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「関口宏もう一度!近現代史」★★★★★
日本の近現代史を通じて世の中を見てみよう!
番組内容
関口宏が「日本近現代史」をテーマに、近現代史研究の第一線にたつ
保阪正康氏をパートナーに迎え、歴史的テーマを取り上げる歴史番組。
時代は令和に代わり、ニュースでは国際関係が連日取り上げられている。
めまぐるしく変化する現代社会を理解するための力強いツール、それが「日本近現代史」。
教科書で習った年表の一行。当時の空気や、日本人の思いを汲み取り、
現代日本の足元を見つめなおすきっかけになるに違いない――。
2019年10月12日から毎週土曜日ひる12:00〜12:54
SP 放送日時・内容
8/14日18:00〜18:54
BS-TBSBS(2K)
関口宏のもう一度!近現代史
本土復帰50年 沖縄の過去と今
番組内容
沖縄が本土復帰を果たして今年でちょうど50年。
そして今、米中関係など国際情勢の変化に伴い、
沖縄は安全保障の拠点として注目されている。
そうした状況下で米軍基地の返還は遅々として進んでいない。
なぜアメリカは沖縄にこれほどまで固執するのか。
その理由を探るべく、沖縄が歩んできた歴史を掘り下げる。
太平洋戦争では民間人を巻き込んだ唯一の地上戦が行われ、
戦後は約30年、アメリカ統治下に置かれた沖縄。土地を強制的
番組内容2
に奪われ、米軍機の事故が頻発、さらには核ミサイルも配備された。
そして、ベトナム戦争のさなかに実現した本土復帰…
その裏にあったのは佐藤栄作首相とニクソン大統領との「密約」だった。
アメリカは沖縄をどうとらえているのか、
沖縄はどのような負担を強いられてきたのか。
そして、その状況を日本はどう見てきたのか…
終戦の日を前に沖縄の「課題」を改めて考える。
★最終回第123回 「昭和27年(1952)日本の独立回復・・・しかし」
2022年3月26日(土)放送
最終回の今回は、
サンフランシスコ平和条約が発効し、6年8か月ぶりに独立を回復、
国際社会に復帰した昭和27年4月28日からの日本をみていく。
独立回復の記念式典では昭和天皇が、
退位せずに国民と共に歩んでいく決意を表明する。
この日は平和条約と同時に、日米安全保障条約と、
現在の日米地位協定にあたる日米行政協定も発効。
占領軍は在日米軍に再編され、引き続き
日本に駐留することになる。
また、沖縄は日本から切り離され、
アメリカの支配下に置かれることになる。
20年後の昭和47年に沖縄は返還されるが、現在でも
在日米軍、沖縄の基地などの課題が残されている。
そして今回は、これまで番組でみてきた明治維新から、
太平洋戦争の終戦、GHQの占領を経て独立を
回復するまでの、日本の近現代史を改めて振り返る。
第122回 「昭和26年(1951)サンフランシスコ講和会議」
2022年3月19日(土)放送
いよいよ日本独立の時。
サンフランシスコ講和会議が開催されます。
参加する国、しない国、招かれなかった国…
会議が始まる前から各国の思惑がうごめいていました。
中でもソ連の参加で議事が混乱。
米ソの駆け引きが講和会議にも持ち込まれます。
そして日本はついに平和条約に調印を果たします。
悲願の独立に際し、吉田茂首相が受諾演説で語った言葉とは?
「平和条約」と同じ日に、もうひとつ、
「日米安全保障条約」の調印も行われます。
わざわざ2つの条約に分けることには、
それぞれの「都合」がありました…。
第121回 「昭和26年(1951)再軍備を要求・マッカーサー解任」
2022年3月12日(土)放送
今回は朝鮮戦争が膠着状態になる中、日本の講和交渉が
大詰めを迎えた昭和26年前半です。
一進一退が続く朝鮮戦争の中で、マッカーサーが
提案した作戦をめぐってトルーマン大統領と対立。
どのような作戦内容だったのでしょうか?
そしてトルーマンがマッカーサーの解任を決断します。
6年近い戦後日本の占領統治を終えた
マッカーサーに対する人々の反応とは?
一方、日本の講和交渉を進めるために吉田茂首相は
アメリカに対してあることを極秘に提案していました。
その内容は?
第120回 「昭和25年(1950)泥沼化する朝鮮戦争」
2022年3月5日(土)放送
昭和25年6月25日に勃発した朝鮮戦争。
国連軍を率いるマッカーサーは、仁川への奇襲上陸作戦を
決行するが、実は米参謀本部も難色を示した作戦だった。
果たして、上手く行ったのか!?
そんな中、中国軍が突如参戦。
参戦を決めた毛沢東の狙いとは?
一方、日本国内は、朝鮮戦争特需によって、
不況から一転、好景気に。
一体、どれほどの特需が生まれたのか?
今回は、昭和25年9月から12月までを紐解きます。
第119回 「昭和25年(1950)国連軍創設・警察予備隊設置」
2022年2月26日(土)放送
昭和25年6月、北朝鮮軍が突如38度線を越えて
韓国に侵攻し、朝鮮戦争がぼっ発。
韓国軍は総崩れとなり、侵攻からわずか3日でソウルが占領される。
この動きに対してアメリカは軍事介入を決断。
さらに、ソ連不在の国連安全保障理事会で、
国連軍の創設が決まり、朝鮮半島の内乱は、
世界を巻き込んだ戦争へと一気に拡大していく。
アメリカは、戦場に近い、日本に駐留していた陸軍を派兵。
進駐軍がいなくなった日本国内の治安維持の名目で、
自衛隊の前身となる警察予備隊が設置される。
そしてアメリカは、対日講和に向けて本格的に始動。
第二次世界大戦で日本と戦った国との
講和交渉の協議開始を指示。
そのルールとなる対日講和7原則が発表される。
そのころ、朝鮮半島では北朝鮮軍の進撃に国連軍は各地で敗退。
半島の南端にまで追い込まれる。そんななか、国連軍司令官
を務めるマッカーサーは、大規模な反撃作戦を計画していた。
第118回 「昭和25年(1950)新しい防衛線・朝鮮戦争が勃発」
2022年2月19日(土)放送
日本の「非軍事化」を掲げてきたマッカーサーが、
ここにきてその姿勢を転換。
「日本国憲法は自衛権を否定せず」、と表明。
これに吉田茂首相も同調します。
日本国憲法施行から3年足らずで、戦争放棄を
謳った憲法第9条の解釈に、早くも変化が生じてきます。
東西冷戦の緊張が一層高まる中、アメリカに
「赤狩り」旋風が起こります。
あのチャップリンまでもがその対象にされたのです。
そして昭和25年6月25日、朝鮮戦争が勃発します。
背後にアメリカがつく韓国と、ソ連が後押しする北朝鮮…
実は両者の戦力には、圧倒的な差があったのです。
第117回 「昭和24年(1949)占領下の国鉄三大怪事件」
2022年2月12日(土)放送
今回は、戦後経済の立て直しに日本がもがいていた
昭和24年7月から12月。
経済の立て直しのため公務員の人員整理が行われる
中で、国鉄に関わる3つの怪事件が発生します。
今も多くの謎が残る「国鉄三大怪事件」の真相とは?
一方、世界に目を向けると、ソ連が原爆の保有を公表しました。
東西冷戦の緊張がさらに高まります。
アメリカはどう反応し、日本にはどんな影響があったのでしょうか。
暗いニュースが続く中、湯川秀樹博士による
日本人初のノーベル賞受賞、スポーツ界では
「フジヤマのトビウオ」の世界記録連発など
日本人の活躍もありました。
彼らは当時の日本人にどのように映っていたのか?
第116回 「昭和24年(1949)ドッジ来日・東西冷戦が激化」
2022年2月5日(土)放送
吉田茂首相率いる民主自由党が総選挙で圧勝。
その選挙の裏で、吉田がある秘策を講じていました。
それは…。
中国では共産党軍が三大戦役で国民党軍に勝利。
もともと戦力が劣勢だった共産党軍が勝った要因とは!?
さらに世界に目を向けると、北大西洋条約機構(NATO)
が発足し、ドイツが東西に分裂…。
東西冷戦は軍事対立へ!
今回は、そんな昭和24年1月から6月までを紐解きます。
第115回 「昭和23年(1948)大韓民国成立宣言・東京裁判判決」
2022年1月29日(土)放送
終戦から3年の昭和23年。
東西冷戦の余波は日本、そしてアジアに及び始めた。
朝鮮半島ではイスンマンとキムイルソンがそれぞれ
政権成立を宣言、半島の分断が決定的となり、
中国では毛沢東の共産党が勢力を伸ばし始めた。
そうした流れの中、アメリカは日本の統治方針を
大きく方向転換させる。
「非軍事化・民主化」から「反共・経済復興」
へ大きく舵を切ったのだ。
日本国内では極東国際軍事裁判、いわゆる
東京裁判が判決を迎える。
東條英機をはじめ、7人に絞首刑が言い渡された。
開廷から2年半、その間、原爆投下を引き合いに
裁判を批判した米国人弁護人も現れた。
東京裁判とはいったいどのような裁判だったのだろうか。
★第114回 「昭和23年(1948)帝銀事件・ベルリン封鎖」
2022年1月22日(土)放送
昭和23年1月、アメリカは東西冷戦が深刻化する情勢
を受けて、陸軍長官が「日本を共産主義の防波堤にする」と演説。
それまでの日本の民主化・非軍事化を目指した
占領政策の見直しを始める。
国内では、戦後の闇を象徴する強盗殺人事件、帝銀事件が発生。
旧陸軍の関与が疑われる中で、逮捕されたのはひとりの画家。
逮捕の決め手となったものとは。
そんな暗い世相を吹き飛ばすような
新しい歌謡曲「東京ブギウギ」が発売され、大ヒットとなる。
政局は前年に成立した初の社会党内閣、片山内閣が
わずか9か月で崩壊。
後を継いだ芦田内閣も不安定な政権基盤で、GHQの勢力争い
に巻き込まれ、閣僚が贈収賄で逮捕されることになり、
迷走が続く。
そして東西冷戦が激しくなったヨーロッパでは、
ソ連の占領下にあったドイツのベルリンが封鎖され、
西側占領地区に住む200万人の市民が孤立する。
これに対抗するためにアメリカが取った作戦とは。
第113回 「昭和22年(1947)初の社会党内閣が誕生」
2022年1月15日(土)放送
今回は昭和22年6月から12月、東西冷戦の影響下で
日本が新しい体制へと進む半年間です。
社会党を中心とする連立政権が発足。
社会党の目指した国家とは?
また多くの皇族たちが皇籍を離脱し一般の市民となりました。
その後の生活は?
天皇の戦争責任を追及しないというマッカーサー
の意向のもと始まった東京裁判でしたが、
東條英機の発言から天皇の責任論が再燃。
どのような結果だったのでしょうか。
一方、中国大陸では国民党政府と中国共産党の内戦が継続。
中国共産党が次第に力を増していきます。
躍進の背景は?
第112回 「昭和21年(1946)日本国憲法公布・夜の女」
2022年1月8日(土)放送
今回は昭和21年11月から昭和22年4月。
昭和21年11月3日、政府が憲法改正に動き出してから
約1年、日本国憲法が公布されます。
紆余曲折があった公布までの経緯とは!?
