三」では、
農民や漁民との交流の中から資料を収集し研究した渋沢民俗学や戦争中に
日銀総裁になった経緯、終戦直後に大蔵大臣として混乱する
経済の立て直しにあたったことなどを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月30日日(月) (2)
(番組内容)
「この人と語る 南原繁」
1968年3月16日放送、ETV
(詳細)
南原繁は戦後初の東京大学総長として、
新日本の建設や大学教育の改革に力を尽くしました。
昭和43年に教育テレビで放送した「この人と語る 南原繁」では、
戦時下の東京帝国大学での思想弾圧や教え子の出陣などを振り返り、
戦後日本の進むべき道について語っています。
この中で南原は、日本国憲法の平和理念は世界的に意義があると述べ、
特定の国と軍事同盟を結ぶことが本当の意味の独立になるのか
考えるべきと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月23日日(月) (1)
(番組内容)
「この人と語る 南原繁」
1968年3月16日放送、ETV
(詳細)
南原繁は終戦直後の昭和20年12月、東京帝国大学総長に就任し、
戦後の教育改革を推進。
サンフランシスコ講話条約については全面講和を唱え、
当時の吉田首相と対立しました。
昭和43年に教育テレビで放送した「この人と語る 南原繁」では、
内務省で働いた後、恩師の政治学者・小野塚喜平治に
相談して再び学問の道に戻るまでのことや、もう一人の恩師・内村鑑三から
学んだキリスト教信仰、作り続けた短歌について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月16日日(月) (3)
(番組内容)
「丸山真男と戦後日本 第2回 永久革命としての民主主義」
1996年11月19日放送、ETV
(詳細)
丸山真男は東京大学を退職後、市民に招かれて小さな集会や勉強会で、
現在の日本の置かれている状況を戦前の日本と比較して語っています。
平成8年11月に教育テレビで放送された
「丸山真男と戦後日本 第二回永久革命としての民主主義」では、
丸山が亡くなる1年前の平成7年に注目された一連の
「オウム真理教事件」について、他人事とは思えず、
その集団の閉鎖性・異常性は大日本帝国の戦争中を思い出させると話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月9日日(月) (2)
(番組内容)
「丸山真男と戦後日本 第1回 民主主義の発見」
1996年11月18日放送、ETV
(詳細)
丸山真男は終戦直後の昭和20年12月から翌年にかけて、
一般市民を対象に民主主義とは何かを学ぶ
「庶民大学・三島教室」を静岡県の三島市で開きました。
平成8年11月に教育テレビで放送された
「丸山真男と戦後日本 第一回民主主義の発見」では、
大学教育の意味や目標について語っており、
「庶民大学・三島教室」での体験から、学問というものは自発的に「
面白い」と思わせるものが第一と説いています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月2日日(月)
(番組内容)
「丸山真男と戦後日本 第1回 民主主義の発見」
1996年11月18日放送、ETV
(詳細)
丸山真男は平成8年(1996年)8月15日に82歳で亡くなり、
今年は没後25年になります。
丸山は戦後民主主義の理論的リーダーとして知られ、
講和問題や60年安保では積極的に発言し世間の注目を集めました。
丸山が亡くなった後、平成8年11月に教育テレビで放送された
「丸山真男と戦後日本 第一回民主主義の発見」では、終戦直後に始まった
「庶民大学・三島教室」で市民と民主主義とは何か語り合ったと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月26日日(月)
(番組内容)
「あさいち プレミアムトーク」
平成25年11月15日総合テレビ
(詳細)
八千草薫が82歳の時の放送で、戦後の宝塚音楽学校の一期生
として入団した頃の話から、舞台、映画、ドラマで活躍した
時代の数々のエピソードが紹介されています。
特に日伊合作映画「蝶々夫人」の撮影時のお酒にまつわる
失敗談では、彼女の意外な一面をうかがうことができます。
さらには50年間連れ添った夫、映画監督の谷口千吉が
いつもかけてくれた言葉と、今も部屋に残している
大きな写真の話など大切な思い出を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月19日日(月)
(番組内容)
「「けさの話題 放送文化賞受賞者にきく」
平成3年3月11日、ラジオ第1
(詳細)
八千草薫が60歳の時の放送で、自身の出演作を振り返りながら
テレビドラマの魅力について語っています。
かつての大人しくおっとりした役から、近頃は少し芯のある
しっかりした女性を演じることが多くなってきたこと。
また、舞台や映画と違ってテレビは複数のカメラがある中で
長く演技を続けることが多く、役者の持っているものが
生に出てきてしまうと感じること、
同時にそこで感じる自由さが自分には合っているとも語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月12日日(月)
(番組内容)
「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」
令和3年1月19日、BSプレミアム
(詳細)
向田邦子が飛行機事故で亡くなる半年ほど前、
昭和56年8月に埼玉県で行われた講演会の録音です。
この中で向田は脚本家の仕事、作品についての自らの
こだわりともいえる考え方と、それが病を得ることで
少しずつ変化し、後に小説を書き始めるに至った真情について語っています。
その頃のエピソードや直木賞を受賞した作品を収めた連作短編のタイトルを
「思い出トランプ」とつけたときの話にも彼女の正直な気持ちが表れています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月5日日(月)
(番組内容)
「朝のロータリー ことしの主役 直木賞受賞」(1)
昭和55年12月29日、ラジオ第1
(詳細)
向田邦子が台湾での取材旅行中に飛行機事故で亡くなって今年で40年。
『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』など、
数々のテレビドラマの脚本を執筆されただけでなく、
小説家としても昭和55年に直木賞を受賞されました。
その年に出演された「朝のロータリー」では、自身の性格や日常の興味、
ものの見方などについて語っています。
昭和54年に放送された「蒸気機関車に寄せて」という番組と合わせてご紹介します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月28日日(月)
(番組内容)
「ラジオ深夜便、共生の建築を目指して 2」(2)
平成17年2月21日放送、R1
(詳細)
「ラジオ深夜便 共生の建築を目指して2」で黒川は、
21世紀における「共生の思想」は経済と文化の共生、
科学技術と芸術の共生であると説いています。
高度に専門化し、深めていく時代から総合の時代になったと。
そして、それを進めるためには日本の美の根源にある、生と死、
鬼と優しさ、老いと若さといった矛盾するほど違うもの、
それらを同時に共生させる感性、
江戸文化を見直し、建築に生かしていくべきだと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月21日日(月)
(番組内容)
「ラジオ深夜便、共生の建築を目指して 1」(1)
平成17年2月20日放送、R1
(詳細)
黒川紀章は丹下健三の門下生で、独自の「メタボリズム(新陳代謝)」
理論を提案し、前衛的な建築と都市デザインを行いました。
平成17年放送「ラジオ深夜便 共生の建築を目指して1」は黒川が70歳のときの番組。
建築家を志すきっかけと後の重要な出会いとして、
戦後の焼け野原に立った父のつぶやきを聞いた話と、
仏教でいう「共生」「ともいき」という考え方を具体的な街づくりに
生かす自らの建築の原点について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月14日日(月) (2)
(番組内容)
「訪問インタビュー〜建築は文化である」
昭和59年1月31日放送ETV
(詳細)
「訪問インタビュー〜建築は文化である」
が放送されたのは丹下健三が70歳の時。
この中で丹下は建築に対する自身の重要な考えを述べています。
「建築は機能的なだけでなく、美しさと両方が調和したものでなければならない」。
また「都市には計画された部分と、そこに住んでいる人たちが自発的に作り出していく
部分の両方が必要で、それを全体でまとめるのが建築家の役割だ」と、
建築家という職業の本質についても語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月7日日(月) (1)
(番組内容)
「わたしの自叙伝〜建築・道・広場」
昭和55年11月20日放送GTV
(詳細)
丹下健三は日本の建築を世界レベルに引き上げた建築家で、
多くの国家プロジェクトを手がけました。
昭和55年放送「私の自叙伝〜建築・道・広場」
は丹下が67歳、ちょうど文化勲章を受章した時の番組です
。戦後最初に手掛けた「広島平和記念公園および記念館」、
1964年の東京オリンピックの2つの屋内総合競技場、
1970年の万博会場全体計画など、代表的なプロジェクトを例に、
建築と都市の関わりについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月7日日(月)
(番組内容)
「おはようジャーナル」
GTV,昭和61年12月5日放送
(詳細)
京マチ子は大正13年生まれ。
昭和26年に「羅生門」出演後、「雨月物語」「地獄門」など立て続けに出演。
海外でも知られる日本を代表する女優として長く活動。
一昨年95歳で亡くなりました。
この番組に出演したのは62歳の時。
活動の中心となったテレビドラマについて、
今までは何をするにも失敗が怖いという気持ちが先にあったが
、最近は自分の役じゃないかなと思うものでも
挑戦したい気持ちになってきたと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月24日日(月)
(番組内容)
「時の人〜三船敏郎」
ラジオ第1、昭和40年9月9日放送
(詳細)
三船敏郎は大正9年生まれ。
去年生誕100年を迎えました。
昭和26年に主演した「羅生門」がヴェネチア国際映画祭で金獅子賞、
その後昭和40年の「赤ひげ」では男優賞に輝き「世界のミフネ」と呼ばれるようになります。
この番組は、その2度目の受賞後に放送されたもので、
伝説となっている映画界入りのエピソード
(審査員に「笑って」と言われて「おかしくないのに笑えるか」と答えた)を始め、
映画への思いが語られています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月17日日(月) -3-
(番組内容)
「映像ファイル あの人に会いたい」
GTV、平成21年9月8日放送
「日曜訪問〜父・黒澤明の素顔」
ラジオ第1、平成11年9月5日放送
(詳細)
今回は黒澤明の長女で、衣装デザイナーとして活躍される
黒澤和子さんのお話から、黒澤の家庭での素顔や、