一方、年が明けた昭和22年の1月、日本労働運動史上
最大規模のストライキ突入が宣言されます。
日本経済大混乱の状況に、マッカーサーは…。
さらに、4月には戦後2度目の総選挙を実施。
今後の日本を左右する選挙の行方にも迫ります。
第111回 「昭和21年(1946)ニュルンベルク裁判最終判決」
2021年12月25日(土)放送
終戦からまもなく1年。
海外にいた日本兵の復員が進む中、満州にいた
約150万人の在留邦人は、
引揚げが始まらないまま取り残されていました。
この状況を動かしたのは、満州在住の一般の日本人たち。
どのような手段で引揚げを成功させたのでしょうか。
アメリカ軍がビキニ環礁で核実験を始め、
その時、戦艦「長門」が標的艦にされ沈没します。
世界が平和に向かおうというこのタイミングで、
なぜアメリカは核実験を行ったのでしょうか。
第110回 「昭和21年(1946)昭和天皇 全国巡幸へ」
2021年12月18日(土)放送
昭和21年の元日に人間宣言をした天皇が、
2月に神奈川県を皮切りに「地方巡幸」をスタート。
8年半かけ各都道府県をまわったが、
唯一実現しなかったのが「沖縄訪問」。
天皇の心境はどのようなものだったのか。
憲法改正はGHQの草案をもとに進められた。
そこに記された「象徴天皇」の文字。
これを天皇自身はどう受け止めたのか…。
4月に東京湾から大量の金塊が発見された。
現在の価格で280億円!
誰が何のために隠したのか?5月3日、
極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判が始まった。
100人超のA級戦犯容疑者から起訴されたのは
東條英機をはじめ28人。
その線引きはどこにあったのか。
第109回 「昭和21年(1946)GHQ憲法草案作成」
2021年12月11日(土)放送
GHQの元でアメリカ軍が進駐してから約半年、今度は
イギリス連邦占領軍が日本にやってきます。
英連邦軍の進駐の狙いとは?
一方、日本政府が進める憲法の改正作業。
ある日、改正案が新聞にスクープされます。
それを見たGHQが自分たちで憲法草案作成に乗り出し、
急ピッチで草案を完成。
スクープの背景に何があったのでしょうか?
そしてGHQ草案が日本国憲法に与えた影響とは?
今回は、日本国憲法の誕生に向けて新たな
局面を迎える昭和21年2月です。
第108回 「昭和21年(1946)人間宣言・公職追放」
2021年12月4日(土)放送
昭和21年元日、昭和天皇が「人間宣言」!
果たして宣言の内容とは?
一方、GHQの指令により政界や経済界、
言論界の人々は、次々と「公職追放」を受けることに。
GHQの狙いとは何だったのでしょう?
さらに、マッカーサー元帥と幣原首相が会談。
実はこの会談が、戦争の放棄をうたった、
現在の憲法9条誕生のキッカケではないかと
言われているのですが、果たしてその真相は?
今回は昭和21年1月をお届けします。
第107回「昭和20年(1945)BC級戦犯裁判はじまる」
2021年11月27日(土)放送
世界各地で日本人の「BC級戦犯」に対する裁判が始まります。
”マレーの虎”と呼ばれた山下奉文、ドラマ「私は貝になりたい」
の原作者などが裁判にかけられます。
戦争中のどんな行為がどんな罪に問われたのでしょうか。
そして、上官の命令に逆らえなかったことは罪になるのでしょうか…。
GHQは新聞・ラジオを使って、これまで日本人が
知らされていなかった戦争の経緯を全国一斉に伝えます。
聞いていた話とは違う…国民は、どう受け止めたのでしょうか…。
そして終戦の年の大晦日、久しぶりに除夜の鐘が鳴る、
昭和20年12月後半です。
第106回「昭和20年(1945)ニュルンベルク裁判」
2021年11月20日(土)放送
昭和20年11月、ナチスドイツの戦争犯罪を裁く
ニュルンベルク国際軍事裁判が開廷。
ヘルマン・ゲーリング、ルドルフ・ヘスらナチスの中枢にいた
24人の戦争責任を問う裁判が始まる。
裁判では、ナチスが約400万人のユダヤ人を虐殺した事実が
初めて明らかにされ、世界中に衝撃を与えた。
一方、日本でも、指導者たちの戦争責任を問うため、
12月2日に廣田弘毅元首相、平沼騏一郎元首相ら59人、
6日に近衛文麿元首相、木戸幸一元内相ら9人が
GHQからA級戦犯に指名され、出頭を命じられる。
昭和天皇に近い近衛や木戸、皇族の梨本宮守正王が
戦犯指名された背景には、天皇の戦争責任に対するマッカーサー
の思惑があった。そのGHQは、民主化政策として、
農地改革指令、国家神道を廃止する神道指令を相次いで発令する。
そして12月16日、戦犯として出頭命令が出ていた近衛文麿が自殺。
遺書には戦犯指名されたことへの無念さが綴られていた。
第105回「昭和20年(1945)食料難・4大財閥解体」
2021年11月6日(土)放送
今回は昭和20年11月前半。
この秋、日本は深刻な食糧不足に見舞われていました。
国民はどのようにしてこの危機を乗り越えようと
していたのでしょうか?
また、今の日本政治につながる源流となる政党の結成が
相次ぎましたが、そこには様々な問題がありました。
その問題とは?
そしてGHQから財閥解体が命じられます。
GHQはなぜ財閥をなくす必要があったのでしょうか?
第104回「昭和20年(1945)国際連合設立・憲法改正へ」
2021年10月30日(土)放送
今回は終戦から2か月後、昭和20年10月。
中国では国民党の蒋介石と中国共産党の
毛沢東による「国共内戦」が再燃。
2人は内戦回避へ動くが果たして!?
一方、世界では、「国際連合」が設立される。
常任理事国となった5か国の思惑とは!?
そして、国内では、ついに憲法改正へと動き出す。
「日本国憲法」制定の舞台裏に迫ります。
第103回「昭和20年(1945)五大改革指令・娯楽の再開」
2021年10月23日(土)放送
昭和20年10月、連合国軍総司令部、通称GHQが
東京に開設され、日本の非軍事化と民主化政策が本格的に始まる。
GHQは早速治安維持法の廃止、政治犯の釈放を命じるが、
東久邇内閣は、これに応じられないとして総辞職。
後任には、大正から昭和初期にかけて英米協調路線を
進めた元外相の重原喜重郎が就任。
親米派の幣原に、マッカーサーは、これからの
日本の民主化の基本となる五大改革指令を伝える。
国民生活では、戦後第一号の娯楽映画「そよかぜ」が封切になり、
劇中歌「リンゴの唄」が大ヒットとなる。
歌舞伎、大相撲、野球も復活し、娯楽に飢えていた国民を
活気づけていった。
朝鮮半島では、金日成が指導者として突然国民の前に登場。
謎が多い金日成の背後についていたのは、ソ連だった。
そして、終戦から2か月経った10月15日、
参謀本部と軍令部が廃止になり、国内の全兵士が復員。
明治4年に設立された日本軍はついに解体される。
第102回 「昭和20年(1945)昭和天皇とマッカーサーが初会談」
2021年10月16日(土)放送
終戦から1か月、連合国軍が日本をどのように統治していくのかが
具体的になってきた昭和20年9月半ばからを詳しく見ていく。
報道機関には「プレスコード」と呼ばれる、守るべき基準が示され、
連合国軍を批判する記事は規制された。
また9月から再開した学校では戦中の教科書から
軍国主義を連想させる部分を塗りつぶした
「墨塗り教科書」が使われた。
そしてこの時期、日本政府にとって大きな関心事だったのが
「天皇制の維持」だ。
政府が天皇制維持のために「天皇とマッカーサーの会談」を模索する中、
外相・吉田茂が動き、約35分間の会談が実現した。
その会談で二人は何を語ったのだろうか…
日米に残された記録は微妙に食い違っていた。
第101回「昭和20年(1945)ミズーリ号艦上での降伏調印式」
2021年10月9日(土)放送
今回は昭和20年9月前半、まだまだ終戦直後
の日本を紐解きます。
マッカーサーが厚木に降り立ったのに合わせ、
連合国軍による日本進駐も始まりました。
最大40万にも及ぶ兵たちはどのように進駐していったのでしょうか。
9月2日には戦艦ミズーリ号上で日本が降伏文書に
調印し第2次世界大戦が終結。
そこで仕掛けられたマッカーサーによる数々の演出とその狙いは?
さらに、A級戦犯容疑者への逮捕命令も出され、
元首相・東條英機はある選択を取りました。
第100回「昭和20年(1945)マッカーサー・シベリア抑留」
2021年10月2日(土)放送
今回から戦後編!
昭和20年8月15日からを見ていきます。
玉音放送から3日後の8月18日にソ連軍が千島列島に侵攻を開始。
玉音放送後も侵攻を続けたソ連の狙いとは!?
8月30日に、マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ちます。
なぜ、いくつもある飛行場の中で厚木を選んだのでしょうか?
第99回 「昭和20年(1945)玉音放送」
2021年9月25日(土)放送
今回は8年に及ぶ戦争に終止符を打った、
昭和20年8月15日を詳しく見ていく。
15日に日付が変わった深夜、熊谷・伊勢崎・高崎といった
北関東に米軍は空襲を行った。
この時、日本はポツダム宣言の受諾を連合国軍側に
伝えていたにもかかわらず、なぜ空襲は行われたのだろうか。
正午、天皇自らの声で伝えられた、4分30秒の「玉音放送」。
多くの国民が理解できなかったとも言われる玉音放送の内容とは…
その全文を読み解く。
玉音放送は日本国内だけでなく台湾や朝鮮半島、南洋諸島
にも同時刻に放送された。
それぞれの場所で終戦はどう受け止められたのか。
そして日本にとって、この戦争とは何だったのか保阪氏が総括する。
第98回 「昭和20年(1945)ポツダム宣言・無条件降伏決定へ」
2021年9月18日(土)放送
昭和20年8月9日。
広島に続き、長崎に2つ目の原爆が投下され、
7万人以上の命が奪われる。
その時、東京ではポツダム宣言受諾をめぐり、
政府と大本営による会議が行われていた。
ポツダム宣言受諾を主張する政府と、
あくまで本土決戦にこだわる大本営。
日本の命運を決める会議では激論が交わされ、
最終的に決着をつけたのは、昭和天皇だった。
8月14日、昭和天皇の聖断で、日本の無条件降伏が決定。
終戦を国民に直接伝える玉音放送の準備が始まる。
その一方で、陸軍内では無条件降伏に反対する
一部の勢力が、クーデターを画策。
徹底抗戦のために天皇と政府要人を軟禁し、玉音放送を
阻止するために、8月15日の未明に行動を起こす。
偽の命令を発令して宮城(皇居)を占拠するが、
天皇の決断を尊重する陸軍の幹部によって、クーデターは鎮圧。
陸軍の最後の抵抗は抑えられ、日本はいよいよ
運命の1日を迎えることになる。
第97回 「昭和20年(1945)原爆投下・ソ連軍の対日参戦」
2021年9月11日(土)放送
連合国から出されたポツダム宣言に対し
鈴木貫太郎首相は「黙殺」を表明。
日本の意図は?8月6日人類史上初の核攻撃が行われます。
なぜ広島が標的にされたのでしょうか?