仕事への取り組みの様子などを紹介します。
黒澤の一周忌の平成11年に放送されたものです。
撮影現場でも自宅でも変わらないテンションで映画への情熱を語る姿や、
これからの日本映画界をもり立てていきたいという思いが語られています。
また、黒澤自身が自らの映画哲学を語る
インタビューも合わせてお聞きいただきます。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月10日日(月) -2-
(番組内容)
おはようラジオセンター、文化勲章受章者に聞く
ラジオ第1、昭和60年10月31日放送
(詳細)
黒澤明が文化勲章を受章したのは昭和60年(1985年)、75歳の時。
最高傑作の一つとして評価の高い「乱」公開の年でした。
黒澤は今回の受章を個人としての喜びよりも、
映画に対する国の理解拡大につながるきっかけになればと、
映画人としての期待をもって語っています。
映画の持つ豊かな表現の可能性を追求したいという尽きることのない自身の思い
とともに、日本映画の発展に必要な若い人材の育成についても話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月3日日(月) -1-
(番組内容)
朝のロータリー、影武者でグランプリ
ラジオ第1、昭和55年12月12日放送
(詳細)
黒澤明は明治43年(1910年)生まれ。
去年生誕110年を迎えました。ヴェネチア、カンヌなど名だたる国際映画祭でグランプリを受賞。
多くの国々で受け入れられる映画の魅力について、一番肝心な点は「
“映画独特の美しさ”が備わる」こと、普遍的な映画は世界中で通用する
という考えとともに、そこに持っていくための工夫や努力として、現場では
自分の生の声で伝えることや、俳優自身が考えるのを待つことだと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月26日日(月) -2-
(番組内容)
「みんなの茶の間、話題の人」
R1,昭和49年10月8日放送
(詳細)
臼井吉見は番組「みんなの茶の間」の中で、終戦の日、
あの8月15日を振り返り、自分も日本も生き返った感じが非常に強かった。
日本が陸軍の占領から解かれて本当に嬉しかったのだと語っています。
また、番組後半では「安積野」という地名の由来をめぐる話から、
病気によって生活が一変、夜が明けて目が覚めるのが嬉しくてしょうがない。
次は西園寺公望の青春時代を中心に、幕末から明治中期までを書きたいと抱負を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月19日日(月) -1-
(番組内容)
「みんなの茶の間、話題の人」
R1,昭和49年10月8日放送
(詳細)
臼井吉見は教員や軍隊経験を経て、戦後、41歳で雑誌「展望」の編集長に就任。
作家として小説「安曇野」の執筆を開始したのは59歳の時。
番組「みんなの茶の間」は、そこから10年をかけて大作を書き上げたばかり頃の放送でした。
中学生の頃から作家を目指しながら才能がないと感じ別の道を選んだり、
書き始めてまもなく病気になったり道草ばかりだったが、実はそこで考えたことが
小説を書く動機になっていると語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月12日日(月)
(番組内容)
「わたしの自叙伝・下中弥三郎」
R1,昭和35年6月6日放送
(詳細)
下中弥三郎は貧しいなか努力して陶工、教員、新聞の編集などさまざまな経験を重ね、
大正3年に平凡社を創業しました。
晩年に出演した「私の自叙伝」では、その苦学の経験が百科事典の編集、
出版につながったことや完成までの苦労を出版という事業の面白さとともに語っています。
また、戦後、出版と並んで力を入れた世界連邦運動や「世界平和アピール七人委員会」
結成に関しては、自身の人生を貫く母の教えについても語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月5日(月)
(番組内容)
「朝の訪問、小林勇」
R1、昭和36年3月1日放送
(詳細)
岩波書店元会長の小林勇は17歳で岩波書店に入社し、
編集と経営の両方で手腕を発揮しました。
昭和36年の「朝の訪問」は岩波書店の会長となる前年の放送で、
若いころ原稿取りで親しくなった文豪の幸田露伴の所へ毎日のように通った話や、
創業者・岩波茂雄の友人である阿部次郎や安倍能成など若い学者とともに、
学問に根を置いた出版という岩波書店の性格を形作ったと話など、
戦前から戦中・戦後の出版界について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月29日(月) -3-
(番組内容)
「文化講演会・生活の伝統」
R1,昭和53年5月21日放送
(詳細)
青森での講演の後半、宮本は津軽こぎん刺しを例に、
郷土文化はもともとその地で生まれたものばかりではなく、
周囲から流れ込んできた文化を受け止め、それを、
やがて自分のものにしてしまうことで高まっていったと語り、
最後は周囲の動きや情報に振り回されず、
逆にそれらを意のままにする主体性があれば、
真に生き甲斐のある人生を生き抜くことができる
「随所に主となれば立処みな真なり」という禅の言葉で締めくくっています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月22日(月) -2-
(番組内容)
「文化講演会・生活の伝統」
R1,昭和53年5月21日放送
(詳細)
青森での講演会の中で、宮本は縄文や弥生の時代の
土器や稲作の伝播(ぱ)に九州と東北で大きな開きがないことを
紹介しながら日本海を経由する物や文化の交流は今の人の想像よりも遥かに
大きな量と質を持っていたとを伝え、「伝統」とは古いものを大事にしていくことだけではなく、
異質の文化、自分らには生み出すことのできない文化を抱え込もうとする人間の意欲の強さ、
そのために続けられた努力のことを言うのだと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月15日(月) -1-
(番組内容)
「わたしの自叙伝・民俗学との出会い」
ETV,昭和54年6月14日放送
(詳細)
宮本常一は歩く学者と呼ばれ、生涯に歩いた距離は
地球4周分にあたる16万キロになると言われています。
なぜそこまで現地を見て歩くことにこだわったのか、そこには生涯の師である
渋沢敬三の教えと、その言葉とまさに重なる父の教訓がありました。
「民俗学をやると言っても学者になるな」
「人が見落としたものをできるだけ見て行く。やがてそれが役に立つ時期がくる。」
番組では宮本が二人から受けた言葉と教えを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月8日(月) -2-
(番組内容)
「日本民藝協会での挨拶」
昭和34年10月2日、日本民藝協会提供の音声
(詳細)
晩年の柳宗悦は体調が優れず、入退院を繰り返しながら仕事を続けました。
昭和34年に開かれた日本民藝協会全国大会には挨拶を録音の形で寄せています。
その中で、民芸品のごく当たり前で素直な美しさを「無事の美」
という禅の言葉で表しながら、それを理解する心はやがて
世界の人々から感嘆されるに違いないと語っています。
民芸運動は美しい品を通して人と人の心を平和に結び合いたいという
柳の念願にほかならないものでした。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月1日(月) -1-
(番組内容)
「朝の訪問」
R1,昭和24年12月1日放送
(詳細)
思想家で美学者の柳宗悦は民衆が使う日用品の中に美を見出す
民芸運動を興し、日本民藝館の初代館長を務めました。
この番組が放送された昭和24年、柳は60歳。
西洋で高まりつつある日本の民芸品の評価を紹介するとともに、
民家の囲炉裏で使われる自在鉤の優れた機能や使い込まれた美しさを
「丁寧な暮らし」に根ざすものとして例に上げながら、
工芸は美の問題だけでなく、それを支える社会問題であり、道徳問題だと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月22日(月) -2-
(番組内容)
「現代の選択・共栄への道」
R1,昭和56年1月2日放送
(詳細)
世界最古といわれる英国の公道レースでの優勝(1961年)に続き、
本田宗一郎さんが日本企業としていち早く、海外、
それもヨーロッパでの現地生産に乗り出した当時を振り返りながら、
海外進出で重要な考え方と、人生の終盤に感じる大切なことについて語っています。
「日本人を中心に、ものを考えてはいけない」
「問題のないようにこっちから先にすることが一番、上の上です」
「離陸に始まって着陸に終わる。飛行機の人生」
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月15日(月) -1-
(番組内容)
「現代の選択・共栄への道」
R1,昭和56年1月2日放送
(詳細)
日米自動車摩擦が騒がれ始めた1981年、当時74歳を
迎えていた本田宗一郎さんが、終戦後の会社立ち上げから、
その後の世界進出までを振り返っています。
軍で使っていた通信機のエンジンを自転車に取り付けた
自作オートバイの成功をきっかけに、専用エンジンによる
本格オートバイの開発、世界最古といわれる英国の
公道レースでの優勝、それをわずか10年あまりで達成した、
その最大の秘けつは失敗を恐れない挑戦の精神でした。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月8日(月) -2-
(番組内容)
「「朝のロータリー、第二臨調」
R1,昭和56年2月3日放送
(詳細)
土光さんは経団連で6年間会長を務めた後、昭和56年・85歳の時に
第二次臨時行政改革調査会の会長に就任します。
直前に出演したこの番組では、「石油ショック後の民間企業の苦労に比べて、政府は何をやってきたか」
「身を切る覚悟で時代に合った体制に」「無駄なものは省き、民間に譲るものは委託する」など、
強い決意とともに、当時、有名になったイワシの丸干しや畑仕事など、
自身の健康管理についても語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月1日(月) -1-
(番組内容)
「ニュースリポート、民間経済外交」
R1,昭和51年9月22日放送
(詳細)
土光さんは明治29年生まれ。
数々の企業の経営で実績を上げ、昭和49年・78歳の時に経団連会長に就任しました。
二年後に受けたこのインタビューでは、今後の民間経済外交のあり方だけでなく、
第一次石油ショック後の疲弊した経済をどう立て直すか、
また、政治との距離や関係について、「日本も変わらなきゃならん、一番は体制の問題だ」
「経済の問題には物を申すが、政治には口を出さない」など、
自身の考えを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月25日(月) -2-
(番組内容)
ラジオ深夜便 女優の戦後
2009.12.5放送 R1
(詳細)
平成21年、森光子さん89歳の誕生日に「放浪記」は公演2000回を達成。
森さんは41歳の初演から48年間、この舞台の主役を務め、
その年には国民栄誉賞を受賞しました。
同じ年に出演された「ラジオ深夜便」では、受賞の喜びとともに、
太平洋戦争のさなか、歌手として活動していた頃の思い出を語っています。