そして、8月9日にはソ連が満州へ侵攻。
さらには樺太、千島列島へと兵を進めるのですが、
その裏にあった「ある国」の支援とは?
今回は7月28日から8月9日まで、
日本が原爆という未知の攻撃に直面する2週間を紐解きます。
第96回 「昭和20年(1945)沖縄戦・原爆実験・ポツダム宣言」
2021年9月4日(土)放送
昭和20年6月23日に沖縄では組織的な戦闘が終了。
多くの悲劇が起こった沖縄戦とはどのような戦いだったのでしょうか?
一方、アメリカでは人類初の原子爆弾の実験に成功しますが、
その裏で起こった各国の駆け引きとは!?
7月26日には、日本に無条件降伏を迫る
「ポツダム宣言」が発表されます。
実はこの宣言、意外な方法で日本に伝えられました。
それは…。
今回は昭和20年5月から7月までを見ていきます。
第95回 「昭和20年(1945)ひめゆり学徒隊・ドイツ降伏」
2021年8月28日(土)放送
今回は慶良間諸島を制圧した米軍が
いよいよ沖縄本島へ上陸を始める。
日本軍が取る作戦は「持久戦」。
本土決戦を一日でも遅らせるための戦い方だ。
そこに動員されたのは旧制中学の生徒たちからなる「学徒隊」。
そして日本軍は大々的な特攻作戦を始め、
戦艦大和も特攻作戦で沈没する。
ソ連は日ソ中立条約の破棄を通告、
これが戦後にまで尾を引く問題に…。
ヨーロッパでは終戦に向け大きく動き出す。
イタリアではムッソリーニが銃殺、
ベルリンではソ連軍に包囲されたヒトラーが自殺。
ドイツは無条件降伏する。
残された枢軸国・日本はどのような対応をしたのか…。
大戦の終わりが見え始めた昭和20年3月からを詳しく見ていく。
第94回 「昭和20年(1945)硫黄島の戦い・東京大空襲」
2021年8月21日(土)放送
「硫黄島の戦い」が始まります。
硫黄ガスが漂う、水もない小さな火山島が、なぜ日本軍にとっても
アメリカ軍にとっても、それほど重要だったのでしょうか?
10倍以上もの兵力のアメリカ軍に苦戦を強いることになる、
日本軍のある戦術とは…。
B29の無差別爆撃によって東京が焦土と化す「東京大空襲」。
その背景には、アメリカ軍の人事異動が大きく影響していました。
そしてついにアメリカ軍が「沖縄の慶良間諸島に上陸」。
いよいよ戦場が日本に移る、昭和20年2月から3月です。
第93回 「昭和19年(1944)B29東京空襲・ヤルタ会談」
2021年8月14日(土)放送
グアム・サイパンなどを占領したアメリカがついに
東京に空襲を開始し、追い詰められた日本は
本土決戦に向け、大本営の移転計画や
新兵器の開発など動きを見せます。
本土を守るために日本はどんな選択をしたのでしょうか?
一方、連合国は戦後の世界体制を見据えたヤルタ会談を開催。
そこで米ソがある密約を結び、日本の命運を大きく左右することに。
その密約とは?
今回は昭和19年11月から昭和20年2月を紐解きます。
第92回 昭和19年(1944)レイテ沖海戦・神風特別攻撃隊
2021年8月7日(土)放送
就任から約2年9か月、東條英機内閣が総辞職。
果たして、東條が辞めるに至った経緯とは?
そんな中、日本海軍は残った艦船のすべてをつぎ込む
一大決戦「レイテ沖海戦」に挑みます。
その時とった連合艦隊の「おとり作戦」の実態とは!?
さらに、この海戦で初めて「神風特別攻撃隊」が編成され、
いわゆる「特攻」が始まります。
なぜ、特攻は、正規の作戦になってしまったのでしょうか?
今回は昭和19年7月から11月です。
第91回 「昭和19年(1944)ノルマンディー上陸作戦」
2021年7月31日(土)放送
昭和19年6月、ヨーロッパ戦線では
「史上最大の作戦」ノルマンディー上陸作戦が始まる。
連合軍は、ドイツ軍の激しい抵抗に苦戦しながらも、
3週間でノルマンディーの海岸を制圧。
ドイツ軍が拠点とする町を次々と抑え、8月25日に
ドイツに占領されていたパリを開放。
史上最大の作戦が完了する。
一方、日本では、アメリカの新型爆撃機B29が
初めて飛来し、北九州を爆撃。
そのB29の基地としてアメリカ軍はサイパン島の奪還を決定。
対する日本軍は、絶対国防圏の拠点として、
4万の兵力で迎え撃つ。
海では、アメリカ軍の新兵器により、日本軍は
空母3隻と艦載機のほとんどを失う大敗。
上陸したアメリカ軍に、日本軍と2万人の
日本人は島の北端に追い詰められていく。
大本営は制海権を失ったことで孤立した
サイパン島の放棄を決定。
島に残された日本軍は、捨て身の突撃作戦で玉砕。
そして多くの民間人も、断崖から飛び降りるなど自決の道を選ぶ。
第90回 「昭和19年(1944)インパール作戦開始」
2021年7月24日(土)放送
今回は昭和19年1月から。
南洋の島を制圧し始めた米軍はいよいよ
日本の「絶対国防圏」へ侵攻を始める。
マーシャル諸島、トラック島、マリアナ諸島と日本軍の拠点に
攻撃を仕掛けるが、9万の兵力を置いていた
ラバウルは直接対決しなかった。
そこに米軍のどんな思惑があったのか。
中国戦線では日本の支配地域を南北1本
につなげる作戦が実行された。
その背景にはアメリカが開発したB−29爆撃機が
大きく関わっていた。
そして多くの犠牲者を出し「史上最悪の作戦」と
呼ばれたインパール作戦が開始された。
大本営でさえ無謀としたこの作戦はなぜ実行されたのだろうか。
その理由を語る、作戦立案した
牟田口中将の肉声が残っていた。
第89回 「昭和18年(1943)大東亜宣言・東京ローズ」
2021年7月17日(土)放送
日本の戦況が悪化の一途を辿る中で開かれた大東亜会議。
そこに集まった日本とアジア諸国にはどんな思惑が?
一方、連合国側もアメリカ・イギリスが中心になり
カイロ会談、テヘラン会談を開催。
大戦の行方を左右した話し合いの内容とは?
今回は、各地で玉砕戦が行われ、大都市では
疎開の検討も始まり日本が徐々に追い込まれていく
昭和18年10月から12月です。
第88回 「昭和18年(1943)連合軍が大攻勢・学徒出陣」
2021年7月10日(土)放送
今回は昭和18年5月から10月。
ガダルカナル島を占領したアメリカ軍は、
ソロモン諸島の北上を開始。
この時、アメリカ軍がとった驚きの作戦とは?
一方、ヨーロッパでは、アメリカ・イギリスの
連合軍がイタリアへの侵攻を開始。
わずか2か月ほどでイタリアは降伏してしまうのですが、
そこにはある理由が…。
さらに、兵力不足になった日本ではついに
「学徒出陣」が始まります。
第87回 「昭和18年(1943)山本五十六の戦死・アッツ島玉砕」
2021年7月3日(土)放送
武器や食料の補給もなく、地獄の戦いが続くガダルカナル島。
アメリカ軍との戦闘開始から半年後に、ようやく撤退が始まります。
しかし日本国民には、この「撤退」の真実は隠されていました。
さらに、連合艦隊司令長官・山本五十六の戦死。
アッツ島の「玉砕」…。
本格化するアメリカ軍の反撃に敗れていく日本軍。
敗戦への序章、昭和18年1月から5月です。
第86回 「昭和17年(1942)ガダルカナル島の戦い」
2021年6月26日(土)放送
昭和17年8月、南太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島
をめぐる日本とアメリカの戦いが始まる。
アメリカ軍に占領された島の飛行場を奪還するために、
日本軍は3度の上陸作戦を実行するが、
情報分析と計画の甘さからすべて失敗。
ジャングルに撤退した日本兵は飢えとマラリア
とも戦わなければならなくなる。
一方アメリカでは、マンハッタン計画がスタート。
副大統領にさえも秘密にされていた原爆開発計画が進められる。
ヨーロッパ戦線では、ソ連のスターリングラードで
最大の市街戦が行われ、ドイツ軍が敗退。
また、北アフリカにまで戦線を拡大していたが、イギリス軍の反撃と、
アメリカの参戦で、ドイツの快進撃は止まることになる。
太平洋とヨーロッパ、ともに戦局が変わり始めていた。
そんな中で国内では、国民の戦意高揚のため、
「海行かば」がいたるところで歌われるようになり、
「欲しがりません勝つまでは」といった標語が登場する。
第85回 「昭和17年(1942)初の本土空襲・ミッドウェー海戦」
2021年6月19日(土)放送
今回は昭和17年4月から6月。
日米開戦から快進撃を続ける日本でしたが、
昭和17年4月アメリカによる初めての本土空襲を受けます。
決死の作戦を行ったアメリカの思惑と、
この攻撃が日本の指導者たちに与えた衝撃は!?
そして5月、初の空母同士の戦いである珊瑚海海戦を経て、6月には
日本海軍が総力をあげて挑んだミッドウェー海戦が始まります。
後に太平洋戦争の大きな転換点と言われる戦いとは
どんなものだったのでしょうか?
第84回 「昭和17年(1942)日本軍が南方を次々と占領」
2021年6月12日(土)放送
昭和17年1月2日、日本軍はアメリカ軍の極東の拠点
フィリピンのマニラを無血占領。
大きな戦い無く占領できた理由とは!?
さらに、南方作戦最大の目標であった石油資源獲得のため
オランダ領東インドへ進軍を開始。
そこで日本軍はある奇襲作戦を決行するが、その作戦内容とは!?
今回は日本軍が南方を次々と占領し、戦線を拡大していく
昭和17年1月から3月を見ていきます。
第83回 「昭和16年(1941)大東亜戦争・戦艦大和完成」
2021年6月5日(土)放送
今回は真珠湾攻撃の翌日から、昭和16年の年末までの
20日ほどを詳しくみていく。
短期決戦を戦略としていた日本は、アメリカ軍の
反撃態勢が整う前に一気に進軍。
グアム島など南洋の島々を占領していった。
日本軍はマレー沖海戦では史上初、航空機だけで航行中の
英・東洋艦隊を壊滅させる。
その後の戦闘は航空機中心になることを示していた。
そんな中、巨大戦艦・大和が完成するのだが…
時代は変わりつつあった。
日本はこの戦争を「大東亜戦争」と命名し「自存自衛のため」
という戦争目的をわずか数日で変えた。
そこにどんな思惑があるのだろうか。
連戦連勝の日本軍、しかしその裏で急増する
「捕虜」の問題が起き始めていた。
第82回 「昭和16年(1941)真珠湾攻撃」
2021年5月29日(土)放送
運命の昭和16年12月8日。
いよいよ真珠湾攻撃が始まります。
アメリカのルーズベルト大統領は「これはだまし討ちである」と日本を非難。
しかし実は、真珠湾攻撃の30分前にアメリカに対して
『最後通牒』を渡す計画でした。
予定通り、攻撃の前に渡していれば、だまし討ちにはならなかったはず…。
最重要書類「最後通牒」は、なぜ予定時刻に間に合わなかったのか?