決して夢を諦めないこと、ステージに立って観客を楽しませること、
その大切さを改めて教えてくれます。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月18日(月) -1-
(番組内容)
わが故郷わが青春
1986.3.30放送 R1
(詳細)
森光子さんは大正9年・1920年生まれ。
去年生誕100年を迎えました。
幼い頃から少女歌劇にあこがれていた森さん、親戚に時代劇スター嵐寛寿郎がいたことで、
映画デビューは15歳と早かったものの、20〜30代は脇役ばかり。その間、戦争あり、結核との闘病あり。
41歳で初の主役に抜擢(てき)してくれた劇作家、菊田一夫との出会いまで、
まさに「でんぐり返し」の人生を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月11日(月) -2-
(番組内容)
特集 世界・わが心の旅
「李香蘭 はるかなる旅路〜中国・ロシア」
(詳細)
日中関係が悪化の一途をたどる中で少女時代を過ごした山口淑子さん。
今回は平成10年に放送された「世界・わが心の旅 李香蘭はるかなる旅路」
で語られたその後の人生を紹介します。
病後の健康法に習い始めた歌がきっかけで歌手デビュー。
満州映画協会の看板女優として瞬く間にスターの座に駆け上ります。
しかし、戦後、中国では祖国を裏切る「漢奸」と疑われ、
命からがら引揚船に乗った山口さんの平和への強い思いに触れます。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月4日(月) -1-
(番組内容)
わが故郷わが青春
1992.11.1放送 R1
(詳細)
山口淑子さんは大正9年・1920年生まれ。
去年生誕100年を迎えました。
今回紹介するのは平成4年に放送された「わが故郷わが青春、旧満州・撫順」。
日中関係が悪化の一途をたどるなか中国人の養女として育ち、
2つの祖国の間で運命に翻弄された青春時代が語られています。
戦時中、自らが体験した「平頂山事件」の悲惨な記憶、そして
「中国人として通さなければならない運命の中で生きていた」
という日々をたどります。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月28日(月) -2-
(番組内容)
「関西発ラジオ深夜便」
2011年9月3日放送
(詳細)
中村哲さんは現地で医療支援をするうちに水の大切さに
気付き、灌漑用水路の建設に取り組むことになります。
今回は2011年に放送された「関西発ラジオ深夜便」を紹介します。
この中で中村さんは、飢餓や難民をなくすためには、
まず生きるために必要な水を確保することが大切だと訴え、
「水問題を解決して農業中心の自給自足の生活が出来れば難民もなくなる。
そのために用水路を整備して水の確保に努力してきた」と話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月21日(月) 1
(番組内容)
「人生読本」
1994年3月7日放送
(詳細)
医師の中村哲さんはペシャワール会の現地代表を務め、
およそ35年間に渡り医療支援や生活用水の確保に当たってきました。
しかし昨年12月、乗っていた車が銃撃され、病院に搬送後亡くなりました。
今回は1994年に放送された「人生読本」を紹介します。
中村さんは、1980年代に行ったハンセン病患者の
治療センター設立や当時の医療事情を語り、上から目線でなく地元の人たちの生活実態
に沿った支援が大事だと訴えています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月14日(月) 2
(番組内容)
「ラジオ深夜便・こころの時代」
2003年8月6日放送
(詳細)
緒方貞子さんは国連難民高等弁務官を退任後、アフガニスタン支援の
日本政府代表を務め、国際会議で共同議長として復興プログラムをとりまとめます。
難民が自立するためには教育が必要との考えから
「難民教育基金」の設立にも力を注ぎました。
緒方さんは「日本だけの平和というものはあり得ない。
日本の平和は世界の平和にかかっているし、日本の繁栄も世界に
繋がっているので、広く世界のことを見てもらいたいと」訴えています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月7日(月) 1
(番組内容)
「ラジオ深夜便・こころの時代」
2003年8月5日放送
(詳細)
緒方貞子さんは1990年代に国連難民高等弁務官、その後、
国際協力機構の理事長を務められ、昨年10月、92歳で亡くなりました。
今回は2003年に放送した「ラジオ深夜便・こころの時代」を紹介。
国連難民高等弁務官を務めた1990年代は東西冷戦が
終わったものの、民族、宗教等の地域紛争が増え続けた時期でした。
緒方さんが関わったイラクのクルド難民や旧ユーゴスラビアで
起こったボスニア紛争について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月30日(月) 5
(番組内容)
三島由紀夫・学生との対話、1968年10月3日
早稲田大学 三島由紀夫・最後の言葉、1970年11月18日 東京・馬込、三島邸
(詳細)
昭和45年11月の事件の数年前から、三島由紀夫は
各地の大学に出向き精力的に対話をしています。
昭和43年10月には早稲田大学で「学生との対話」
を行い、自身の文学や死生観を語っています。
また死の一週間前には文芸評論家の古林尚と「最後の言葉」を録音し、
戦後日本社会への違和感や10代で受けた精神的影響を語っています。
戦前の日本陸軍を「暗い精神主義」とし
自らとの親和性を吐露、翌週の事件に繋がりました。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月23日(月) 4
(番組内容)
特別座談会、川端康成氏を囲んで
1968年10月16日GTV
(詳細)
昭和43年、三島由紀夫の恩師・川端康成が日本人で初めての
ノーベル文学賞を受賞しましたが、実は三島自身も同賞の有力候補になっていました。
昭和43年10月に総合テレビで放送した
「特別番組・川端康成氏を囲んで」で三島由紀夫は、恩師の受賞を素直に
喜んでいるような発言をしています。
しかし受賞後の二人の交流は疎遠になったといわれており、ノーベル文学賞が
及ぼした二人の文学者の微妙な関係を分析します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月16日(月) 3
(番組内容)
時の人、三島由紀夫
1966年12月29日R1
(詳細)
「日本の作家は一般的に軟弱で根暗」とみられがちだった中、
三島由紀夫はこのような生き方を排し、
剣道やボディビルで肉体を鍛えながら文筆活動を進めました。
昭和41年12月にラジオ第1で放送した「時の人・三島由紀夫」では、
自身の著作「英霊の声」や「憂国」を例に出しながら、
観念的ではない体を張った小説を書いたと話しています。
また武士道の中にあったダンディズムとそれを中心にした
生き方について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月9日(月) 2
(番組内容)
宗教の時間、現代人と死
1966年7月24日ETV
(詳細)
三島由紀夫は1970年11月25日の自決を前に、
さまざまな形で“死の形”について語っています。
2回目は死の4年前の昭和41年7月に教育テレビで放送した、
「宗教の時間、現代人と死」を再現しながら、三島の死生観を考えます。
この番組で三島は20代で自分はどのように死ぬべきなのか。
「葉隠」の死生観とそれまで何の役にも立たなかった自分自身の
生き方・死に方について、反省を込めながら語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月2日(月) 1
(番組内容)
国語研究、作家訪問・三島由紀夫
1964年5月29日R2
(詳細)
三島由紀夫は1970年11月25日に自衛隊で決起を呼びかけ、衝撃的な自殺を遂げました。
今年11月はあの事件から50周年を迎えます。
今月は5回に渡り三島事件を振り返り、事件の実況や番組に残された肉声をもとに
三島由紀夫の実像に迫ります
。1回目は昭和39年にラジオ第2で放送された幻の名番組「国語研究、作家訪問・三島由紀夫」から、
自身の文学の成り立ちや当時は受け入れなかった“愛の形”について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月26日(月) 4
(番組内容)
「ラジオ深夜便・日本との出会い」
平成23年
(詳細)
ドナルド・キーンさんは日本文学研究者として活動され、
去年2月に心不全のため96歳で亡くなりました。
今回は平成23年に放送された「ラジオ深夜便・日本との出会い」を紹介。
D.キーンは日本文学の他にも足利義政や明治天皇、渡辺崋山の評伝を書いています。
それは変革期の人物に興味があったからと話しています。
また本当の日本人になるために人生の最後に日本国籍を取り、
仲間の一人になれたと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月19日(月) 3
(番組内容)
「ラジオ深夜便・日本との出会い」
平成23年
(詳細)
ドナルド・キーンさんは日本文学研究者として活動され、
去年2月に心不全のため96歳で亡くなりました。
今回は平成23年に放送された「ラジオ深夜便・日本との出会い」を紹介。
キーンさんは沢山の日本人作家と交流を持ちました。
一番親しかったのは三島由紀夫。その他にも永井荷風、谷崎潤一郎などとも
交流を持ち印象を語っています。
また松尾芭蕉の奥の細道を旅した印象や芭蕉の俳句の奥深さも指摘しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月12日(月) 2
(番組内容)
「ラジオ深夜便・日本との出会い」
平成23年
(詳細)
ドナルド・キーンさんは日本文学研究者として活動され、
去年2月に心不全のため96歳で亡くなりました。
今回は平成23年に放送された「ラジオ深夜便・日本との出会い」を紹介。
コロンビア大学で日本文学を教わった角田柳作のことや勉強した
「源氏物語」、「枕草子」などのことを語っています。
また京都大学に留学した時の印象やその時に知り合ったのちの文部大臣になった
永井道雄との交流のことも話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月5日(月) 1
(番組内容)
「ラジオ深夜便・日本との出会い」
平成23年
(詳細)
ドナルド・キーンさんは日本文学研究者として活動され、
2011年の東日本大震災のあと日本国籍を取得し、
去年の2月に心不全のため96歳で亡くなりました。
今回は平成23年に放送された「ラジオ深夜便・日本との出会い」を紹介。
日本語との出会いは昭和15年にニューヨークの古本屋で買った
「源氏物語」がきっかけでした。
その後海軍の語学学校に入って日本語を勉強し、
戦争中は日本人捕虜の尋問に当たりました。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月28日(月) 2
(番組内容)
「わたしの自叙伝・獄窓十四年」
昭和54年3月15日
(詳細)
福本和夫は明治27年生まれのマルクス主義の理論家。
今回も昭和54年に放送された「わたしの自叙伝 獄窓十四年」を紹介。