結果、アメリカが参戦する格好の口実を与えてしまい、
アメリカ国民は、リメンバー・パール・ハーバーを合言葉に総決起します。
第81回 「昭和16年(1941)日本が対米開戦を決定」
2021年5月22日(土)放送
開戦が迫る中で発覚した「ゾルゲ事件」。
日本の中枢を揺るがしたソ連によるスパイ事件の影響は?
その頃海軍は真珠湾攻撃作戦を認可し、
御前会議では12月初旬の開戦が決定。
一方、戦争を避けようと進められていた日米交渉は
「ハル・ノート」が出され、状況が一変します。
日米双方の思惑とその後の反応とは?
今回は、日米開戦前夜の昭和16年10月〜12月。
第80回 「昭和16年(1941)日本は対米開戦決意へ」
2021年5月15日(土)放送
日本軍は、当時フランス領だった
インドシナ南部への進駐を開始。
これに対し、アメリカが強硬策に!
一方、国内では御前会議で対米戦開戦を決意。
この時、昭和天皇がある和歌を詠むのですが、
その歌に託された思いとは!?
そんな中、近衛内閣が総辞職し、対米強硬派の東條英機内閣が成立。
今回は日米開戦へと徐々に近づいてきた
昭和16年7月〜10月。
第79回 「昭和16年(1941)日ソ中立条約・日米交渉」
2021年5月8日(土)放送
昭和16年1月、海軍の山本五十六連合艦隊司令長官は、
アメリカとの戦争に備え、それまでの
海軍の常識にはなかった新しい作戦を提言。
これをもとに、真珠湾攻撃作戦の立案が始まる。
3月、松岡洋右外相はアメリカに対抗するため、
ヨーロッパを歴訪し、ヒトラー、スターリンと相次いで会談。
日独伊三国軍事同盟にソ連を引き入れるという
松岡の構想は実現しなかったものの、
日ソ中立条約を締結することに成功する。
一方日本政府は、アメリカとの戦争回避のための交渉を開始。
ところが、この動きに帰国した松岡外相が激怒。
独自の修正案を作成してアメリカに提示したことで、
日米交渉は困難を極めることになる。
それでも交渉が続いた背景には、
日米それぞれの思惑があった。
そして政府と大本営は、石油資源確保のため、
南部フランス領インドシナへの進駐を決定。
この決定によって、アメリカとの対立がより深まっていくことになる。
第78回 「昭和15年(1940)紀元二千六百年式典」
2021年5月1日(土)放送
今回は昭和15年。
神武天皇が即位したとされる年から2600年の節目を
祝う式典が盛大に催された。
神話の世界を史実に組み込む「紀元」という考えは、
どのようなものだったのか。
そして国民は紀元2600年をどう受け止めたのか。
「元老」最後の一人・西園寺公望が死去。
昭和天皇に大きな影響力を持っていた西園寺の死によって、
その後の政治はどう変わったのだろうか。
そして太平洋戦争開戦となる昭和16年の幕が開けた。
東條英機陸相が全陸軍に伝えた戦陣訓。
生きて虜囚の辱しめを受けず…
この言葉が日本の歴史に与えた影響とは?
なぜ戦陣訓はこの時期に出された?
軍国主義的「新体制」が固まった昭和15年から16年を詳しく紐解く
第77回 「昭和15年、日独伊三国同盟 締結」
2021年4月24日(土)放送
短命政権が続いた日本で再び首相に就任した近衛文麿。
近衛内閣にこのあとの日本の行く先を大きく
左右する二人が閣僚として就任します。
その人物とは?そして日本は”大東亜共栄圏”
を掲げて東南アジアへと進駐を開始。
さらに日独伊三国同盟を締結。
歓迎ムードの国内とは反対に、アメリカとの関係は悪化の一途をたどります。
日本政府の狙いは?
一方、国内では既存の政治体制を刷新する大政翼賛会が発足し、
戦時体制に向けてまた一歩進んでいきます。
今回は、日本にとって大きなターニングポイントとなった
昭和15年の7月から10月です。
第76回 「昭和15年〜ドイツ軍がフランスに総攻撃・命のビザ」
2021年4月17日(土)放送
今回は昭和15年前半。
第二次世界大戦では、ドイツ軍がノルウェーへ侵攻。
そこにはドイツの、ある狙いが隠されていた。
さらに、ドイツ軍は西部戦線へ総攻撃を開始。
あっという間にフランスを降伏へと追い込みます。
その時ドイツ軍がとった意表を突く作戦とは?
一方、日中戦争では、日本は首都・重慶を本格爆撃。
しかし、これが原因でアメリカから大きな反発を招くことに…。
一体何が!?
第75回 「昭和14年、価格等統政令・米内光政内閣成立」(仮)
2021年4月10日(土)放送
日中戦争が始まって2年以上が経過。
長期化する戦いは国民生活を苦しめ、
日本人の主食である白米まで規制されます。
国民の不満は高まり、阿部信行内閣がわずか4か月半で総辞職。
さぁ、次の内閣を牛耳るのは陸軍か?それとも相対する海軍か?
新たな首相選びでそれぞれの思惑がうごめく中、
昭和天皇の意向が行方を左右します。
第二次世界大戦が勃発したヨーロッパでは、
ソ連の侵攻によりポーランドがわずか1か月足らずで消滅。
スターリン、ヒトラーによる迫害が始まります・・・。
第74回 「昭和14年、第二次世界大戦 勃発」
2021年4月3日(土)放送
昭和14年、領土拡大政策を推し進めるドイツのヒトラーは、
チェコスロバキアを解体、併合し、イギリスとの緊張が高まる。
そのころ日本は、ソ連を抑えるために、ドイツ、イタリアと
軍事同盟締結の交渉を始めていたが、
参戦条項をめぐり、政府内の意見が分かれ、交渉が停滞してしまう。
その間にドイツは、敵対していたソ連と突然の不可侵条約締結。
その裏で、ドイツとソ連がポーランドを分割占領する秘密議定書を交わしていた。
ドイツとの軍事同盟の道を探っていた平沼内閣は、
ドイツの動向を全く把握しておらず、外交失敗の責任を問われ、
総辞職に追い込まれる。
そして、昭和14年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、
第二次世界大戦が勃発。イギリス、フランスと戦争状態へ突入する。
一方、日本はソ連とノモンハン事件の停戦交渉で対立していたが、
ソ連が突然の譲歩を見せ、停戦協定が結ばれる。
その背景には、ヨーロッパ情勢が影響していた。
第73回 昭和14年〜ノモンハン事件・独ソ不可侵条約
2021年3月27日(土)放送
満洲帝国に駐留する関東軍。
ソ連、モンゴルとの国境紛争が多発していました。
そんな中でノモンハン事件が勃発、現地守備隊の
小競り合いがソ連軍との本格的な戦闘に発展します。
関東軍が強硬な姿勢を示したのはなぜ?
そして、ノモンハン事件で日本が初めて経験した
“近代戦”は?
一方、日本と協定を結ぶドイツがソ連との不可侵条約を締結!
世界情勢は目まぐるしく動いていきます。
第72回 2時間スペシャル「満洲国とはどんな国だったのか」
2021年3月20日(土)放送
昭和の初め、中国で「理想郷」をうたった国があった。
それが「満洲国」だ。
その歴史はわずか14年。
トップに君臨したのはラストエンペラー溥儀。
彼はなぜ日本の操り人形ともいえる道を選んだのか。
番組では溥儀の姪にあたる方に話を聞くことができた。
満洲国の歴史の波に翻弄された二人の「よしこ」がいる。
一人は満州映画のスター「李香蘭」こと山口淑子。
中国人女優として人気を博した彼女が、かつてその苦悩を語っていた。
もう一人は男装の麗人「川島芳子」。
二人は満洲国に何を求めたのか。
「拓け満洲」そんなうたい文句に誘われ移民した人達は
終戦時、切り捨てられ自力で日本へ帰国した。
移民団の一人がその壮絶な体験を語ってくれた。
満州からの悲惨な引き上げ体験をした著名人も多い。
加藤登紀子、なかにし礼、など満州に生きた人々の
証言を元に、知られざる満州の姿を描き出す。
第71回 「昭和13年〜ヒトラー総帥権把握・武漢攻略戦」
2021年3月13日(土)放送
今回は昭和13年前半。
「日中戦争」が泥沼化する中、国内では戦争を優先し、
庶民の生活を制限することとなる「国家総動員法」が成立。
果たして、その内容は!?
中国では「日中戦争」最大の戦いとなる「武漢攻略戦」を展開。
大規模な軍隊を投入した日本軍でしたが…。
一方、ヨーロッパでは、ナチス・ドイツがオーストリアに軍事圧力をかけ併合!
果たしてヒトラーの思惑とは!?
第70回 「昭和12年、日中戦争拡大・南京占領」
2021年3月6日(土)放送
日中戦争が始まって約4か月。
苦戦を強いられた上海戦がようやく終息するも、
現地の軍隊は、独断で「首都・南京」へ進撃することを決めます。
「装備」「補給」の準備もないまま、上海から南京へ約300キロ
の道のりを進み、ついに南京城を攻略。
しかし蒋介石は首都を移し、徹底抗戦を宣言。
日本は、和平交渉の最大のチャンスも逃し、
日中戦争という戻れない沼にはまっていきます・・・。
第69回「昭和12年、国民精神総動員・日中戦争泥沼化」
2021年2月27日(土)放送
盧溝橋事件を発端に始まった日中戦争。
上海に飛び火した戦火は日本軍が思うほど簡単には収束しなかった。
上海では蒋介石率いる精鋭部隊が徹底抗戦したのだ。
その背後には、ドイツ・ヒトラーの影があった。
日独防共協定を結んでいたドイツは一体なぜ、
中国の支援をしていたのか。
上海での戦闘が長引く中、日本国内では国民に
戦時意識を持たせようと近衛首相は「国民精神総動員」を実施。
銀座の街中で「千人針」をする女性の姿や慰問袋
を作る学生など、全国に戦時体制が広がっていった。
実はこの時、日本と中国との間で和平工作が秘密裏に進んでいた。
間を取り持ったのは、ドイツ。
そのてん末は…?
第68回 「昭和12年〜盧溝橋事件で日中戦争始まる」
2021年2月20日(土)放送
今回は昭和12年7月から8月、日本が戦争へと進み始めた激動の2か月。
日中戦争のきっかけとも言われる「盧溝橋事件」が勃発。
この事件が戦争に至ってしまうのはなぜ?
そして戦線は拡大し「第二次上海事変」へと発展。
そのとき近衛文麿首相、蒋介石それぞれの判断は?
一方、中国とソ連が接近!
「中ソ不可侵条約」締結の狙いとは?
第67回 「昭和11年、西安事件そして日中戦争へ」
2021年2月13日(土)放送
今回は昭和11年末から12年前半。
中国では、国民政府を率いる蒋介石が配下の張学良に
監禁される「西安事件」が勃発。
この時、蒋介石の妻・宋美齢がとった行動とは!?