福本が84歳の時の録音で14年間に渡った獄中生活を生き抜いた秘けつを語っています。
その秘けつとは、正座を習慣にして肝の据わった生活をすること、
宗教書を読みながらノートを取ることで乗り切ったと獄中を振り返っています。
そして昭和17年に釈放されてから戦後の歩みについても語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月21日(月) 1
(番組内容)
「わたしの自叙伝・獄窓十四年」
昭和54年3月15日
(詳細)
福本和夫は明治27年生まれのマルクス主義の理論家で、福本の理論は
「福本イズム」と呼ばれて一世を風靡(び)しました。
今回は昭和54年に教育テレビで放送された「わたしの自叙伝 獄窓十四年」を紹介。
この放送は福本が84歳の時の録音で、一高の3年生の時、
夏目漱石が亡くなった際に立てた自分の人生目標や、
43歳の時に着想した自分のライフワークのこと、
また思想犯で投獄された獄中生活のことを振り返っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月14日(月) 2
(番組内容)
「教養特集・生きている労働運動」
昭和31年4月30日
(詳細)
荒畑寒村は明治20年生まれの労働運動家。
今回も昭和31年4月に放送された「教養特集・生きている労働運動」を紹介。
この放送は荒畑が68歳の時の録音で、大正時代に人気のあった画家の
竹久夢二と共同生活をしたエピソードや、
明治41年に大杉栄や堺利彦などが逮捕された「赤旗事件」
のことなどを振り返っています。
また大正12年にシベリア鉄道でモスクワに行き、
レーニンの演説を聞いたことも語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月7日(月)
(番組内容)
「教養特集・生きている労働運動」
昭和31年4月30日
(詳細)
荒畑寒村は明治20年生まれの労働運動家。
明治・大正・昭和の3代に渡って社会主義の運動に携わってきました。
今回は昭和31年4月に放送された「教養特集・生きている労働運動」を紹介。
この放送は荒畑が68歳の時の録音で、労働者の日・メーデーの5月1日を前に、
メーデーの歴史を振り返っています。
日本で初めて労働組合によって正式にメーデーが行われたのが大正9年、
最初のメーデーのエピソードを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月24日(月)
(番組内容)
「ラジオ深夜便・絆〜夫婦になるということ」2
(1996年8月25日放送)
(詳細)
丸木俊さんは洋画家で、夫の位里さんと一緒に
「原爆の図」や「沖縄戦の図」を描いてきました。
今回は平成8年に放送された「ラジオ深夜便・絆〜夫婦になるということ」を紹介。
この放送は丸木さんが84歳の時の放送で、
夫の丸木位里さんと一緒に共同制作したことを語っています。
これら絵画の人物は俊さんが、風景は位里さんが主に描き、お互いの画風や才能を
尊敬しあったことが、連作を続けられた秘訣だと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月24日(月)
(番組内容)
「ラジオ深夜便・絆〜夫婦になるということ」1
(1996年8月25日放送)
(詳細)
丸木俊さんは洋画家で、夫の丸木位里さんと一緒に
「原爆の図」や「沖縄戦の図」を描いてきました。
今回は平成8年に放送された
「ラジオ深夜便・絆〜夫婦になるということ」を紹介。
この放送は丸木さんが84歳の時の放送で、
代表作「原爆の図」に取り組んだころのことを語っています。
この作品は終戦後の昭和25年から描きはじめ、全15部の連作となって
被爆の惨状を伝えたことから、反核反戦の象徴にもなっています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月17日(月)
(番組内容)
「ラジオ深夜便・ヒロシマの心を語り継ぐ」3
(2004年8月5日放送)
(詳細)
高橋昭博さんは、昭和54年からおよそ4年間に渡って、
元広島平和記念資料館の館長を務めました。
平成16年に放送された「ラジオ深夜便・ヒロシマの心を語り継ぐ」を紹介。
この放送は73歳の時の録音で、館長時代の思い出を話しています。
印象に残ったのはローマ法王・パウロ2世やイタリアのベルティーニ大統領など。
また広島に原爆を投下したポール・ティベッツ機長とはアメリカで面会し、
その後文通を続けたと話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月10日(月)
(番組内容)
「ラジオ深夜便・ヒロシマの心を語り継ぐ」2
(2004年8月5日放送)
(詳細)
高橋昭博さんは、昭和54年からおよそ4年間に渡って、
元広島平和記念資料館の館長を務めました。
平成16年に放送された「ラジオ深夜便・ヒロシマの心を語り継ぐ」を紹介。
この放送では「原爆の語り部」として5つのメッセージについて話しています。
その5つとは、「出会いを大切にする」「人の痛みをわかる心を持つ」
「憎しみを持ってはいけない」「まず一人から行動せよ」
「勇気と努力と挑戦を」と説いています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月1日(月)
(番組内容)
「ラジオ深夜便・ヒロシマの心を語り継ぐ」1
(2004年8月5日放送)
(詳細)
高橋昭博は、昭和54年元広島平和記念資料館の館長に就任し、およそ4年間館長を務めました。
今回は平成16年に放送された「ラジオ深夜便・ヒロシマの心を語り継ぐ」を紹介。
この放送は高橋さんが73歳の時の録音で、被爆体験を語り続けたことを話しています。
高橋さんは昭和20年8月6日、14歳の時に広島で被爆し、これまで32年3000回にわたって
被爆体験を語ってきて「原爆の語り部」ともいわれています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月27日(月)
(番組内容)
「わたしの自叙伝」(2)
(1980年1月17日放送)
(詳細)
藤山愛一郎の2回目。
今回も昭和55年に放送された「私の自叙伝 闘病・外遊の青春」を紹介。
藤山愛一郎が82歳の時の放送です。
藤山愛一郎は大学卒業後、実業界で活躍しさまざまな会社の経営に当たってきましたが、
その後政治の世界に転身することになります。
政界に出るにあたって、貧乏をなくす方法や社会保障の問題について語っています。
またその後の日本と中国との関係改善、特に日中国交回復についての抱負も話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月20日(月)
(番組内容)
「わたしの自叙伝」(1)
(1980年1月17日放送)
(詳細)
藤山愛一郎の1回目。
今回は昭和55年に放送された「私の自叙伝 闘病・外遊の青春」を紹介
。藤山愛一郎が82歳の時の放送です。
自身の慶應義塾・普通部で学んだ頃のことについて、勉強だけでなく
絵画や文芸など芸術活動に積極的にかかわったことを語っています。
また学生時代に外国を旅したことや、そのご身体を壊して6年間も闘病生活を送ったが、
それらのこと全てがその後の人生を開いて行(い)ったことを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月13日(月)
(番組内容)
「総理と語る」(3)
(1973年7月20日放送)
(詳細)
田中角栄の3回目。
今回も昭和48年に放送された「総理と語る」を紹介。
田中角栄55歳の時の録音で、慶応義塾大学教授の池田弥三郎さんとの対談です。
戦前の教育と戦後の教育の違いを論じながら、
義務教育のあるべき姿を語っています。
また学校教育だけでなく社会に出てからの社会教育や精神教育など、
田中角栄が実践生活から体得した教育論など話し、
将来の人材を生み出すための教育の目標についても話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月6日(月)
(番組内容)
「総理と語る」(2)
(1973年7月20日放送)
(詳細)
田中角栄の2回目。
今回も昭和48年に放送された「総理と語る」を紹介。
田中角栄55歳の時の録音で、慶応義塾大学教授の池田弥三郎さんとの対談です。
自分が生まれ育った大正時代から昭和前期の貧しい時代と戦後の
自由な社会を比較して、人間社会の理想的な姿はどういうものかを語っています。
また現代社会とストレスの関係、その中で義務教育の
役割や学校の教師の果たす役割についても話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月29日(月)
(番組内容)
「総理と語る」(1)
(1973年7月20日放送)
(詳細)
田中角栄の1回目。
今回は昭和48年に放送された「総理と語る」を紹介。
田中角栄55歳の時の録音で、慶応義塾大学教授の池田弥三郎さんとの対談です。
自分の人生における3人の先生や恩師の思い出を語っています。
その3人とは小学校時代の先生、学校を卒業した後の仕事上の恩師、
それに戦後代議士になった時の幣原喜重郎です。
また親に代わって次代の国民を育てるために
国がなすべきことについても話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月22日(月)
(番組内容)
「特別番組・吉田茂氏に聞く〜講和条約から十年」3
(昭和36(1961)年9月10日放送)
(詳細)
(アンコール放送)
今回も昭和36年に放送された「特別番組・吉田茂氏に聞く〜講和条約から10年」を紹介。
当時の国際情勢について話した後、戦後吉田の進めた
経済第一主義の復興政策の正しさを語っています。
またソ連の核実験・ベルリン問題・国連組織の強化などを語りながら、
日本の外務省は米英からの情報だけでなく多角的な情報を世界中から
集めて日本の針路をとるべきとのリアリストとしての政治哲学を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月15日(月)
(番組内容)
「特別番組・吉田茂氏に聞く〜講和条約から十年」2
(昭和36(1961)年9月10日放送)
(詳細)
(アンコール放送)今回も昭和36年に放送された
「特別番組・吉田茂氏に聞く〜講和条約から10年」を紹介。
吉田茂82歳の時の録音で、当時のNHK専務理事・前田義徳の質問に対して
1951年(昭和26年)に行われたサンフランシスコ講和条約での当時の
ソ連の外務大臣との北方領土交渉の話や
日本の安全保障の話をしています。
また講和条約のあと結ばれた日米安全保障条約に
吉田一人で調印したいきさつなど話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月8日(月)
(番組内容)
「特別番組・吉田茂氏に聞く〜講和条約から十年」1
(昭和36(1961)年9月10日放送)
(詳細)
(アンコール放送)今回は昭和36年に放送された
「特別番組・吉田茂氏に聞く〜講和条約から10年」を紹介。
吉田茂82歳の時の録音で、当時のNHK専務理事・前田義徳の質問に対して
終戦直後の食糧難の話やマッカーサーの人となり、
それに当時勃発した朝鮮戦争のことなどを語っています。
また直接交渉したアメリカのダレス国務長官との話し合いの中で出てきた日本の
再軍備の話など、外交交渉に関する秘話を話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月1日(月)