一方、国内では廣田弘毅内閣が総辞職。
するとここから、首相が次々と交代する事態に。
一体なぜ!?
そしてついに、中国で日本軍と国民党軍が衝突。
日中戦争の始まりといえる「盧溝橋事件」が起こる。
そのきっかけとは!?
第66回 「昭和11年、ベルリンオリンピック」
2021年2月6日(土)放送
昭和11年8月、ベルリンオリンピックが開催。
ヒトラーが政治的宣伝・プロパガンダに利用したことで
「ヒトラーのオリンピック」と呼ばれるこの大会では、
選手が国の威信をかけて戦う国威発揚の場となった。
水泳の前畑秀子選手や、棒高跳びで銀メダルと銅メダルを分け合った
友情のメダルなど、日本人選手が活躍。
抗日運動が高まる中国では、対立していた国民党と共産党が
手を組むきっかけとなる出来事が起こる。
そのキーマンは、かつて関東軍に暗殺された張作霖の長男、張学良だった。
国際連盟を脱退した日本とドイツは、お互いにソ連の脅威から
時刻を守るために、日独防共協定を締結し、関係を深めていく。
そしてドイツはイタリアとも接近。
「枢軸体制」が誕生する。
一方ソ連は、スターリンが憲法改正を行い、独裁体制を確立。
その立場を盤石にするために、反対勢力や批判的な人物を次々に逮捕し、
死刑あるいは刑務所へおくる大粛清を始める。
第65回 「昭和11年、廣田弘毅内閣の誕生」
2021年1月30日(土)放送
二・二六事件後、難局必至の内閣を引き受けたのが、廣田弘毅。
使命は「粛軍」。
二・二六事件に関わった反乱分子たちを一斉に追放、
左遷して、軍部内を正すことです。
ところが、廣田内閣がスタートする前から、
閣僚の人事に陸軍が口を挟んで大混乱。
果たして廣田内閣は軍部を抑え込めるのか?
それとも、暴走を許すのか…?日本の分かれ目となる。
第64回 「昭和11年〜青年将校ら決起!ニ・ニ六事件勃発」
2021年1月23日(土)放送
今回は昭和11年。
雪の帝都東京の中心を青年将校らが占拠し、重臣を襲撃したニ・ニ六事件。
決起した青年将校の狙いとは?
そして、対応に手をこまねいている陸軍上層部と
積極的に解決に動いた天皇、それぞれの思いは?
一方で海軍も東京湾に集結し、一触即発のにらみ合いになります。
緊張が高まる中、事件はどのような決着を迎え、
その後の昭和史にどんな影響を与えたのでしょうか?
第63回 「昭和10年〜さらに中国大陸進出へ」
2021年1月16日(土)放送
今回は昭和10年。
日本は満州からさらに勢力圏拡大へ中国進出を画策。
関東軍が仕掛けた作戦とは?
そんな中、満洲帝国皇帝・溥儀が初来日。
日本も昭和天皇が東京駅で出迎えるなど異例の対応で迎えます。
その意図とは一体!?
さらに「二・二六事件」の伏線となった言われる「相沢事件」が発生。
この事件の背景には一体何があったのでしょうか?
第62回 「昭和9年〜帝人事件、ソ連が国際連盟に加盟」
2021年1月9日(土)放送
今回は昭和9年。
渋谷駅前にハチ公の銅像が完成。
忠犬ハチ公の話はすぐに教科書に掲載されるが、
そこには軍の思惑もあったという。
斎藤内閣が株取引をめぐる疑惑「帝人事件」への関わりを追求され総辞職。
ところがこの事件、全くのでっち上げだった。
事件の裏に何があったのか。
この年、日本は災害に見舞われた。
室戸台風が列島縦断、東北地方では明治以来という大凶作。
新聞紙面には「欠食児童」「身売り」といった言葉が並んだ。
この大凶作が後に二・二六事件を起こす青年将校たちに
大きな影響を与えていた。
そして満州では最先端の列車・あじあ号が満鉄で運行開始、
その満鉄では関東軍と各省が経営をめぐり主導権争いをしていた。
第61回「昭和8年、満洲帝国誕生・ナチス独裁体制確立」
2020年12月26日(土)放送
日本が国際連盟から脱退した昭和8年、ドイツも国際連盟
からの脱退を表明し、国際社会から孤立する道を歩み始める。
首相に就任したヒトラーは、ナチスによる一党独裁体制を確立する
一方で、アウトバーンの建設や国民車フォルクスワーゲンの
開発で経済を立て直し、国民から高い支持を得ることに成功する。
国内では軍部の主導により関東で初の防空演習が実施され、
国家改造を目標とするクーデター計画も発覚。
社会不安が広まる中、それを吹き飛ばすような新しい音頭、
「東京音頭」が登場。
東京だけでなく、全国に広がり、盆踊りが大流行となる。
皇室では、明仁皇太子が誕生。
待望のお世継ぎ誕生に、国中が祝賀ムードに包まれ、
奉祝歌も歌われる。
満州では、満洲国が満洲帝国となり、溥儀が皇帝の座に就く。
長年の願いがようやくかなった溥儀に突き付けられたのは、関東軍の
言いなりにならなければ、自分では何もできないという厳しい現実だった。
第60回 昭和8年〜日本が国際連盟脱退
2020年12月19日(土)放送
建国したにも関わらず安定しない満洲国。
日本は満洲国の一地域、熱河省に侵攻します。
そして、国際連盟を脱退し世界から孤立を深める日本。
この2つの動きの裏にある、政府、天皇、軍それぞれの思惑とは?
一方、国内では大学教授の人事に政府が介入する滝川事件が起こります。
学問の自由が問われた事件の顛末は?
今回は昭和8年の前半です。
第59回 「昭和7年、日本が満洲国を承認」
2020年12月12日(土)放送
今回は昭和7年後半。
日本が満洲国を国家として正式に承認します。
しかし、そもそも満洲国は日本が主導してできた国。
なぜ、わざわざ承認する必要があったのでしょう?
そんな中、満州事変の実情調査を行っていたリットン調査団
の報告書が公表されます。
しかし、その内容は、日本に対して意外なほど妥協的なものでした。
一体、なぜなのでしょうか!?
第58回 昭和7年、五・一五事件
2020年12月5日(土)放送
犬養毅首相が銃撃される「五・一五事件」。
海軍、陸軍の青年将校たちは、なぜ犬養首相を狙ったのでしょうか。
実行犯たちと対峙した犬養首相の最期の様子とは…。
事件後の公判で、実行犯たちは世間から”英雄視”
され、全国で猛烈な減刑嘆願運動が起こります。
暴力が正当化される、その異様な事態のワケとは…。
実は五・一五事件の前日に、チャップリンが来日。
五・一五事件の標的にされながら、すんでのところで難を逃れます。
チャップリンに何が起こったのでしょうか…?
第57回 昭和7年、満州国建国
2020年11月28日(土)放送
満州に日本の意のままとなる国家をつくるため
謀略をめぐらせる関東軍。
今回はそうした中で「満洲国」が建国された
昭和7年2月から3月の1か月間を詳しく取り上げる。
関東軍は建国を急いだ…
その理由の一つが国連の派遣したリットン調査団の来日だ。
満州事変の調査をするリットン調査団を日本は連日接待。
その時の「領収書」が平成になって発見された。
その驚くべき内容とは?満洲国トップに担ぎ出されたのは
清国最後の皇帝・溥儀。
彼は満洲国のトップに就いた時、何を感じたのか…。
そして建国された「満洲国」とはいったいどんな国だったのか。
当時の関東軍人から直接、保阪氏が聞いた満洲国建国の舞台裏とは…
第56回 昭和7年〜第一次上海事変勃発
2020年11月21日(土)放送
年を越しても続く満州事変の中で、戦争を嫌う天皇が
関東軍に勅語を下賜。
どのような思いだったのでしょうか?
一方で上海でも事変が勃発。
報道により広がる軍国美談は国民の意識に
少しずつ変化をもたらしていきます…。
さらに、国内では天皇や政財界の大物を
狙ったテロ事件が相次ぎました。
背景にあるものとは?
今回は…満洲国建国を目前に控えた昭和7年の前半です。
11月14日の「関口宏のもう一度!近現代史」は
特別編成のため放送休止です。
第55回 昭和6年〜満州事変始まる
2020年11月7日(土)放送
柳条湖事件をきっかけに満州事変が勃発。
関東軍は戦線を拡大する中、政府は不拡大方針を決定。
関東軍と政府の思惑の違いは、どうなるのか?
一方、南京政府の蒋介石は、軍事行動ではなく
国際連盟に提訴することで日本に対抗。
果たして国連総会の行方は…。
さらに、関東軍は「満洲国」建国のため溥儀の天津から満州への脱出を画策。
その作戦とは…。
日本の歴史が大きく動き出した昭和6年の後半です。
第54回 昭和5年〜煙突男・満州事変へのカウントダウン
2020年10月31日(土)放送
昭和恐慌の影響で、各地で労働争議が頻発していた昭和5年、
紡績工場の煙突の上に男が立てこもり、
労働者を支援する演説を繰り返す事件が発生。
煙突男として話題となる。
翌昭和6年、帝国議会での「満蒙は日本の生命線」という発言が
流行語となり、不況の打破のために新天地満州への
進出を国民が支持するようになる。
その流れに乗り陸軍は、軍事力による満州占有の計画を策定。
その一方で陸軍の一部の勢力が、軍事政権樹立を
目指すクーデターを計画。
未遂に終わったものの、この後陸軍のクーデター
が繰り返されるようになる。
満州では朝鮮人と中国人が衝突、さらに日本の陸軍大尉が
中国軍に殺害される事件が続くなかで、
関東軍が軍事行動を実行に移そうとする。
これを抑えようとする陸軍幹部、政府、そして宮中も巻き込む
駆け引きが行われるなか、ついに関東軍が満州事変へ
と発展する実力行使を行う。
第53回 昭和5年〜昭和恐慌・浜口首相狙撃事件
2020年10月24日(土)放送
NY株価大暴落に端を発する恐慌が、
まさに日本に迫ろうとしている昭和5年。
大蔵省出身でいわば金融のプロ、浜口雄幸首相がとる経済政策が、
まさかのさらなる景気悪化を招き、人々のくらしは困窮します。
さらに、海軍の軍縮を推し進めたい「政府」と、
少しも軍備を縮小したくない「軍部」が真っ向から対立。
矢面に立ち奔走する浜口首相が、ついには東京駅で狙撃されます。
公然とふるわれる暴力、軍部の暴走…
日本が暗い時代へと進み始めます。
第52回 昭和4年〜内閣総辞職・ドイツ飛行船・世界恐慌
2020年10月17日(土)放送
今回は…満州事変の足音が聞こえつつある昭和4年。
陸軍中堅将校らがまとまり、満州への対応や陸軍改革を画策。
また、張作霖爆殺事件の対応をめぐる昭和天皇の発言で内閣総辞職。
後の昭和天皇の行動に与えた影響とは?
一方、アメリカで起こった株価の大暴落。
それは世界を巻き込む大恐慌に発展して行きます。
第51回 昭和3年〜初の金メダル・昭和天皇「即位の礼」
2020年10月10日(土)放送
今回は、戦争への不穏な空気が流れ始める昭和3年後半。
関東軍が独断で行った張作霖爆殺事件。
政府の意向を無視した軍の行動が波紋を呼ぶことに…。
一方、国内では治安維持法が強引に改正されず。
政府の狙いとは一体!?