(番組内容)
「婦人の時間・大磯に吉田さんを訪ねて」
(昭和31(1956)年4月12日放送)
(詳細)
(アンコール放送)吉田茂の1回目。
今回は昭和31年に放送された
「婦人の時間・大磯に吉田さんを訪ねて」を紹介。
吉田茂77歳の時の録音で、外交官で翻訳家の田付辰子さんの訪問を
受けて大磯の吉田邸で政界を引退した後の自由な生活ぶりを語っています。
ばらの会の会長になって自宅の庭のばらをめでる話や
松方コレクションが出来た経緯などの逸話、またフランスの美術品の価値
についての話などを、ざっくばらんに話しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月25日(月)
(番組内容)
「深夜便・老人こそ市民」(2)
(2006(平成18)年12月2日放送)
(詳細)
小田実の4回目。
今回は、平成18年に放送された「ラジオ深夜便」から
「老人こそ市民」の後半を紹介。
今回は、小田実が考える「市民の定義」について述べ、
そして提案として、予算は国や自治体の政治家や役人に任せる
のではなく自分たちの意見として自分たちの予算をぶつけて
戦わなければならない。
第一線から引退した老人たちこそが中心となり市民が集まって知恵を
出し合っていければ、大きなパワーになると熱く語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月18日(月)
(番組内容)
「深夜便・老人こそ市民」(1)
(2006(平成18)年12月2日放送)
(詳細)
小田実の3回目。
今回は平成18年に放送された「ラジオ深夜便」
から「老人こそ市民」を紹介。
小田実74歳の時の録音で人生を4期に分けるヒンズー教の考え、
哲学者のバートランド・ラッセル、ベトナム反戦運動で
平和運動家、デイブ・デリンジャー等との交流、
最後に老若男女それぞれ異なった価値を
持っている人が、それぞれが生きていける
「サラダ社会」でなければならない、
そのためには平和でなければならないと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月11日(月)
(番組内容)
「深夜便・アメリカを語る」(2)
(2004(平成16)年3月18日放送)
(詳細)
作家・小田実の2回目。
行動的でエネルギーに満ち溢れ貪欲に生きた小田実、
その思想の原点は戦争体験にあるといいます。
今回は、平成16年3月にラジオ深夜便で放送された「
アメリカを語る」の後半を紹介します。
昭和33年にハーバード大学大学院に留学、その後2年間、
南米やヨーロッパ、中近東、アジアなど世界を見て歩きます。
その体験を基に書いた旅行記『何でも見てやろう』と
小説「アメリカ」にまつわる話をしています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月4日(月)
(番組内容)
「深夜便・アメリカを語る」(1)
(2004(平成16)年3月18日放送)
(詳細)
著書「何でも見てやろう」や「べ平連」の代表として
活動したことでも知られる作家・小田実を
4回にわたり取り上げます。
行動的でエネルギーに満ち溢れ貪欲に生きた小田実、
その思想の原点は戦争体験にあるといいます。
今回は、平成16年3月にラジオ深夜便で放送された
「アメリカを語る」を紹介。
小田実が71歳の時の録音で、終戦直前に大阪で受けた空襲の記憶、
アメリカのハーバード大学大学院に留学した頃を振り返っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月27日(月)
(番組内容)
「わたしの自叙伝・放浪の青春」(2)
1981年3月18日放送
(詳細)
俳優の森繁久彌の2回目です。
今回は昭和56年放送「わたしの自叙伝・放浪の青春」の後半です
。昭和14年にNHKのアナウンサーとなり、
希望して旧満州に赴任し録音で全土を歩き回ったこと、
終戦時に、さまざまな苦労をしてようやく帰国します。
その時、死も覚悟し困難を乗り越えた経験から
「困難は避けて通るな。自らぶつかろうじゃないか。
ぶつかって失敗したらまた出直そうじゃないか」
をモットーとしてきたと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月20日(月)
(番組内容)
「わたしの自叙伝・放浪の青春」(1)
1981年3月18日放送
(詳細)
2回にわたり俳優の森繁久彌を取り上げます。
森繁久彌は戦後、俳優として本格的に活動を始め
映画の社長シリーズ、NHKラジオ「日曜名作座」、
ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」他に出演、
平成3年には俳優として初の文化勲章を受章しました。
今回は昭和56年放送「わたしの自叙伝・放浪の青春」
の前半を紹介。
演劇にひかれた高校時代、大学で演劇の道に入ったこと、
旧満州でアナウンサーになるまでを振り返っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月13日(月)
(番組内容)
「人生読本・旅と歌」(2)
1979年4月2日〜4日放送
(詳細)
夏の高校野球『栄冠は君に輝く』やドラマ『君の名は』
主題歌で知られる作曲家の古関裕而の2回目です。
今回も昭和54年放送「人生読本・旅と歌」から紹介します。
戦争が終わって間もない昭和24年に作曲した『長崎の鐘』、
この曲を作るにあたっては歌の原作者である
永井博士の思いを伝えたかったこと、レコーディング時でのエピソード
そして自身の中で最大の傑作と自負する
『東京オリンピックマーチ』作曲の経緯を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月6日(月)
(番組内容)
「人生読本・旅と歌」(1)
1979年4月2日〜4日放送
(詳細)
2回にわたり1964年開催の東京オリンピック
の行進曲で知られる作曲家の古関裕而を取り上げます。
古関裕而は1909年福島生まれ、幼い頃から
父の影響で民謡や吹奏楽を聴いて育ちました。
一時、銀行などに勤めましたが
山田耕筰に認められ作曲家になります。
今回は、昭和54年放送「人生読本・旅と歌」を紹介。
作曲家の原点となった故郷のこと及び戦時下、
西條八十と中国へ従軍し『暁に祈る』作曲に至った経緯を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月30日(月)
(番組内容)
白瀬矗「南極探検について」
(戦前の録音)・山室軍平「修養論」
(詳細)
今回は、探検家の白瀬矗(のぶ)と
社会事業家の山室軍平、2人の貴重な録音を紹介します。
南極探検で知られる白瀬矗(1861-1946)は
録音で極地探検を目指した動機および
南極探検に至った経緯を語っています。
もうひとりは救世軍活動に尽力したことで知られる
山室軍平(1872-1940)です。
山室軍平は人間のあるべき姿としての品行や道徳について説いています。
どちらも録音日時など不明ですが貴重な録音です。
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(アンコール放送)
◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月23日(月)
(番組内容)
「読書案内(2)」
(1966年5月1日放送)
(詳細)
元慶応義塾長・小泉信三の4回目です。
前回に引き続き番組「読書案内」を紹介。
小泉信三は福澤諭吉のことを時の風潮に流されない中庸を守る
バランス感覚のある人物であると述べ、その文章は
「類なき雄弁の文章」と賞賛、『福翁自伝』『文明論之概略』は
必読であると強調しています。
今回は、福澤諭吉の著書について持論を展開、
取り組んでいた女性の地位向上のため運動とその思想の背景について語っています。
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(アンコール放送)
◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月16日(月)
(番組内容)
「読書案内(1)」
(1966年5月1日放送)
(詳細)
元慶応義塾長・小泉信三の3回目。
今回紹介する番組は、昭和41年5月放送の「読書案内」。
小泉信三が77歳の時の放送でその年の3月に著した本
『福澤諭吉』について語っています。
この放送の10日後に小泉信三は亡くなっています。
小泉信三は幼少時に福澤諭吉の家に身を寄せ
よく散歩をしたり福澤の孫と遊んだといいます。
今回は福澤諭吉について書くことになった
経緯や晩年の福澤諭吉について語っています。
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(アンコール放送)
◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月9日(月)
(番組内容)
「朝の訪問(2)」
(1958年12月23日放送)
(詳細)
元慶応義塾長の小泉信三の2回目です。
今回は、前回に引き続き昭和33年12月に放送された
「朝の訪問」を紹介します。
上皇陛下の皇太子時代の教育係となった小泉信三は、
戦後の新しい天皇像の心得について、
象徴天皇の役割とはどうあるべきかを説いたといわれます。
それは福沢諭吉の「帝室論」を踏まえたものでした。
今回は小泉信三が当時の皇太子に説いた新しい天皇像、
これからの皇室について語っています。
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(アンコール放送)
◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月2日(月)
(番組内容)
「朝の訪問(1)」
(1958年12月23日放送)
(詳細)
昭和8年から14年間、慶応義塾長を務めた小泉信三を取り上げます。
小泉信三は自由主義経済の重要性を説いた
経済学者として知られています。
昭和24年に東宮御学問常時参与に就任し
皇太子明仁親王(現在の上皇)の教育に携わりました。
今回は昭和33年12月放送「朝の訪問」を紹介。
小泉信三が70歳の時の放送で当時の明仁親王との出会い、
皇太子への教育、美智子様とのご成婚のいきさつ等を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月14日(月)
(番組内容)
「生きがいについて」(2)
(1966(昭和41)年10月30日放送)
(詳細)
精神科医・神谷美恵子の2回目。
神谷美恵子は昭和19年に東京女子医学専門学校卒業後、
東大の精神科医局に入局し精神科医の道を歩みだします。
昭和41年にハンセン病患者と向き合って
きた体験を基に『生きがいについて』を発表。
今回は、1966年10月放送
「読書案内 生きがいについて」の後半を紹介。
患者と向き合ってきた中で「生きがい」とは何かを強く
感じたこと、そして自身の「生きがい」について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月17日(月)
(番組内容)
「生きがいについて」(1)
(1966(昭和41)年10月30日放送)
(詳細)
精神科医の神谷美恵子を2回にわたり取り上げます。
神谷美恵子は昭和19年に東京女子医学専門学校卒業後、
東大の精神科医局に入局し
精神科医の道を歩みだします。
昭和41年にハンセン病患者と向き合ってきた体験を基に
『生きがいについて』を発表。
今回は、神谷美恵子が52歳の時、1966年10月放送
「読書案内 生きがいについて」の前半を紹介。
精神科医を志した理由やハンセン病の診療を始めた頃を振り返っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月10日(月)
(番組内容)
「自作を語る 苦界浄土」(2)
(1985(昭和60)年9月29日放送)
(詳細)
作家・石牟礼道子の2回目です。
昭和44年に発表した代表作『苦海浄土(くがいじょうど)』で、
水俣病の患者たちやその家族を描き、
作品を通して水俣病の実態を伝えました。
今回は、昭和60年(1985)9月放送「自作を語る 苦海浄土」の後半を紹介。
近代化によって日本人が失った心を水俣病をテーマにした
『苦海浄土』によって前近代の魂を表現したかったと
語ると共に水俣病の最初の訴訟に踏み切った頃を振り返っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 2月1日(月)
(番組内容)
「自作を語る 苦界浄土」(1)
(1985(昭和60)年9月29日放送)
(詳細)
作家・石牟礼道子(1927-2018)を2回にわたり取り上げます。
昭和44年(1968)に発表した代表作『苦海浄土(くがいじょうど)』で、
水俣病の患者たちとその家族を描き
作品を通して水俣病の実態を伝えました。
今回は、昭和60年(1985)9月放送「自作を語る 苦海浄土」
の前半を紹介、石牟礼道子が58歳の時の放送です。
水俣病発生当時を振り返ると共に患者たちを訪ね、
聞き書きした様子などを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月27日(月)
(番組内容)
「この人に聞く」(2)
1969(昭和44)年1月10日
(詳細)
版画家の棟方志功2回目です。
18歳の時にゴッホの「ひまわり」に感動、油絵画家を目指します。
21歳の時に絵の修業のために上京、帝展に
出品しますが落選が続きます。
その後、川上澄生の版画に出会い、版画家に転身。
柳宗悦らの知遇を得て評価を受けていきます。
今回は1969年1月放送「この人に聞く」の後半を紹介します。
棟方志功65歳の時の放送で、米国の学生たちと
交流した体験や作品に込める思いなどを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月13日(月)
(番組内容)
「教養特集 現代日本画の歩み」(2)
1955(昭和30)年3月7日
(詳細)
日本画家・横山大観の2回目です。
横山大観は1889年に東京美術学校(現在の東京芸術大学)の一期生として入学、
1898年、師と仰ぐ岡倉天心らと共に日本美術院の創立に努めます。
今回は1955年3月放送「教養特集〜現代日本画の歩み」の後半を紹介します。
横山大観が86歳の時の放送で、米国、欧州での海外体験や作品を
描く際のこだわりを語り、最後に天心作の
日本美術院の歌「谷中の鶯(うぐいす)」を披露しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 1月6日(月)
(番組内容)
「教養特集 現代日本画の歩み」(1)
1955(昭和30)年3月7日
(詳細)
明治〜昭和にかけて活躍した日本画家・横山大観を2回にわたり取り上げます。
横山大観は1889年に東京美術学校(現在の東京芸術大学)の一期生として
入学、1898年、師と仰ぐ岡倉天心らと共に日本美術院の創立に努めます。
今回は1955年3月放送「教養特集〜現代日本画の歩み」を紹介。
横山大観86歳の時の放送で岡倉天心との思い出や日本美術院の歩みを振り返っています。
聞き手は日本美術史研究家の野間清六さんです。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月30日(月)
(番組内容)
「日本回顧録 言論60年」(2)
(1962(昭和37)年10月12日放送)
(詳細)
明治・大正・昭和の三時代を常に鋭い論評で世間に問い続けた
反骨のジャーナリスト・長谷川如是閑の5回目です。
今回も昭和37年(1962)10月放送の「日本回顧録〜言論60年」を紹介。
如是閑が86歳の時の録音で、新聞記者時代を振り返り当時の新聞社の状況、
新聞社をやめ評論雑誌「我等」を発行しましたが「批判」と改題した経緯、
そしてジャーナリスト論へと展開します。
聞き手は、朝日新聞(当時)の堀川直義さんです。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月23日(月)
(番組内容)
「日本回顧録 言論60年」(1)
(1962(昭和37)年10月12日放送)
(詳細)
明治・大正・昭和の三時代を常に鋭い論評で世間に問い続けた
反骨のジャーナリスト・長谷川如是閑の4回目です。
今回は昭和37年(1962)10月放送「日本回顧録〜言論60年」を紹介します。
如是閑が86歳の時の録音で、日本新聞社に入りその後、
大阪朝日新聞に入社する顛末、そしてフリーのジャーナリストとなり
評論雑誌「我等」を発行すことになった経緯を語っています。
聞き手は、朝日新聞(当時)の堀川直義さんです。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月9日日(月)
(番組内容)
「わたしの自叙伝〜歴史に乏しい生涯」(2)
(1963(昭和38)年3月7日放送)
(詳細)
明治・大正・昭和の三時代を常に鋭い論評で世間に問い続けた
反骨のジャーナリスト・長谷川如是閑の2回目です。
今回も前回に引き続き昭和38年(1963)3月に放送された
「わたしの自叙伝〜歴史に乏しい生涯」を紹介します。
長谷川如是閑が87歳の時の録音で、仲間と雑誌「我等」を
発行したころに苦労したこと、日本の文化とデモクラシーについて、
ジャーナリストを志した時の時代背景などについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 12月2日日(月)
(番組内容)
「わたしの自叙伝〜歴史に乏しい生涯」(1)
(1963(昭和38)年3月7日放送)
(詳細)
明治・大正・昭和の三時代を常に鋭い論評で世間に問い続けた
反骨のジャーナリスト・長谷川如是閑を5回にわたり取り上げます。
1回目は昭和38年(1963)3月放送「わたしの自叙伝〜歴史に乏しい生涯」を紹介します。
長谷川如是閑が87歳の時の放送で、教師の影響で10代から
言論雑誌や新聞を読むようになり、よく投稿もしたこと、
新聞記者を志したきっかけ、そして新聞社を退社して評論雑誌を始めた経緯を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月25日日(月)
(番組内容)
「私が旅から学んだもの第2回」
(2010(平成22)年12月6日放送)
(詳細)
兼高かおるの2回目です。
昭和34年から31年間続いた「兼高かおる世界の旅」では、企画から現地での取材、
コーデイネーターなども務め約150か国を訪れその距離は地球180周にも及びます。
今回紹介するのは平成22年ラジオ深夜便で放送した
「私が旅から学んだもの」の後半です。
アメリカに留学した時、あまりにも日本を知らなかったことに驚き
日本の歴史や文化を勉強し始めたこと、そして旅の魅力についても語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月18日日(月)
(番組内容)
「私が旅から学んだもの第1回」
(2010(平成22)年12月5日放送)
(詳細)
兼高かおるを2回にわたり取り上げます。
昭和34年から31年間続いた「兼高かおる世界の旅」では
、企画から現地での取材、コーデイネーターなども務め約150か国を
訪れその距離は地球180周にも及びます。
今回紹介するのは平成22年ラジオ深夜便で放送した
「私が旅から学んだもの」で兼高さん82歳の時の録音です。
外国に興味を持ったきっかけ、
「旅のだいご味は自分の目で見て自分の肌で感じことが大切」だと語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月11日日(月)
(番組内容)
「年越しトーク心に火をともす」(2)
(2004(平成16)年1月1日放送)
(詳細)
評論家・犬養道子の2回目です。
今回も平成16年1月放送「年越しトーク 心に火をともす」の後半を紹介します。
生涯にわたりアジア・アフリカなどで難民支援活動に力を尽くす
きっかけになったのはカンボジア内戦中の1979年、ある難民の少女に出会い
「つれてってくれと」懇願されたにもかかわらずその時、
何もできなかった無力さだったこと、
そして聖書の「愛というものが生命をつくる」という人間の根本について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 11月4日日(月)
(番組内容)
「年越しトーク心に火をともす」(1)
(2004(平成16)年1月1日放送)
(詳細)
評論家の犬養道子を2回にわたり取り上げます。
犬養さんは「五・一五事件」で当時首相だった祖父の犬養毅の死に遭遇、
その後の生き方に大きな影響を受け、96歳で亡くなるまで聖書の研究を続け、
世界の難民救済に尽くしました。
今回紹介するのは平成16年1月に放送した「年越しトーク 心に火をともす」です。
祖父の犬養毅が銃殺された「五・一五事件」そして、
「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」での自らの体験を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月28日日(月)
(番組内容)
「一冊の本・講談伝統の話芸(有竹修二著)」
(1985(昭和60)年9月18日放送)
(詳細)
今回は落語家の立川談志(1936〜2011)。
16才で柳家小さんに入門、27才で真打になります。
35才の時、参議院議員に当選し41歳まで務めます。
47才の時、真打制度を巡り「落語協会」と対立、
「落語立川流」を創設し家元となります。
今回は、昭和60年(1985)9月放送の「一冊の本」を紹介します。
有竹修二(元新聞記者)著『講談 伝統の話芸』という本を題材に
講談の歴史や話芸について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月21日日(月)
(番組内容)
「芸界夜話」
(1965(昭和40)年1月19日放送)
(詳細)
昭和の落語会を代表する名人、古今亭志ん生(1890〜1973)の2回目です。
今回は、志ん生が74歳の時の録音で昭和40年(1965)1月19日に
放送された「芸界夜話」を紹介します。
自身の師匠のこと、芸を学ぶ姿勢として「
落語で大事なことは、芸の上手下手ではなく、いかにお客を感動させること」
だと述べ、そして最後に落語への思い、哲学について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月14日日(月)
(番組内容)
「芸と人」
(1963(昭和38)年4月26日放送)
(詳細)
今回から2回にわたり、大河ドラマ「いだてん」で
ビート・たけしが演じている落語家・古今亭志ん生を取り上げます。
志ん生は神田の生まれ20才で落語界に入り31歳で真打になります。
しかし、なかなか人気が出ず長い貧乏暮らしが続き、50才を過ぎてから、