昭和3年の終わりには、昭和天皇の即位の礼が執り行われます。
この時誕生したあるものとは…。
第50回 昭和2年〜波乱の昭和
2020年10月3日(土)放送
今回は昭和2年秋から。
大正から昭和へ時代が変わると中国・満州では不穏な空気が流れ始める。
蒋介石が中国統一を目指し北京へ向かう「北伐」を再開。
これに対し日本人居留民を保護する名目で日本は山東半島へ
再び軍を派兵、ついに武力衝突が起きてしまう。
一方、国内では東洋初の地下鉄が開業し、
「職業婦人」が注目されていた。
また普通選挙法による男子普通選挙が初めて行われたが、
その結果は政府が予想しない結果だった…。
昭和3年6月、張作霖が蒋介石との衝突を避け北京から離れる途中、
奉天で列車ごと爆殺される事件が起きる。
激動の昭和の幕開けとも言える爆殺事件には満州統治に
対する思惑が複雑に絡み合っていた。
第49回 ▽昭和元年〜昭和の幕開け
2020年9月26日(土)放送
大正15年(1926)12月25日、大正天皇が崩御し、
裕仁皇太子が即位。
元号が昭和に変わる。
昭和元年の7日間にはどのような出来事があったのかを振り返る。
昭和2年3月には、大蔵大臣の失言がきっかけで、
銀行に預金者が殺到する取り付け騒ぎとなり、
中小の銀行が次々に休業に追い込まれる金融恐慌が発生。
社会不安が高まっていく。
一方で、日米関係が悪化していく中、子どもたちに国際友好の
意識を育んでもらいたいと、青い目の人形がアメリカから贈られる。
親善のしるしとして全国の小学校や幼稚園に配られた人形は、
やがて戦争の時代に翻弄されていく。
中国では内戦が激化し、邦人保護を名目に昭和に入って
初めて軍隊が派遣される。
そして、その後の満州政策について政府、外務省、軍部による
東方会議が開かれる。
会議では、満州へ軍事力行使も含め積極的に進出するという、
その後の日本の命運を左右する決定が下される。
第48回 大正時代の国際化
2020年9月19日(土)放送
帝国主義で外へ、外へと向かう日本は
第一次世界大戦に参戦、大戦景気で大いに盛り上がります。
一方で海外から入ってきた思想や文化は
国民の意識を大きく変えることになります。
大正から昭和へ…
激動の時代の移り変わりを「日本の国際化」から見ていきます。
第47回 大正時代に敷かれた昭和のレール
2020年9月12日(土)放送
大正の15年間を総まとめ!
明治時代に日清・日露戦勝に勝利し、帝国主義へと走り出した日本。
これらの勝利により、大正は明治から何を受け継ぎ、
どんなレールが敷かれ昭和の大きな戦争へとなだれ込んだのか?
今回は、「大正時代に敷かれた昭和のレール」なかでも、
「昭和に影響を与える満州」を中心に見ていきます。
第46回 大正14年〜大正時代のおわり
2020年9月5日(土)放送
いよいよ15年間の大正時代がおわります。
しかし治安維持法が成立したばかりの日本は不穏な情勢に…。
全国の学校に現役の軍人が配属され軍事訓練を始めます。
なぜそんなことになってしまったのか…?
これに反対する学生たちが、初の治安維持法適用となり、
口をふさがれます。
政府による弾圧、陸軍による軍国主義化が加速する中
、大正15年の年末、大正天皇が47歳で崩御。
即位した裕仁天皇の亡き父に対する想いとは…。
第45回 「大正13年〜広がる共産主義思想・治安維持法」
2020年8月29日(土)放送
関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京。
今回は復興が進む大正13年から。
震災のため延期されていた裕仁皇太子(当時)
のご成婚という明るい話題から年は始まる。
皇太子時代から裕仁親王が考えていた「新しい皇室」とは?
驚異的なスピードで復興が進む銀座では装飾を施した
「バラック建築」というモダンな建物が登場する一方で、
魚河岸の移転をめぐる暴動が起きた。
中国では清朝最後の皇帝・溥儀を日本が預かることに。
第44回 大正12年〜関東大震災
2020年8月22日(土)放送
第一次世界大戦敗戦の影響でドイツではハイパーインフレが発生!
パンの値段が1年間で約16億倍に跳ね上がる事態に!
一方、日本では首都東京で未曾有の大災害 関東大震災が発生!
各地で火災旋風が起き、死者・行方不明者約10万人にも及びました。
半分以上が焼け野原になった首都東京、
一体どのように復興したのでしょうか?
第43回 大正10年〜アメリカ主導の新世界秩序作り
2020年8月15日(土)放送
アメリカ主導の新しい国際秩序作りが始まる!
しかし、それは日本に対するアメリカのある思惑があった…。
明治時代から日本政府を引っ張ってきた
大隈重信と山縣有朋が相次いで逝去。
2人の不思議な運命とは!?
約4年に及んだ日本軍のシベリア出兵。
しかし、何の成果を得ることもなく撤兵することに。
その理由とは!?
今回は激動の大正10年〜11年。
第42回 大正9年〜国際連盟発足
2020年8月8日(土)放送
第一次世界大戦の終結後、世界では史上初の
国際平和機構「国際連盟」がつくられます。
日本は4か国の常任理事国のひとつとなりますが…
慣れていない世界の大舞台、どのように立ち回るのでしょうか!?
国際連盟でもっとも活躍した日本人は、5千円札の肖像画で知られる
「新渡戸稲造」って、ご存知でしたか!?
第一次世界大戦が終結して1年半が経過しても、
日本軍は未だにシベリアに駐留し続けます。
そんな時、民間人を含む多くの日本人が犠牲になるという
「尼港(にこう)事件」が起こります。
なぜ惨劇は起こったのでしょうか…。
日本に、第一次世界大戦後の混乱が広がる大正9年、10年。
ついには、現職の総理大臣、原敬が暗殺されます。
第41回 大正8年〜第一次世界大戦の戦後処理
2020年8月1日(土)放送
4年半にわたって世界を巻き込んだ第一次世界大戦が終結し、
大正8年(1919)にフランス・パリで戦勝国による
パリ講和会議が開催される。
アジアから参戦し、大国と認められた日本は、主要5か国
のひとつとして参加。
会議ではドイツへの賠償金と領土割譲をめぐり、
アメリカとフランスの主張が対立。
お互いに譲らず、議論が続くなか、アメリカ大統領を
襲ったある出来事が、その後の世界に大きく影響することになる。
そんな中で日本は、大戦でドイツから奪った
中国と南洋諸島の利権を獲得することに成功する。
そして講和会議の結果を受けて、ドイツとの間で
ベルサイユ条約が調印される。
領土の割譲と多額の賠償金を課せられたドイツは疲弊し、
社会不安が増大するなかで、ヒトラーが登場する。
一方アジアでは、アメリカのウィルソン大統領が提唱した
民族自決に触発され、朝鮮、中国で、日本の影響力を
排除しようとする民衆運動が発生する。
第40回「大正7年〜シベリア出兵・米騒動・原敬内閣」
2020年7月25日(土)放送
大正3年に始まった第一次世界大戦もついに四年目に突入。
ドイツ軍はイギリス、フランスとにらみ合っていた
西部戦線で大攻勢をしかけます。
しかし…180万人をこえるアメリカ軍の登場により戦況は一変。
窮地に立たされたドイツは、アメリカと和平交渉を試みること
になるのですが…なぜアメリカだったのでしょうか?
一方、日本では物価高騰による「米騒動」が勃発。
その影響で、首相となったのが、平民宰相と呼ばれた原敬でした。
平民だった原敬はなぜ首相にまで上り詰めることができたのでしょうか?
今回は、第一次世界大戦が終結した大正7年を紐解きます。
第39回 人類史上最悪のパンデミック「スペイン風邪」
2020年7月18日(土)放送
大正7年から9年にかけて、世界中で大流行した
「スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)」。
日本だけでも国民の約40%が感染し、
約39万人が亡くなったと言われています。
爆発的に広まった感染症は、一体、世界に何をもたらしたのか!?
そして、日本国内では、どのような対応を行ったのか!?
今回は、現在のコロナ過にも通じる
「スペイン風邪」パンデミックに迫ります。
第38回 「大正6年〜第一次世界大戦とロシア革命」
2020年7月11日(土)放送
今回は第一次世界大戦が3年目に突入した大正6年から。
日本海軍が地中海に派遣されヨーロッパ戦線に参戦する。
その地中海で犠牲者を出したことはあまり知られていない。
陸軍の欧州参戦を拒んできた日本はなぜ地中海で参戦したのか。
そしてアメリカが参戦を表明。
キッカケとなった「暗号電報」とは。
さらにロシアでは2度の革命により世界初の社会主義政権・ソビエトが誕生。
大戦撤退で戦況は大きく動き出す。
好景気の続く日本ではコロッケの歌、カチューシャの歌などが大ヒット。
大正ロマンが花開く。
アラビアのロレンスが暗躍し、ラスプーチンが混乱を
引き起こした激動の1年を紐解く。
第37回 「大正4年〜大戦景気・大正デモクラシー」
2020年7月4日(土)放送
大正3年(1914年)に勃発した第一次世界大戦は、
予想に反して拡大化、長期化の様相をみせていく。
1915年、ドイツ・オーストリアと同盟を結んでいたイタリアは、
これを破棄して連合国側で参戦。
そのころ日本では、大正天皇の即位の礼が執り行われる。
この時に確立された神道の儀式が、
昭和・平成・令和まで引き継がれている。
ヨーロッパでは、第一次世界大戦最大の海戦と最大の陸戦が繰り
広げられ、お互いに多くの戦死者と損害を出す消耗戦となっていく。
疲弊するヨーロッパと対照的に、日本は輸出が倍増し、
鉄鋼や石炭の生産が急激に伸びていき、空前の好景気が訪れる。
国民の生活も変わり、普通選挙の実施や労働運動、
女性運動など権利や社会の改善を求める風潮が高まる。
文化芸術でも、西洋文化の影響を受けた新しい動きが生まれる。
のちに大正デモクラシー、大正ロマンと呼ばれる
社会の変化が、好景気を背景に盛んになっていく。
第36回 「大正3年〜第一次世界大戦序盤」
2020年6月27日(土)放送
サラエボで起こったオーストリア皇太子夫妻暗殺事件を
キッカケに始まった第一次世界大戦。
ドイツ、フランス、イギリス、ロシアなどヨーロッパ全土を
巻き込む戦争に発展していきます。
塹壕戦になり、戦線が膠着する中、
様々な新兵器が登場していきます。
そして、日本もドイツに宣戦布告し、ついに戦争に参加。
なぜ遠いヨーロッパの戦争に参加することになったのでしょうか?
その裏には、中国へのある野望がありました。
第35回 「大正元年〜第一次世界大戦開戦へ」
2020年6月20日(土)放送
いよいよ大正時代に突入!
大正天皇即位後すぐに軍部が独走…。
民衆は立ち上がり「第一次護憲運動」が広がります。
その行方は!?