その天衣無縫な芸が人気を呼び、一躍売れっ子となりました。
今回は1963年放送の「芸と人」を紹介『火炎太鼓』名演を披露、小噺(ばなし)の難しさについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 10月7日日(月)
(番組内容)
「朝の訪問」
(1953(昭和28)年5月15日放送)
(詳細)
今回は大河ドラマ「いだてん」で話題の金栗四三です。
金栗は1912年、ストックホルムで開かれた第5回オリンピックに
日本人初の代表選手として出場その後、アントワープ大会、パリ大会にも選ばれました。
現役引退後は後進の指導、箱根駅伝発展に努め「日本のマラソンの父」と称されています。
紹介するのは1953年5月放送「朝の訪問」から金栗が監督として
ボストンマラソンで山田敬蔵選手が優勝した直後のインタビューです。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月30日日(月)
(番組内容)
「総理を囲んで」(2)
1962(昭和37)年5月5日放送)
(詳細)
元総理大臣の池田勇人の5回目です。
今回も子供の日にちなみ、池田勇人が東京の小中学生たちと
語り合った昭和37年5月放送の『総理を囲んで』を紹介します。
「父や母から勉強しなさいと言われている」という中学生には
「出来るだけいい本をよく読むことが大事」とアドバイス。
「菓子パンが5割も値上がりした」という物価の値上がりを訴えた
小学生にはその理由を得意の経済のしくみからやさしく説明しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月23日日(月)
(番組内容)
「総理を囲んで」(1)
1962(昭和37)年5月5日放送)
(詳細)
元総理大臣の池田勇人の4回目です。
今回は子供の日にちなみ、池田勇人が東京の小中学生たちと語り
合った昭和37年5月放送の『総理を囲んで』を紹介します。
スタジオに集まった40人の小中学生から「兄弟や母親」について、
また「教室で立たされたことがあるか」などの質問に総理が気さくに受け答えしています。
司会はとんち教室の青木先生こと青木一雄アナウンサー、インタビューは
宇田川清江さん等が担当しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月16日日(月)
(番組内容)
「総理と語る」(3)
(1962(昭和37)年4月27日放送)
(詳細)
元総理大臣の池田勇人の3回目です。
今回も昭和37年4月に放送した「総理と語る」を紹介します。
聞き手は評論家の大宅壮一です。
池田内閣の時代、経済成長がすすみ、日本人の暮らし振りが大きく変わっていきます。
「インスタントコーヒー」や「インスタントラーメン」が登場、世相を表す
「駅弁大学」「太陽族」「一億総白痴化」という言葉が時代を象徴。
今回は1960年代当時の教育、文化そして政治について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月9日日(月)
(番組内容)
「総理と語る」(2)
(1962(昭和37)年4月27日放送)
(詳細)
元総理大臣の池田勇人の2回目です。
今回も昭和37年4月に放送した「総理と語る」を紹介します。
聞き手は評論家の大宅壮一です。
「経済のことは私に任せておけ」と発言した池田勇人ですが、番組では
「経済の主体はあくまでも国民である」と主張しています。
今回は、戦後復興下から当時に至るまでの政治、経済について世界の中での日本の役割、
そして発効して10年たつ「サンフランシスコ講和条約」に対し持論を展開しています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 9月2日日(月)
(番組内容)
「総理と語る」(1)
(1962(昭和37)年4月27日放送)
(詳細)
今月は5回にわたり、元総理大臣の池田勇人を取り上げます。
池田は広島県出身で大蔵省を経て戦後、政治家に転身しました。
吉田茂に認められ49歳の時に新人ながら大蔵大臣に抜擢されます。
昭和35年、岸信介の後を受け、総理大臣に就任
。特に『所得倍増計画』を推進したことで知られています。
今回は昭和37年放送『総理と語る』を紹介、聞き手は評論家の大宅壮一です。
戦後の日本の国際的な立場やあり方について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月26日日(月)
(番組内容)
「文化講演会・わが俳句人生」(2)
(1998(平成10)年3月15日放送)
(詳細)
俳人・金子兜太の2回目です。
今回も昭和60年放送『文化講演会〜わが俳句人生』を紹介します。
餓死者も出る戦争末期のトラック島で少しでも気持ちのすさみを食い止めるために
俳句雑誌を作り句会も開いたこと、よんだ俳句を引き揚げ船で持ち帰ったこと。
戦後、桑原武夫の「第二芸術論」で俳句に対し厳しい目が
向けられるなか、俳句の新しい方向性を模索、俳句は日本語の
叙情形式の最も基礎的な形式「土」であると語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月19日日(月)
(番組内容)
「文化講演会・わが俳句人生」(1)
(1998(平成10)年3月15日放送)
(詳細)
2回にわたり俳人の金子兜太を取り上げます。
昭和18年に東京大学を卒業、日銀に入行しますが、
海軍短期現役士官となり翌年、トラック島へ赴き、そこで終戦を迎え
米軍の捕虜となりました。
今回は昭和60年放送『文化講演会〜わが俳句人生』を紹介。
俳句との出会いは、開業医で俳句をよんでいた父の影響だったこと、
旧制高校時代の俳句仲間との交友、女性の俳句に度肝を
抜かれたことなど俳句に興味をもった経緯を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月12日日(月)
(番組内容)
「自作を語る野火」(2)
(1985(昭和60)年8月4日放送)
(詳細)
太平洋戦争で悲惨な体験をした作家・大岡昇平の2回目です。
大岡は昭和19年、35歳で補充兵として召集されフィリピンに送られます。
敗色濃厚の戦況のなか生死をさまよいレイテ島のふ虜病院に収容されます。
その体験から代表作『野火』『俘虜記』『レイテ戦記』等の作品を著します。
今回も昭和60年8月放送「自作を語る〜野火」を紹介。暗号手としての様子、
食料もなくとても戦える状況ではなかった軍隊の状態を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 8月5日日(月)
(番組内容)
「自作を語る野火」(1)
(1985(昭和60)年8月4日放送)
(詳細)
今月は太平洋戦争を体験した二人の文人、大岡昇平と金子兜太を取り上げます。
第1回は、作家の大岡昇平です。
昭和19年、敗戦濃厚な時期に戦争にいき、米軍の捕虜となり
レイテ島のふ虜病院に収容され終戦後に帰国します。
戦争体験をもとに、代表作の『俘虜記』『野火』『レイテ戦記』等を著しました。
今回は昭和60年8月放送「自作を語る〜野火」を紹介。
自ら『野火』の一部を朗読すると共に、書くに至った動機を語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月29日日(月)
(番組内容)
「徳富蘇峰について」
昭和28(1953)年6月5日・日比谷公会堂での録音
(詳細)
今回取り上げるのは『ジャパンタイムズ』『国民新聞』で
新聞記者として活躍した馬場恒吾です。
1919年のパリ講和会議の特派員として、関東大震災後は
フリーのジャーナリストになり、リベラリストの言論人として活動しました。
戦後は憲法研究会のメンバーそして読売新聞社の社長を約5年務めます。
今回紹介するのは徳富蘇峰『近世日本国民史100冊記念講演会』
に先立って行われた講演、師と仰ぐ徳富蘇峰について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月22日日(月)
(番組内容)
「『近世日本国民史』100冊記念講演会〜日比谷公会堂(4)」
昭和28(1953)年6月5日録音、7月21日放送
(詳細)
明治・大正・昭和を生きた稀(き)代の思想家であり
ジャーナリストの徳富蘇峰の4回目。
徳富蘇峰は1918年から『近世日本国民史』
を書き始め、1952年に100巻目を完成させました。
今回も1953年7月放送の徳富蘇峰90歳の時の
講演「近世日本国民史・100冊記念講演会」のもようを紹介します。
今回の講演では、外国と日本の文化を歴史的観点から比較、また
世界的にみて日本女性がいかに優秀であるかを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月15日日(月)
(番組内容)
「『近世日本国民史』100冊記念講演会〜日比谷公会堂(3)」
昭和28(1953)年6月5日録音、7月21日放送
(詳細)
明治・大正・昭和を生きた稀(き)代の思想家でジャーナリストの徳富蘇峰の3回目。
徳富蘇峰は1918年から『近世日本国民史』
を書き始め1952年に100巻を完成させました。
今回も1953年7月に放送した徳富蘇峰90歳の時の講演
「近世日本国民史・100冊記念講演会」のもようを紹介します。
今回の講演会で徳富蘇峰は、日本文化の特徴や日本人の特色を語ると
共に日露戦争、太平洋戦争について持論を述べています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月8日日(月)
(番組内容)
「『近世日本国民史』100冊記念講演会〜日比谷公会堂(2)」
昭和28(1953)年6月5日録音、7月21日放送
(詳細)
明治・大正・昭和を生きた稀(き)代の思想家でジャーナリストの徳富蘇峰の2回目。
徳富蘇峰は1918年から『近世日本国民史』を
書き始め、1952年に100巻目を完成させました。
今回も1953年7月に放送した徳富蘇峰90歳の時の講演
「近世日本国民史・100冊記念講演会」のもようを紹介します。
記念講演会で徳富蘇峰は日本の歴史における神と人間との
関係と共に聖徳太子の人物像とその功績について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 7月1日日(月)
(番組内容)
「『近世日本国民史』100冊記念講演会〜日比谷公会堂(1)」
昭和28(1953)年6月5日録音、7月21日放送
(詳細)
明治・大正・昭和を生きた稀(き)代の思想家で
ジャーナリストの徳富蘇峰を取り上げます。
徳富蘇峰は1863年、熊本県生まれ。
27歳の時に「国民新聞」を創刊、平民主義を説きますが
日清・日露戦争を境に国家主義に転じました。
1918年から『近世日本国民史』を書き始め1952年に100巻完成させます。
1953年7月放送、徳富蘇峰が90歳の時の講演「
近世日本国民史・100冊記念講演会」を4回にわたり紹介します。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月24日日(月)
(番組内容)
「パーソナル現代史・戦後日本文化を考える 第1回 第二芸術論の頃(2)」
聞き手・加藤秀俊学習院大学教授
(1981(昭和56)年1月7日放送)
(詳細)
京都大学名誉教授でフランス文学者として知られる桑原武夫の後半です。
桑原は昭和21年、雑誌『世界』11月号で「第二芸術論〜現代俳句について」
で俳句の芸術性を厳しく問い、大きな反響を呼びました。
今回紹介するのは昭和56年放送
『パーソナル現代史・戦後日本文化を考える・第二芸術論の頃』。
果たして35年後に俳句や短歌など伝統芸術は
変わったのかを語っています。
聞き手は学習院大学の加藤秀俊教授(当時)です。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月17日日(月)
(番組内容)
「パーソナル現代史・戦後日本文化を考える 第1回 第二芸術論の頃(1)」
聞き手・加藤秀俊学習院大学教授
(1981(昭和56)年1月7日放送)
(詳細)
京都大学名誉教授でフランス文学者として
知られる桑原武夫を2回にわたり取り上げます。
桑原は昭和21年、雑誌『世界』11月号で「第二芸術論〜現代俳句について」で
俳句の芸術性を厳しく問い、大きな反響を呼びました。
今回紹介するのは昭和56年放送
『パーソナル現代史・戦後日本文化を考える・第二芸術論の頃』。
35年後に俳句や短歌など伝統芸術は変わったのかを語っています。
聞き手は学習院大学の加藤秀俊教授(当時)。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月10日日(月)
(番組内容)
【私の自叙伝〜カムカム英語の青春(2)】
(1979年(昭和54年)2月15日放送)
(詳細)
通称「カムカム英語」の英会話講師を務めた平川唯一の2回目。
紹介する番組は昭和54年放送「私の自叙伝 カムカム英語の青春」の後半です
。16歳の時、父を訪ねて渡米、まずアメリカの小学校に
通ったことが「カムカム英語」に役立ったこと。
ハイスクールを経てワシントン大学演劇科で
標準英語と脚本の技術を身につけ昭和12年に帰国。
NHK海外放送の英語アナウンサーを経て昭和21年に番組の講師になるまでを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 6月3日日(月)
(番組内容)
【私の自叙伝〜カムカム英語の青春(1)】
(1979年(昭和54年)2月15日放送)
(詳細)
昭和21年から5年間、ラジオで「英語会話教室」を
担当した平川唯一を2回にわたり取り上げます。
「英語会話教室」は通称「カムカム英語」という番組名で親しまれ、
一気に人気番組となりました。
今回紹介するのは昭和54年放送「私の自叙伝〜カムカム英語の青春」です。
「カムカムおじさん」として幅広い年齢層から愛されたこと、子供時代は
農村で育ち、16歳からアメリカにわたり12年間苦学生活したことなどを語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月27日日(月)
(番組内容)
〜昭和天皇を語る【80歳になられた天皇陛下(2)】
入江相政・侍従長 本田正次・東大教授(植物学) 聞き手 後藤美代子アナ(1981(昭和56年)4月29日放送)
(詳細)
新天皇が即位するこの機会に、昭和天皇について
当時の侍従長や学友など周囲にいた人たちからの証言から昭和という
時代や人となりをたどる「昭和天皇を語る」。
第4回は昭和56年(1981)4月29日放送の「80歳になられた天皇陛下」の後半です。
植物学者の本田正次さんと元侍従長の入江相政さんが、
昭和天皇が植物・生物学研究にいそしんでいたご様子、
日常生活や余暇の過ごし方などエピソードを交えながら語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月20日日(月)
(番組内容)
〜昭和天皇を語る【80歳になられた天皇陛下(1)】
入江相政・侍従長 本田正次・東大教授(植物学) 聞き手 後藤美代子アナ(1981(昭和56年)4月29日放送)
(詳細)
新天皇が即位するこの機会に、昭和天皇について当時の侍従長や学友など
周囲にいた人たちからの証言から昭和という時代や人となりをたどる「昭和天皇を語る」。
第3回は植物学者の本田正次さんと元侍従長の入江相政さんが出演した
昭和56年(1981)4月29日放送の「80歳になられた天皇陛下」です。
生物学研究にいそしんだ「学者天皇」としてのご様子や、戦後「人間宣言」をして
全国巡幸した思い出等について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月13日日(月)
(番組内容)
〜昭和天皇を語る【陛下とともに79年(2)】渡辺昭・学友 岡本愛祐・侍従 入江相政・侍従長
聞き手 三國一朗(1980(昭和55年)4月29日放送)
(詳細)
新天皇が即位するこの機会に、昭和天皇について
当時の侍従長や学友など周囲にいた人たちからの証言から
昭和という時代や人となりをたどる「昭和天皇を語る」。
第2回は前回に引き続き昭和55年(1980)放送の「陛下とともに79年」です。
出演は、渡辺昭(旧学友)、岡本愛祐(元宮内官僚)、入江相政(元侍従長)の皆さんです。
相撲好きで知られる昭和天皇は乗馬も上手だったこと、戦後の欧米訪問などについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 5月6日日(月)
(番組内容)
〜昭和天皇を語る【陛下とともに79年(1)】渡辺昭・学友 岡本愛祐・侍従 入江相政・侍従長
聞き手 三國一朗(1980(昭和55年)4月29日放送)
(詳細)
5月から新元号が「令和」となり、新天皇が即位するこの機会に4回にわたり
「昭和天皇を語る」と題し、新天皇の祖父にあたる昭和天皇について
当時の侍従長や学友など周囲にいた人たちからの証言から
昭和という時代や人となりをたどります。
第1回は昭和55年(1980)4月29日放送の「陛下とともに79年」です。
渡辺昭(旧学友)、岡本愛祐(元宮内官僚)、入江相政(元侍従長)等の皆さんが出演、
司会は三国一朗さんです。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月29日日(月)
(番組内容)
「憲政ニ於ケル輿論ノ勢力」
(1916年(大正5年)収録)
(詳細)
政治家で早稲田大学の創立者として知られている大隈重信を取り上げます。
大隈は明治政府で鉄道や電信の敷設で先見の明を示します。
1882年「立憲改進党」を結成、1898年、日本初の政党内閣で首相となります。
今回は大正4年(1915)3月、大隈重信が内閣総理大臣の時の
演説『憲政における與論(よろん)の勢力』を紹介。
唯一の肉声が残っている録音で、憲政は輿論(よろん)
によって導かれるものであると訴えています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月22日日(月)
(番組内容)
(4)
「読書案内(2)」
(1966年5月1日放送)
(詳細)
元慶応義塾長・小泉信三の4回目。
今回も前回に引き続き著書『福澤諭吉』について
語っている番組「読書案内」を紹介します。
小泉信三は福澤諭吉の文章について「類なき雄弁の文章」と絶賛し、時の風潮に
流されない中庸を守るバランス感覚のある人物であると述べています。
『福翁自伝』『文明論之概略』は必読であると言っています。
今回は福澤諭吉の著書や取り組んでいた女性の地位向上の運動と共にその思想について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月15日日(月)
(番組内容)
(3)
「読書案内(1)」
(1966年5月1日放送)
(詳細)
元慶応義塾長・小泉信三の3回目です。
今回紹介する番組は、昭和41年5月に放送された「読書案内」です。
小泉信三が77歳の時の放送でその年の3月に著した書
『福澤諭吉』について語っています。
この放送の10日後に小泉信三は亡くなりました。
小泉信三は幼少時に福澤諭吉の家に身を寄せ散歩に出かけたり、
福澤の孫とよく遊んだといいます。
今回は福澤諭吉について書くことになった経緯や晩年の福澤諭吉について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月8日日(月)
(番組内容)
(2)
「朝の訪問(2)」
(1958年12月23日放送)
(詳細)
元慶応義塾長の小泉信三(1888〜1966)の2回目です。
今回は、前回に引き続き昭和33年12月に放送された「朝の訪問」を紹介します。
今上天皇の皇太子時代の教育係となった小泉信三は、戦後の新しい
天皇像の心得について、象徴天皇の役割とはどうあるべきかを説いたといわれます。
それは福沢諭吉の「帝室論」を踏まえたものでした。
今回は小泉信三が今上天皇に説いた新しい天皇像、これからの皇室について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 4月1日日(月)
(番組内容)
(1)
「朝の訪問(1)」
(1958年12月23日放送)
(詳細)
昭和8年から14年間、慶応義塾長を務めた小泉信三を4回にわたり取り上げます。
小泉信三は自由主義経済の重要性を説いた経済学者として知られています。
戦後の昭和24年に東宮御学問常時参与に就任し
皇太子時代の今上天皇の教育に取り組みました。
今回は昭和33年12月放送の「朝の訪問」を紹介。
小泉信三が70歳の時の放送で、今上天皇との出会い、
皇太子への教育、美智子様とのご成婚のいきさつについて語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月25日日(月)
(番組内容)
(4)
「私の自叙伝(4)」
(1960年1月4日放送)
(詳細)
日本民俗学の父」といわれる柳田国男(1875〜1962)の4回目。
今回は昭和35年(1960)放送「私の自叙伝」から、
有名な島崎藤村の詩「椰子(やし)の実」の詩は柳田の話にヒントを得て作られたこと。
柳田は海への関心も深く『海上の道』という代表作があります。
役人を辞めた直後に沖縄を訪ね稲作伝来について研究するきっかけとなったこと。
そして最後になぜ、旅行を続けるのか民俗学と旅について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月18日日(月)
(番組内容)
(3)
「私の自叙伝(3)」
(1960年1月4日放送)
(詳細)
「日本民俗学の父」といわれる柳田国男(1875〜1962)の3回目。
今回は昭和35年(1960)放送「私の自叙伝」から、明治14年に初めて訪ねた
宮崎県椎葉村の山に住んでいる人たち山人(やまびと)の伝承について言及しています。
狩猟の習俗や信仰など故実を聞き書きし、同じような伝承が
東西南北に離れた場所でもなぜ存在するのかを問いかけています。
今回は柳田民俗学における日本人の原点について語っています。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月11日日(月)
(番組内容)
(2)
「私の自叙伝(2)」
(1960年1月4日放送)
(詳細)
「日本民俗学の父」といわれる柳田国男(1875〜1962)の2回目。
今回は昭和35年(1960)に放送した「私の自叙伝」から、
役人時代に上州、信州に旅したこと、柳田家に養子に入ったいきさつや、
旅行では草鞋(わらじ)を愛用していた理由をエピソードを交えながら語っています。
あわせて、民俗学の宣言の書といわれる代表作『遠野物語』の
序文の一部を朗読で紹介、柳田民俗学とはどのようなものかを考えます。
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◆カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 3月4日日(月)