一方、アメリカでは排日の動きが…。
一体何が起こったのか!?
さらに、全世界を巻き込むことになる「第一次世界大戦」が開戦。
そのきっかけは、サラエボの街で起こった一つの事件だった。
どうして、この事件が大きな戦争へとつながってしまうのか?
開戦前夜に迫ります!
第34回「近代日本の帝国主義の歩み?」
2020年6月13日(土)放送
前回に続き、2回に渡ってふりかえる「近代日本の帝国主義の歩み」。
今回は後編。
軍隊の近代化を整えた日本が、いよいよ海外へ領土を広げようと戦争を重ね、
帝国主義にグッと傾いていく、明治時代後半です。
日本が初めて他国を統治したのは「台湾」。
そう上手くはいきません。
そして「韓国」「満州」へと、日本は支配を進めていきます。
ますます力を持つ軍部、加速する帝国主義…
大正、昭和の大戦へと繋がっていくのです。
第33回「近代日本の帝国主義の歩み@」
2020年6月6日(土)放送
明治時代をまとめる特別編、今回のテーマは「近代日本の帝国主義の歩み」。
ペリー来航による開国から、わずか50年ほどの間に日本は
日清戦争・日露戦争と、2度の戦争を経験する国に変貌した。
そこには列強が示した「帝国主義」が大きく関わっている。
アヘン戦争をはじめ、岩倉使節団の渡欧など、帝国主義を目の当りにした明治政府は、
列強の後を追うように「西洋の帝国主義」を取り入れていく。
サムライの軍隊から近代化された天皇直属の軍隊へ。
近代日本の帝国主義はどのようにして生まれ、明治政府にどのような
影響を与えていったのか…その歩みをたどる。
第32回「明治天皇」
2020年5月30日(土)放送
江戸から明治への時代の転換期に、わずか14才で即位した明治天皇。
45年の治世において最も信頼した人物は、伊藤博文だった!?
天皇は伊藤をどのように評価していたのか?
日清、日露、明治時代の二度の対外戦争を明治天皇は
どのようにとらえていたのか?
日本が近代国家へと生まれ変わる激動の時代に明治天皇が果たした役割とは…?
第31回「日露戦争」
2020年5月23日(土)放送
明治時代最大の戦いとなった「日露戦争」。
日本は当時大国だったロシアと、なぜ戦争をすることになったのか?
戦力、資金も膨大なロシアと、どのようにして戦ったのか?
そこには終戦工作を行うなど、様々な戦略があった…。
日本が帝国主義国家として歩んでいくキッカケともなった「日露戦争」に迫ります。
第30回 日清戦争
2020年5月16日(土)放送
明治になって初めて外国と戦った日清戦争。
なぜ「眠れる獅子」といわれる大国、清と戦火を交えることになったのか?
近代化を進めていた日本に、どんな影響を与えたのか?
第29回 明治時代の第二世代「伊藤博文」
2020年5月9日(土)放送
今回は近代化の支柱、骨格である大日本帝国憲法をつくった「伊藤博文」。
農民の子として生まれ、足軽の養子に…
長州五傑でイギリスへ留学。
明治政府の最重要課題は、列強と肩を並べるための「近代化」。
そのための「政府の仕組みづくり」にとりかかるが…
第28回 明治維新三傑「西郷隆盛」
2020年5月2日(土)放送
今回は維新の三傑。
徳川幕府討幕の主力を担った薩摩藩の重鎮「西郷隆盛」。
明治政府ができると西郷は「廃藩置県」・「徴兵制」など、
さまざまな改革を推し進めていきます。
しかし、明治維新により新しい日本をつくった西郷が、
自らつくった明治政府と戦い、命を落としてしまいます。
それはいったいなぜなのか?
第27回 近代国家の幕開け〜江戸幕府の最後
2020年4月25日(土)放送
日本が近代国家となった明治時代をテーマごとにおさらい!
今回は、どのようにして江戸幕府が滅び明治新政府が
誕生したのか、近代国家日本の幕開けに迫ります。
大政奉還の意外な事実から、西郷隆盛と勝海舟が行った
江戸城無血開城の裏側、そして戊辰戦争のゆくえまで…
現在の日本につながるその幕開けとはどのようにして起こったのか!?
第26回 明治時代とは…特別編「近代化」
2020年4月18日(土)放送
明治時代の45年を懸けた最重要課題が「近代化」です。
幕末に次々とやってきては不平等条約を
結ばされる欧米列強に対抗するためには、
一刻も早く、彼らと肩を並べる近代国家になる必要がありました。
今回は「近代化の道のり」を一気にたどる特別編です。
1に「軍事力」、2に「経済力」、3に「法律」。
幕末には「ちょんまげに刀」だった日本が、一体どのようにして、
わずか45年で、ロシアに勝つまでの近代国家になったのでしょうか?
大久保利通、伊藤博文、山縣有朋らが奔走する明治の近代化をたどります。
第25回 明治時代とは…特別編
2020年4月11日(土)放送
今回は特別編。明治時代とはいったいどんな時代だったのか
「不平等条約」をキーワードに総まとめする。
ペリー来航から始まった開国への動きの中で、
安政5年に幕府が列強と締結した不平等条約が、
いわゆる「安政五カ国条約」だ。
明治新政府はその不平等を解消するのに明治期の
ほぼすべての期間を費やすことになった。
そもそも幕府はなぜ不平等な条約を結んでしまったのか?
条約を結ぼうとする欧米列強と幕府とのやりとりとは?
条約改正にはアジアをめぐる欧米列強の思惑が深く絡んでいた…
治外法権の撤廃と関税自主権の回復、
二つの不平等の改正に取り組んだ明治政府の
50年以上にわたる道のりをたどる。
第24回 明治45年〜時代は「明治」から「大正」へ
2020年4月4日(土)放送
明治45年、中国で大きな動きが…
およそ300年続いた「清」が滅亡。
孫文を中心とした辛亥革命により「中華民国」が誕生します。
時を同じくして、日本では一つの時代が終わりを迎えます。
明治天皇崩御…日本中が深い悲しみに包まれました。
激動の時代を生き抜いた天皇には、心残りがあったと言われています。
それは一体何だったのでしょうか?
「明治」から「大正」へ…時代の移り変わりの狭間にあった謎に迫ります。
第23回 明治42年〜伊藤博文の死と韓国併合
2020年3月28日(土)放送
日本を近代国家に押し上げた一人、伊藤博文が暗殺される。
明治時代を築いた伊藤博文とは、どんな人物だったのか?
伊藤亡きあと、政府は大韓帝国を日本領とする「韓国併合」を実施。
一体どのようにして併合はおこなわれたのか?
さらに、政府の悲願だった不平等条約の改正に成功!
条約改正に同意したアメリカの思惑とは!?
第22回 明治38年〜満州・朝鮮半島進出の足掛かり
2020年3月21日(土)放送
明治38年、日露戦争で勝利した日本は、
ロシアが清から租借していた遼東半島の旅順、大連と、
鉄道の権利を譲り受け、本格的に大陸進出へと乗り出す。
政府が資本金の半分を出資し、南満州鉄道株式会社を設立。
鉄道運営のほか、都市開発、鉱山開発など、
総合的な満州開発の基盤をつくる。
一方、韓国とは3回にわたって協約を結び、
外交を代行し、内政も監督指導することで、
保護国化を進めていく。
韓国の保護国化政策の責任者、韓国統監の伊藤博文は、
いずれ韓国を自立させることを目標にし、
韓国の皇太子を日本に留学させ、将来の指導者に
ふさわしい教育を受けさせるなど尽力していた。
しかし、国内では、韓国を併合すべきという意見が
次第に強くなり、伊藤は孤立していく。
明治42年、併合派を抑えていた伊藤が、ついに韓国統監の職を辞し、
政府は韓国併合を閣議決定。
そして日韓の歴史に大きな影響を与えた事件が…
第21回 明治38年〜日露戦争「日本海海戦」
2020年3月14日(土)放送
日露戦争が決着する明治38年。
戦いの舞台は陸から海へと移ります。
当時、世界最強とうたわれたロシアの「バルチック艦隊」に対するのは、
明治になって組織されたばかりの日本の「連合艦隊」。
司令長官の東郷平八郎がとった奇策とは?
日露戦争の講和会議には、誰が日本代表として臨むのか?
伊藤博文の思惑が働きます。
ようやくまとめた「ポーツマス条約」の内容に民衆が反発。
何が気に入らないのでしょうか?
後年までさまざまな影響を及ぼす、日露戦争の
教科書には載らない裏側に迫ります。
第20回 明治37年〜日露戦争 開戦
2020年3月7日(土)放送
明治37年2月、朝鮮半島の利権をめぐり「日露戦争」が勃発。
日本は、ちょうど10年前の「日清戦争」に勝利したとはいえ、
軍事力では足元にもおよばない大国・ロシアとの戦争に
踏み切った理由は何だったのか?
あらゆる作戦を練り、ロシアに立ち向かった日本。
しかし、ロシア軍の一大拠点となっていた「旅順」はなかなか陥落できず…
その時、海軍・東郷平八郎、陸軍・乃木希典がとった行動とは!?
激戦を繰り広げている中、あの「バルチック艦隊」が徐々に日本に近づいていました。
第19回 明治33年〜日露戦争開戦前夜に迫る!
2020年2月29日(土)放送
今回は明治33年から36年。
日露戦争開戦前夜に迫る!
明治36年、満州を不法に占拠するロシア軍は、
さらに朝鮮半島へと南下する動きを見せる…。
南下を恐れる日本政府がとった行動とは?なぜ、
日露戦争が開戦に至ったのか?
その真相とは!?
第18回 明治31年〜明治維新の清算・緊迫の大陸
2020年2月22日(土)放送
明治31年、帝国主義の列強は日清戦争の賠償金を清に
貸し付けることで「租借地」を獲得。
中国の分割統治に動きはじめていた。
その清へ「漫遊」と称し旅をした伊藤博文。
時の皇帝と謁見した直後、伊藤が目にしたのは
西太后のクーデターとも言える政変だった。
国内政治も揺れていた。日本の憲政史上初の政党内閣「隈板内閣」
は成立からわずか4か月で解散。
きっかけは文部大臣の演説だった。
大政奉還から31年の時が過ぎ…徳川慶喜と明治天皇が顔を合わせた。
政権交代の主役二人は何を話したのか?
西郷隆盛は上野で銅像になり「維新」は歴史になりつつあった。
1900年という新時代を前に変わりゆく明治32年までを取り上げる。
第17回 明治28年〜日清戦争後のアジアとロシア南下の脅威
2020年2月15日(土)放送
日清戦争に勝利し、莫大な賠償金と、台湾、遼東半島を手に入れた日本。
ところが、アジアでの南下政策をとるロシアは、ドイツ、フランスと組み、
遼東半島を清に返還するように要求してくる。
ロシアとの圧倒的な戦力の差に、やむなく遼東半島を手放す日本。
これを機にロシアを仮想敵国とみなし、
賠償金の8割をつぎ込んで軍事力の増強を急ぐ。
一方、台湾を手に入れた日本は、インフラ整備、産業振興、
教育振興で近代化を進め、初めての植民地統治に成功する。
そのころ、朝鮮では、ロシア寄りの政権が樹立。
国益のために朝鮮半島を勢力下に置きたい日本は、
朝鮮をめぐりロシアと駆け引きを行うが、南下を止めることができない。
そしてロシアは、ついに遼東半島の旅順、大連を清から租借、
念願の不凍港を手に入れ、ハルビンまでの鉄道も建設することになる。
迫りくるロシアに、日本との緊張が高まっていく。
第16回 明治27年〜日清戦争 開戦
2020年2月8日(土)放送
朝鮮半島内での反乱をきっかけに勃発した、近代日本初の
対外戦争『日清戦争』宣戦布告前に起きた「豊島沖海戦」
最大の海戦「黄海海戦」難攻不落の要塞「旅順攻略戦」など
激戦の裏側に隠された事実とは?
「眠れる獅子」と畏れられた大国・清に対し、
小さな島国・日本は、どのような戦いを繰り広げたのか?
第15回 明治24年〜大津事件・朝鮮内乱ほか
2020年2月1日(土)放送
明治24年、来日したロシア皇太子を警護していた
巡査が切り付ける事件が発生!
大国ロシアの報復もあり得る状況で日本政府がとった策とは!?
さらに、朝鮮半島で農民らによる内乱が勃発!
実はこれが、日清戦争のキッカケに。
朝鮮国内のもめごとが、なぜ日本と清国の戦争に発展したのか!?
日清戦争開戦の真実に迫ります!
第14回 明治22年〜日本初の総選挙・帝国議会
2020年1月25日(土)放送
日本がいよいよ、世界に認められる近代国家へとスタートを切ります。
まずは「第一回衆議院議員選挙」。
その投票率は、なんと93.91%(未だ史上最高値!)…なんですが、
現在とはまったく選挙事情が違ったのです。
そして、日本初の「帝国議会」が開かれますが、
予算案をめぐって大荒れに!
初めてづくしでトラブル続発の「近代国家への船出」を、
この時の内閣総理大臣・山縣有朋は、どう乗り切るのでしょうか!?
第13回 明治19年〜ノルマントン号沈没・大日本帝国憲法
2020年1月18日(土)放送
今回は伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任し、近代日本の
土台作りを始めた明治19年から、大日本帝国憲法が
発布された明治22年までを取り上げる。
欧米列強と対等な立場を目指した伊藤内閣の前に
立ちはだかったのが「治外法権」だ。
和歌山沖で日本人客25人が死亡した英船・ノルマントン号の沈没。
この海難事故を発端に不平等条約の改正を求める
世論が起きるのだが…
そして明治22年「大日本帝国憲法」の発布。
作成を主導した伊藤博文は憲法に何を求めたのか。
現行の日本国憲法との違いは何か。
憲法学者の木村草太教授の話をまじえ、近代国家を
歩み始めた明治の日本を考える。
第12回 明治16年〜秩父事件・伊藤博文が初代総理
2020年1月11日(土)放送
国会開設へ自由民権運動が盛り上がる中…
それまで明治政府を支えた岩倉具視が病死。
維新三傑(西郷・大久保・木戸)、そして岩倉が亡くなり時の主役は伊藤博文に。
一方、地方では農民の武力蜂起「秩父事件」が勃発。
なぜ農民たちは暴動を起こさないといけなかったのか?
その中で内閣制度が始まり、初代総理大臣・伊藤博文が誕生。
国会開設への下準備を着々と進めていく!
第11回 明治14年〜国会開設の勅諭・日本銀行設立
2019年12月28日(土)放送
西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、明治政府を主導してきた維新三傑が亡くなり、
政府内では大隈重信と伊藤博文による政権争い「明治14年の政変」が勃発。
果たしてその行方は?一方、ついに国会開設が決定!
どのようにして国会開設に至ったのか?そこには意外な真実があった!
さらに、板垣退助が「板垣死すとも、自由は死せず」と言ったといわれる襲撃事件が発生。
その真相とは!?
第10回 明治11年〜琉球処分・コレラ大流行ほか
2019年12月21日(土)放送
西南戦争が終わり、国内がようやく落ち着いてきた明治11年、
政権を握っていた大久保利通は、近代国家造りに本腰を入れる。
ところがその矢先、大久保の政策に不満を持つ士族の凶刃に倒れる。
維新三傑と呼ばれ、明治維新の中心にいた木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通が
1年のうちに亡くなり、時代は一つの区切りを迎え、権力闘争に
生き残った次の世代が国を動かすことに…
その中の一人、山縣有朋は、陸軍の組織改革を行い、
政治や行政が軍に口出しできない独立した組織づくりを目指す。
それはのちの戦争に大きく影響を与えるものだった。
翌明治12年、日本と中国の二重支配下にあった
琉球に対して、琉球処分を行い、沖縄県を設置。
450年続いた琉球王国は消滅する。
国内では自由民権運動が再び盛り上がり、国会開設を訴え、
武力から言論で国を変えていこうとする機運が高まっていく。
そんな中、明治天皇は日本全国を巡幸。
そこには政府のある思惑があった。
第9回 明治10年、西郷隆盛・最後の1年
2019年12月14日(土)放送
今回は、ラストサムライ・西郷隆盛の最後の1年、『明治10年』です。
日本最後の内戦「西南戦争」に始まり、
西郷の死でその幕を閉じる1年間は、戦いでありながら、
より人間ドラマです!
かつて共に江戸幕府を倒して明治政府をつくった盟友同士が、
なぜ戦わなければならなくなったのか?
明治維新の英雄・西郷隆盛が、なぜ「逆賊」として死んだのか…?
教科書には載らない歴史の裏側まで…もう一度、一緒にめぐりましょう。
第8回 明治8年〜9年、国会開設の準備・廃刀令
2019年12月7日(土)放送
当時、政治の表舞台から去っていた西郷隆盛、木戸孝允、板垣退助。
政府のトップとなっていた大久保利通は、木戸、板垣を呼び戻そうと画策します。
…しかしそこに盟友・西郷の名はありませんでした。
結果、木戸・板垣は政界に復帰し、将来の国会開設への第一歩を踏み出すことに。
一方、政府は事実上不要となった「士族」の解体をすすめます。
サムライの魂「刀」、そして給料である「秩禄」を取り上げてしまい、とうとう士族の怒りが爆発!
各地で「士族の反乱」が巻き起こります。
その時、故郷・鹿児島に帰っていた西郷隆盛は何を思っていたのか…!?
第7回 明治6年の政変と自由民権運動のはじまり
2019年11月30日(土)放送
同郷で盟友の西郷隆盛と大久保利通の意見が分かれついに激突!
明治新政府に大激震が走る「明治6年の政変」。
さらに、政変により政府を去った人物たちが、
国会開設や憲法制定を求め動き出す…自由民権運動が始まった!
また、武力による政府への反乱も勃発。まだまだ波乱含みの
明治新政府、ここで、大久保利通がとった意外な行動とは!?
第6回 明治6年、徴兵令・地租改正
2019年11月23日(土)放送
今回は「征韓論」が飛び出し明治新政府内の不協和音が露わになった
明治6年を詳しく紹介する。
欧米を視察中の岩倉使節団が帰国するまで大改革はしないと
約束していた西郷隆盛を中心とする留守政府。
しかし明治6年には太陽暦の採用、徴兵令、
地租改正と次々と独断で改革を進めてしまう。
そこに見え隠れするのは西郷隆盛の政府に対する不信感。
使節団の船に対し『沈めばいい』と衝撃の言葉を放った西郷の本心とは?
さらに留守政府内で持ち上がったのは、李氏朝鮮を武力で開国しようという征韓論
。古代から近づいては離れ…を繰り返す日朝関係を振り返り、
政府を二分する政変につながる征韓論が、なぜ生まれたのかを考える。
第5回 明治5年、岩倉使節団・文明開化の波
2019年11月9日(土)放送
明治維新最大の改革、廃藩置県が断行され、国のシステムが大きく変わり。
問題は山積していた。そんなさなか、これからの国づくりのためには、
先進国を自分たちの目で見る必要があると、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文ら
政府の中心にいる要人たちが、アメリカ、ヨーロッパを巡る視察旅行に出発した。
アメリカの広大さと文化の違いに驚き、明治5年、アメリカ大統領と謁見するが、
外交に不慣れなため大失敗をしてしまう。
次に訪れたイギリスでは、産業革命による工業の近代化と、貿易による繁栄に圧倒される。
一方、国内に残った西郷隆盛ら留守政府は、使節団が海外にいる間は大きな
改革はしないという約束をしたにも関わらず、次々と改革を進めていく。
庶民の間には鉄道の開通、官営工場の設立、食文化の変化など文明開化の波が
押し寄せ、生活が変わり始めていた。そして、12月には突然暦が変わり、
明治5年は12月2日で終わりを告げる。
第4回 明治4年 明治維新最大の改革
2019年11月2日(土)放送
明治維新最大の改革と言われる「廃藩置県」。
藩の領土を取り上げ国が支配すると言う、藩主たちの反乱必至の大政策。
しかし、政府は大きな抵抗なく改革を実行。
反乱を抑えたある秘策とは!?
さらに「廃藩置県」の4カ月後には、岩倉具視や大久保利通など政府の要人が世界一周の旅へ!
まだ、政府の足元がぐらつく中、約1年10か月国を留守にすることに…。
第3回 「明治2〜3年」
2019年10月26日(土)放送
江戸城が無血開城され、東京に入った明治天皇。
でも、どうして約1000年も暮らした京都を離れて東京へ?
しかも、入ってわずか5か月間で東京と京都を行ったり来たり…その理由とは?
そして、戊辰戦争はまだ終わっていなかった!
最後の戦い「箱館戦争」で政府軍と戦った榎本武揚が、その後、政府の要職に!
さらに、新撰組の運命とは…。明治初期の動きを丁寧に紐解きます。
第2回 明治元年(1868年)の1年間
2019年10月19日(土)放送
明治という新しい時代が始まる「明治元年(1868年)」の1年間には、
実は大切な出来事がてんこ盛りに詰まっています!
「鳥羽・伏見の戦い」「五箇条の御誓文」「江戸無血開城」「会津戦争」…などなど、
聞いたことはある有名なキーワードですが、教科書ではサラッと数行!?
その中身を聞かれても、答える自信がイマイチない…といった所でしょうか!?
鳥羽・伏見の戦いで、西郷隆盛と岩倉具視が用いた”逆転勝利へ導く奇策”とは?
明治天皇は、江戸庶民の心をつかむ手段に「酒」をつかった!?
携帯もメールもない時代に、お達しはどう伝えた??
などなど、教科書には載らない近現代史の裏側を、もう一度めぐります!
第1回 大政奉還から始まる「時代の節目」
2019年10月12日(土)放送
幕末、徳川幕府は欧米列強の圧力に屈して、鎖国政策を解きました。
そんな、幕府の外交への不満は「倒幕」という形で現れ、
薩摩や長州など討幕派は幕府を倒す機会をうかがっていたのです。
そんな中、江戸幕府の終わりを告げる「大政奉還」が行われたのは、慶応3年10月のことでした。
そして新政府の樹立を宣言した「王政復古の大号令」は12月。その間、わずか2か月。
しかし、この2か月間を細かく見ていくと、日本の歴史を変える様々な出来事が起きていました。
それは教科書でも教えない、私たちの歴史の1ページなのです。